水精姫とルカ・レグナス
五天星という特権階級の集まりは、思っていたよりもずっと俗っぽく、そして騒がしいものだった。
彼らが決して血の通わない魔法機械などではなく、年相応の感情を持った若者たちであることを知れたのは、ある意味で収穫だったと言えるかもしれない。
五人の天才たちが集ったサロンでの顔合わせを終え、マリエルは一人、貴族棟の奥へと足を進めていた。
昼休みにルカ・レグナスから手渡された一枚のメモ。
そこにはサロンの場所と時間が記されていたが、実はその裏面に美しい筆記体でもう一行、短いメッセージが書き添えられていたのだ。
『顔合わせの後、貴族棟の第一図書館へ来てほしい。ルカ・レグナス』
(それにしても、個人的な用件って何だろう……)
マリエルは長く続く豪奢な回廊を歩きながら、内心で首を傾げる。
『闇の貴公子』などという、思わず背中がむず痒くなるような二つ名を持つルカ。
彼はサロンでの会話中も常に冷静で、アランの軽薄な冗談を冷ややかにあしらっていた。
そんな彼が編入してきたばかりの、しかも平民である自分をわざわざ人目を忍んで呼び出す理由。
全く見当がつかない。
やがて目的の場所へと辿り着く。
貴族棟の第一図書館。
重厚な黒檀の扉を開けると、そこには平民用の図書室とは比較にならないほど広大で静謐な空間が広がっていた。
天井は遥か高く、ドーム状の吹き抜けになっている。
壁という壁が巨大な本棚で埋め尽くされ、そこに収められた蔵書の数は数万、あるいは数十万にも及ぶだろう。
魔力で淡く光る浮遊灯が宙を漂い、古い羊皮紙とインク、そして革表紙の独特な香りが鼻腔をくすぐる。
この時間は夕食時が近いためか、あるいはそもそも利用者が限られているためか、図書館内にはマリエルの他に人影はなかった。
窓から差し込む夕暮れの光が、床に敷き詰められた深紅の絨毯に長い影を落としている。
マリエルは適当な閲覧用のテーブルに腰を下ろし、静かに待つことにした。
(ここも、いずれじっくり調べさせてもらおう)
五天星の特権の一つである大教会の書庫への立ち入り。
それこそが彼女の真の目的だが、この学園の図書館にも神界に繋がる何らかの古い伝承や歴史書が眠っている可能性は十分にある。
待っている間にも周囲の本棚の分類プレートを目で追い、どこにどのような文献があるのかを頭の中にマッピングしていく。
十数分ほどが経過した頃。
コツ、コツ、と静かな足音が図書館の入り口から近づいてきた。
「すまない、マリエル嬢。待たせたな」
現れたのはルカだった。
銀糸の刺繍が施された制服を隙なく着こなし、その端正な顔立ちには微かな疲労と、それ以上の真剣な光が宿っている。
彼はマリエルの向かいの席に静かに腰を下ろした。
「あ、いえ。お気になさらず」
マリエルは社交辞令で返しつつ、相手の出方を窺う。
「それで、私に話というのは?」
単刀直入に切り出すマリエルに対し、ルカは少しだけ言い淀むような珍しく躊躇うような素振りを見せた。
彼は一度視線をテーブルに落とし、短く息を吐き出してから再びマリエルを真っ直ぐに見据える。
「ああ。こう改まって頼むのも少し恥ずかしい話なんだが……」
ルカの漆黒の瞳が僅かに揺らぐ。
学年トップクラスの実力者であり、名門貴族の令息である彼が平民の編入生に対して「頼む」という言葉を使う。
それだけで、この話が彼にとってどれほど重要で、かつ真剣なものであるかが窺い知れた。
「君は闇属性について詳しいだろうか……?」
「え?」
その問いかけに、マリエルの心臓がドクンと嫌な音を立てて跳ねた。
闇属性。
その単語を聞いた瞬間、マリエルの脳裏にフラッシュバックしたのは、辺境の街モーリスの薄暗い鍜治場での光景。
燃え盛る炉の炎。振り下ろされるハンマー。
そして「許さない」「クズどもめ」という呪詛と共に自身の奥底から無意識に溢れ出し、鉄の分子にみっちりと刻み込まれた、あのドス黒く禍々しい怨念のオーラ。
触れるだけで相手を呪い殺す特級の呪物と化したナイフや剣の山。
マリエル自身が作り出した、闇の魔力の最悪の結晶。
(まさか、あの時の『呪いの武器』のことがバレてる……!? いや、そんなはずはない。あれはバーバラさんが厳重に管理してくれているし、使ったのも魔獣相手だけだ。ルカ君が知る由もない)
マリエルは咄嗟に表情筋を制御し、ポーカーフェイスを保つ。
心臓の早鐘を悟られないよう、ゆっくりと瞬きをしてから首を傾げてみせた。
「ええっと……。どうして急にそんなことを? 詳しく聞いてもよろしいでしょうか」
「そうだな。正直に言わせてもらうと」
ルカはマリエルの内心の動揺に気づく様子もなく、真摯な表情で語り始めた。
「最近、俺は自分の闇魔法が伸び悩んでいると思っているんだ」
彼の告白に、マリエルは少しだけ意外に感じた。
演習場で見た彼の闇魔法――影から無数の刃を生み出し、相手の魔法を自動迎撃する『シャドウブレード』は威力、速度、制御のどれをとっても学生のレベルを遥かに超えていたはずだ。
確かグラムという平民生徒を圧倒し、全く寄せ付けなかったあの魔法が「伸び悩んでいる」とは、どういうことか。
「魔法の鍛錬といっても魔力そのものを鍛えて出力を上げたり、術式の密度を上げるくらいしか思いつかず……どうにも多様性に欠けると思っていてな」
ルカは自分の手を見つめ、歯痒そうに拳を握る。
「俺の得意とする闇魔法といえば影の操作、物理的な形状変化による攻撃。あるいは視界を奪う目くらましに影を実体化させた拘束……。現状、そのくらいしか手札がない。正直言ってバリエーションに乏しいと言わざるを得ないんだ」
ルカの悩みは極めて高度な次元での壁だった。
単なる威力の向上ではなく、魔法という事象の「運用の幅」が狭いことに限界を感じているらしい。
「ローランドとの戦いで君はただの初級魔法である水球を思いもよらない形で運用してみせていた」
ルカの視線が熱を帯びてマリエルに向かう。
「水を圧縮して質量兵器とし、熱を奪って火球を消滅させる。相手の手にまとわりつかせて一瞬で沸騰させ、杖を凍り付かせ、水蒸気の熱気による目くらましに頭部を氷漬けにする……。あれには本当に驚かされた」
あの時の光景を思い出すようにルカは感嘆の息を漏らす。
「水と言われれば確かに水だが、と思うような多彩で多様性のある見事な運用だ。一つの基礎魔法を温度、状態、質量とあらゆる側面から支配し尽くしている。正直言って見惚れたよ。純粋に凄いと思う」
「ど、どうも」
マリエルは少し居心地が悪くなり、視線をそらす。
神界の高度な理論を用いただけであり、彼女にとっては息をするように当たり前の魔力操作でしかない。
だが、それを正面から、これほどまでに真剣な熱量で褒めちぎられると、なんだか恥ずかしくなってくる。
「そんな君の目から見て闇属性の魔法はどう思う? もっとバリエーションを増やすことはできるだろうか」
ルカは身を乗り出し、すがるような目でマリエルを見た。
「教本を調べても、あまり記載が無いものだから……正直、手詰まりで困っているんだ」
「教本に記載がないんですか? 闇魔法って」
マリエルは不思議に思い、問い返す。
火や水、風や土といった基本属性の教本は、大図書室に行けばそれこそ山のように積まれている。
同じ属性の一つである闇魔法の教本が少ないというのは、いささか不自然だ。
「ん、ああ。君は編入してきたばかりだから、歴史の授業でまだ習っていないかもしれないな」
ルカは表情を少しだけ曇らせ、重い口を開いた。
「一時期、この国……いや、大陸全体において闇魔法は『禁忌』として扱われている時代があってな」
「禁忌……」
「とにかく人道にもとる使われ方が多かったんだ。精神に干渉して人を操ったり、呪いをかけてじわじわと衰弱死させたり、生命力を直接吸い取ったりとな。暗殺や非合法な手段に用いられすぎた結果、闇魔法は悪というレッテルが貼られ、多くの文献が焚書にされた」
ルカの言葉にマリエルは内心でチクリと胸が痛む。
(呪いをかけて死に至らしめる……うん、ついこの間、私が無意識にやってたことだね。ごめんなさい)
闇魔法が禁忌とされる理由を彼女は身をもって実証してしまっている。
「だが、最近の研究で闇魔法そのものが危険というよりは、単に『使い方が間違っているだけ』だと再評価されるようになってきたんだ。だんだんと禁忌という扱いも解け、穿った目線も少なくなってきているところなんだ」
ルカは言葉に熱を込め、身振りを交えて語り続ける。
「火属性の魔法で言えば暖を取るための焚火と人を焼き殺すための炎は、どちらも同じ『火』だろう? 使い手の意思と運用方法が違うだけだ」
「なるほど」
「それと同じだ。闇にも危険な使い方だけではなく人を救い、世界を豊かにする『穏当な使い方』が必ずあるはずだ。それが俺の考えであり、魔法学園の新たな方針でもある」
ルカの真っ直ぐな言葉にマリエルは静かに耳を傾ける。
彼の言う通りだ。
魔法という力そのものに善悪はない。
それを振るう者の心根が結果を決めるのだ。
「だが、闇魔法は今言ったように、ただそれだけで禁忌とされていた時代が長すぎて……残っている文献には暗殺や呪術といった禁忌寄りの使い方ばかりが記されている。俺が求めているような戦闘における物理的・現象的な応用や穏当な使い方の理論が、あまり書物に残されていないんだ」
ルカは悔しそうにテーブルを軽く叩いた。
「俺は穏当な闇魔法の使い方をもっと世に広めたい。闇魔法の使い手が決して呪われた存在ではなく、国や人のために役立てる有用な存在であることを社会に認めさせたいんだ。……そういう思いで俺は魔法を学んでいる」
静まり返った図書館にルカの熱意を帯びた声がこだまする。
彼がなぜ五天星という地位に執着し、圧倒的な実力を誇示し続けるのか。
それは単なる貴族のプライドなどではない。
『闇魔法は危険なものではない』という自身の信念を証明するため。
偏見に満ちた社会の目を己の実力と正しい運用をもって覆すためだ。
その崇高な理想にマリエルは少しだけ言葉を失った。
そして。
「なんというか……」
マリエルは、ふと口元を緩めて小さな笑みをこぼした。
「ルカ君って闇魔法のことになると、凄く饒舌になりますね」
「え?」
ルカはハッとして動きを止める。
普段の彼は周囲から『闇の貴公子』などと呼ばれ、寡黙で冷徹、他者を寄せ付けない近寄りがたいオーラを放っている。
先ほどのサロンでも必要なこと以外はほとんど口を開かなかった。
それが今、身を乗り出し、目を輝かせ、手振りを交えて熱っぽく語っているのだ。
「す、すまない……。闇魔法のことになると、つい熱が入ってしまって……」
ルカはカッと頬を赤く染め、慌てて背筋を伸ばし、咳払いをしていつものクールな表情を取り繕おうとする。
その様子が年相応の少年らしくて、なんだかとても微笑ましかった。
「いえ、意外だったというだけなので。謝らないでください」
マリエルはクスリと笑う。
神界の神人たちは自分の権力や地位、血筋の自慢ばかりを饒舌に語った。
魔法の理論など生まれつき備わっているものだと驕り、真剣に向き合おうとする者など一人もいなかった。
だが、目の前の少年は違う。
彼は己の魔法に深い愛情を持ち、真剣に向き合い、そして社会を変えようという熱い理想を抱いている。
その姿はマリエルが知るどの神人よりも、ずっと尊く美しいものに思えた。
「闇魔法は君の専門外だということはわかっている。だが、あの水魔法の運用を見せた君の見識があれば既存に囚われない、魔法という現象そのものへの新しいアプローチや他の用途も考え付くのではないかと――」
ルカが再び、真剣な眼差しで懇願してくる。
マリエルは彼が自分をただの「強い編入生」としてではなく、魔法理論を語り合える対等の「研究者」として頼ってくれていることを感じ取った。
(……仕方ないなあ)
自分の闇属性の魔力は恨みつらみで暴走する完全な呪詛仕様だが。
神界で学んだ高度な魔法理論の知識であれば、下界の常識に縛られない新しい「闇」の概念を提示することはできるかもしれない。
それに、マリエルはルカのことが何だか微笑ましくなった。
復讐のために心を閉ざしていた彼女の中に、セリアに続く新たな下界での人間関係の繋がりが生まれようとしていた。
「いいですよ。私にできる範囲で協力します」
マリエルがはっきりと承諾の言葉を口にすると、ルカの顔にパッと明るい光が差した。
「本当か! 助かる……! 感謝する、マリエル嬢!」
ルカは嬉しそうに、まるで新しい玩具を与えられた子供のような笑顔を見せた。
その『闇の貴公子』らしからぬ無防備な笑顔にマリエルは少しだけ調子を狂わされながらも静かに頷き返す。
こうして元神人の少女と、闇魔法の復権を願う貴族の少年の奇妙な共同研究が静かな図書館の片隅で幕を開けるのであった――。
このヒーロー可愛いなと思いながら書いています。




