水精姫と外部見学
王都の魔法学園、貴族棟に設けられた第一サロン。
五天星の面々が囲む円卓の上には専属の執事が淹れた香り高い紅茶と、見た目にも美しい色彩豊かな茶菓子が並べられていた。
陶器のカップが受け皿と触れ合う微かな音が、優雅な空間に心地よく響く。
「さて、今回は堅苦しい会議ではなく、あくまで気楽な顔合わせだ。そこまで緊張する必要はないよ」
上座で紅茶を一口啜り、序列第一位であるクリストフ・フォン・ロンヴェルが爽やかな笑みを向ける。
「とはいえ、ただお茶を飲むだけというのも味気ない。相互理解を深めるために何か話題が欲しいな。何かないだろうか」
クリストフが円卓を見渡し、話題の提供を促す。
すると、隣で上品にマカロンを口に運んでいた序列第四位の『旋風姫』リーズリットが羽扇子で口元を隠しながら楽しげに目を細めた。
「そうねえ……では、新しく私たちの仲間入りを果たしたマリエルさんが放課後ごとに群がってくる挑戦者を次々と薙ぎ倒している、というお話はいかがかしら?」
「へえ、噂には聞いていたけど……本当にそうなっているのか」
「ええ、まあ……」
クリストフが少し驚いたようにマリエルを見るとマリエルは曖昧な笑みを浮かべ、手元のティーカップに視線を落とす。
否定する理由もないが、自慢するようなことでもない。
毎日のように浴びせられる嫉妬と野心にまみれた視線、そしてそれを物理的に水球で鎮圧する単調な作業の繰り返し。思い出すだけでどっと疲労が押し寄せてくる。
「平民という立場を抜きにしても、マリエルちゃんは小柄で大人しそうに見えるからね。手柄を焦る連中が舐めてかかるのも無理もないか」
向かいの席で序列第二位の『大地の申し子』アランが、肩をすくめながら同情的な口調で言う。
しかし、その直後に彼の瞳に軽薄な光が宿った。
「毎日の相手はさぞ大変だろう? 俺が誇り高き騎士のように、君の前に立って守ってあげようか?」
アランがウインクを飛ばし、甘い言葉を投げかける。
だが、マリエルがその安いナンパ文句を脳内で即座にゴミ箱へ放り込むよりも早く、隣に座るルカが冷ややかな声で遮った。
「……彼女は男の後ろに隠れて黙って守られるような、か弱い女性ではないと思うが」
ルカの漆黒の瞳が、アランを真っ直ぐに射抜く。
彼はマリエルの圧倒的な魔力操作技術と、ローランドを一瞬で氷漬けにしたあの冷酷なまでの手際を目の当たりにしている。
守る必要が彼女にあるとも思えない。
「わかってないなあ、ルカ。実力があるかどうかは関係ないんだよ」
アランは呆れたように手を振り、大仰なため息を吐く。
「女性っていうのは、いつだって強い男に守られることに憧れを抱いているもんなんだぜ? そういうロマンを演出してこそ男の甲斐性ってやつさ」
「……そういうものか」
ルカは真面目な顔で腕を組み、深く考え込んでしまう。
彼は魔法の探求に関しては天才的な頭脳を持つが、こと男女の機微や世間の俗な恋愛観に関しては驚くほど疎いらしい。
「ちょっと、アラン。あなたの偏見に満ちた一般論を、まるで真理のように彼に語るのはいかがなものかしら……」
リーズリットが扇子でこめかみをトントンと叩きながら、呆れ返った視線をアランに送る。
「えー? 真理だろ?」
「違うわよ。少なくとも私は、そんな安っぽいロマンには惹かれないわ」
「君は気が強すぎるから例外なんだよ」
「なんですって?」
アランとリーズリットの他愛のない、しかしテンポの良い口喧嘩が始まる。
ルカはまだ「女性は守られることに憧れるのか……?」と真剣な顔で自己問答を続けており、クリストフはそんな彼らを苦笑しながら見守っていた。
(意外だな……)
マリエルは目の前で繰り広げられる光景を見つめながら、内心でひっそりと驚いていた。
学園のトップ層に君臨する『五天星』。
彼らはもっと魔法の深淵について高度な議論を交わしたり、あるいは貴族同士のドロドロとした派閥争いの牽制をし合ったりするものだと勝手に想像していたのだ。
だが蓋を開けてみれば、そこにあるのは年相応の学生たちの、ごくありふれた雑談風景に過ぎない。
神界の、常に他者を蹴落とすことばかり考えていた神人たちとは違うようだとマリエルは思った。
「マリエル嬢にばかり負担をかけてしまって、すまないね」
クリストフが、騒がしい二人を横目にマリエルに向かって申し訳なさそうに微笑んだ。
「その面倒な状況も『外部見学』の行事が終われば生徒たちの関心もそちらに気を取られてだいぶ減ると思うから、それまでどうか耐えてほしい」
「あ、はい」
マリエルは頷きかけ、ふと聞き慣れない単語に首を傾げた。
「……あの、その『外部見学』ってなんですか?」
「ん、そうか。君は中途編入生だから、まだ学園の年間行事について詳しく知らなかったか」
クリストフが納得したように頷き、アランが口喧嘩を中断して身を乗り出して解説を引き継ぐ。
「魔法学園ってのは、世界でも最高峰の高度な魔法を学ぶ場所だろ? でも、魔法を学んで終わりじゃない。卒業後、その魔法を『どこで、どう生かすのか』っていうのが一番の課題になるわけ」
アランは微笑みながら外部見学について語る。
「その将来の職場見学みたいなものさ。自分が目指す進路の現場を直接見て、空気を肌で感じるための重要な行事だよ」
「毎年、学年ごとに将来希望する勤め先へ見学に行って、実際にどのような業務が行われているのかを把握し、自分の将来を具体的にイメージするのよ」
リーズリットも扇子を閉じ、真面目なトーンで補足する。
「毎年同じ見学先を希望して現場の責任者に顔と名前を売っておく生徒もいれば、毎年違う機関を見学して自分に合った職場を比較検討する生徒もいるわね」
「学生は皆、少なからず理想を抱いて入学してくる。だが希望していた職場が実態と想像で大きく違った、なんてことも往々にあるからね。その齟齬を早い段階で修正するための実践的な進路指導の行事だ」
クリストフの説明にマリエルは「なるほど」と深く頷いた。
魔力を管理し、国のために役立てるという学園の理念。
その最終段階として生徒たちに現実の職場を見せ、適材適所への配置を促す。
実に理にかなったシステムだ。
「へえ……。どのような場所で見学が行われる予定なんですか?」
マリエルが純粋な興味から尋ねると、クリストフが爽やかな笑顔で答える。
「学園で一番人気があるのは王宮の『宮廷魔術師団』だね。国家の最高戦力であり、栄誉ある地位だ。私も王族としての見識を深める意味も含めて、ここを希望しているよ」
「学園に併設されてる『魔法研究所』も研究肌の連中には大人気だぜ? 新しい術式の開発や古代遺物の解析なんかをやってる。僕はここに行く予定だ」
アランが親指で自身を指し示す。
「……珍しいところでは個人の縁故や血筋を利用して、特定の有力貴族家の専属魔術師になるためのルートを選ぶ者もいるな」
ルカが静かに言葉を添える。
「私は将来嫁入りすることが決まっているから、そっちのルートかしらね。婚約者の家の専属魔術師として、領地で魔法を活かすことになるわ」
リーズリットが、どこか誇らしげに微笑んだ。
宮廷魔術師、研究機関、貴族の専属。
どれも魔法学園のトップエリートに相応しい、華やかで権力に近い進路だ。
その時。
マリエルの脳裏にベイナード子爵から聞いた言葉が閃いた。
王都には大教会がある、と。
(そうだ。この行事を利用すれば……)
マリエルは自然な流れを装って、思い付きを口にした。
「あの、教会には行けるんでしょうか」
「教会?」
その意外な言葉に、クリストフが目を丸くする。
「もちろん。教会にも治癒魔法や結界魔法を専門に扱う『聖堂騎士団』や『神官魔術師』がいるし、見学先に選ぶことは十分に可能だと思うが……意外だな。マリエル嬢は信心深い性質なのかい?」
「修道女かもしれないな。いいねえ、禁欲的な修道服に身を包んだマリエルちゃんってのも。ギャップがあって、とてもそそられるよ」
アランがニヤニヤと笑いながら不謹慎な想像を膨らませるが、リーズリットが扇子でピシャリと彼の手の甲を叩いた。
「ふざけたこと言わないの。でも確かにマリエルさんのその物静かで澄んだ雰囲気は大教会の厳かな空気にとてもよく合うわね」
リーズリットが好意的に解釈してくれる。
「最近の教会は、かつてほどの政治的権力を持たず大人しいが……まあ、進路の選択肢として無しではないだろう」
最後にルカが客観的な事実を述べる。
そしてマリエルにとって最も重要な情報を付け加えた。
「それに我々には『五天星』の称号がある。学園のトップという身分証明があれば教会側も無碍にはできない。優遇措置として一般の生徒や信徒では立ち入れないような大教会の深い部分……中枢の資料室や聖域にまで見学の許可が下りるかもしれないな」
「なるほど」
マリエルの瞳の奥で暗い炎が静かに、しかし力強く燃え上がった。
(これだ)
神界への手がかりを探すため、大教会の深部へ潜り込む。
ただの生徒として忍び込むのはリスクが高すぎるが、学園公式の行事である「外部見学」を利用し、さらに「五天星」という特権を振りかざせば堂々と、かつ合法的に大教会の深部へと足を踏み入れることができる。
(この機会を逃す手はない。絶対に外部見学先は教会にする)
マリエルは心の中で固く決意し、小さく頷いた。
その様子を見ていたアランが、ふと話題を変える。
「そういえばマリエルちゃん、クラブはもう決めたかい?」
「クラブ?」
聞き慣れない単語にマリエルが首を傾げる。
夜の街の遊技場か何かだろうか。
「学園の『研究会』のことだよ。授業とは別に、同じ属性や目的を持った生徒たちが集まって自主的に魔法の研鑽を行う組織さ」
クリストフが優しく噛み砕いて説明する。
「……それって必ず入らないといけないものなんでしょうか」
マリエルの顔に隠しきれない面倒くささが浮かび上がる。
授業と五天星の挑戦者相手だけでも手一杯なのに、これ以上放課後の時間を削られるのは御免だ。
大教会の調査にも時間が欲しい。
「いや、入会義務はないよ。帰宅部を選ぶ生徒もいる。……が、君は入った方が良いね」
クリストフは真面目な顔で、はっきりと断言した。
「何故ですか?」
「君が『五天星』だからだ」
クリストフが深く息を吐く。
「君は水属性の魔法を極めて高度に操り、ローランドを倒したそうだね。水魔法系の魔法研究クラブだけでも学園内にはいくつも存在する。彼らからすれば五天星の実力を持つ君は、何としてでも自分たちの派閥に確保したい最強の広告塔であり、貴重な戦力だろう」
「……うわぁ」
「今は五天星の座を狙う挑戦者の相手で忙しいだろうが、君の実力が学園中に知れ渡り、挑戦者がいなくなった時……今度は各クラブからの熾烈極まる勧誘合戦の的になるだろう」
待ち伏せ、つきまとい、甘言、時には強引な手口。
優秀な人材を巡るクラブ間の争いは、時に血みどろの様相を呈することもあるらしい。
「だから、どこでもいい。自分が所属するクラブを先んじて一つ決めておき、その傘下に入った方が無難だね。そうすれば他のクラブも手出しができなくなる」
「うへえ……わかりました。被害が大きくなる前に適当なところを探しておきます」
マリエルは心底うんざりした表情で渋々了承した。
神界への復讐という壮大な目標を掲げているはずなのに立ちはだかる障害が「学生の部活動の勧誘」というあまりにもスケールの小さい、しかし物理的に非常に鬱陶しい問題であることに、どうしようもない疲労感を覚える。
「それがいい。……さて、皆の顔も合わせられたし、今日はそろそろお開きにしようか」
クリストフが懐中時計を確認し、立ち上がった。
「五天星の集まりは基本的には義務ではない。自分の研鑽や時間を優先してくれて構わないよ。ただ、こうして情報交換をしたり、学園の運営に関わる話し合いをしたりするために、たまに集まることがある。できれば来てくれると嬉しい」
クリストフの言葉には強制するような圧力はない。
純粋に仲間として交流を持ちたいようだ。
「わかりました。予定が合えば、なるべく来るようにします」
マリエルも立ち上がり、軽く会釈をする。
神界の連中とは違う。
彼らは、確かに少し癖が強くて面倒なところもあるが、根は善良で、それぞれの信念を持って魔法と向き合っている若者たちだ。
適度な距離感を保ちつつ、利用できる特権や情報は最大限利用させてもらおう。
サロンの重厚な扉が開かれる。
マリエルは今日得た新しい情報である『外部見学』による大教会への潜入と『クラブ』という名の厄介事の回避方法を頭の中で整理することにする。
神界への反逆の糸口は、この平和で騒がしい学園生活の延長線上に確かに見え始めていた――。




