編入生と新たな立場
その後の顛末は、ある意味で魔法学園の歴史に残る異例の事態となった。
演習場で頭を氷漬けにされて昏倒した『五天星』の第五位、ローランド・ベルディア。
彼は目を覚ました後、学園の教員会議によって「半年の停学」という重い処分を下された。
処分の理由は「試合終了後、かつ背を向けた無防備な相手に対し、殺傷能力の高い攻撃魔法を放とうとしたこと」である。
学園側はこれを重く見た。
いくら貴族の令息であり、優秀な魔力を持っていようとも、感情に任せてルールを無視して他者の命を脅かす行為は決して看過できない。
「攻撃魔法を扱うに相応しい人格と自制心に疑問の余地がある」と判断されたローランドは停学期間中、魔力を一時的に封印する特殊な腕輪を嵌められ、王都の修道院で倫理と道徳の再講習をみっちりと受けることになったという。
一方、ローランドの理不尽な攻撃によって重度の火傷を負っていたセリアは、待機していた最高峰の治癒術師たちの手によって文字通り全く問題なく回復していた。
傷跡一つ残らず、翌朝にはケロリとした顔で普段通りに教室に現れたのだ。
さらに、彼女の実技試験の評価は予想外に高かった。
「圧倒的な格上を相手に最後まで戦意を喪失せずに食い下がった精神力」と「限られた魔力の中で身体能力強化を維持し続けた持久力」が評価され、実技の点数は大幅に加点されていたのである。
とはいえ、当のセリア本人は包帯ぐるぐる巻きの姿から一晩で全快したとはいえ「一方的にいたぶられて点数を貰っても、あんまり嬉しくないかも……」と、微妙な顔をして首を傾げていたが。
そして、この騒動の最大の台風の目となったマリエル。
彼女の評価は、文句なしの「満点」だった。
『初級魔法のみという極めて限定的な出力条件でありながら、常識を覆す高度な魔力操作と制御技術を用いて、高位の貴族魔法使いを無傷で撃破した』
この前代未聞の戦果は教師陣の度肝を抜き、彼女を筆記・実技ともに「学年一位」の玉座へと押し上げたのだ。
――数日後。
平民用の教室でマリエルは自分の机に突っ伏し、深いため息を漏らしていた。
「……やりすぎた」
目立たず、穏便に学園生活を送り、大教会の情報を探る。
その当初の計画は、あの一瞬の感情の爆発によって完全に崩れ去ってしまった。
今や彼女は平民クラスの星であると同時に、貴族クラスからは底知れぬ化け物として畏怖と警戒の眼差しを向けられる存在となっている。
「まーまー、そんな落ち込まないでよ。でも、本当に凄いよマリエル! あの五天星を無傷で倒しちゃうなんて!」
隣の席でセリアが興奮気味にマリエルの背中をバンバンと叩く。
彼女の瞳はキラキラと輝き、親友の快挙を自分のことのように喜んでいた。
「いやあ……セリアがあんな風にやられてるのを見たら、つい頭に血が上っちゃってさ。本当に後先考えずに動いちゃったよ」
マリエルは机に頬をつけたまま、申し訳なさそうに視線を彷徨わせる。
「へへへ。でも、マリエルが私のためにあんなに怒って助けに来てくれたのは……凄く嬉しかったなあ。本当に、ありがとね」
セリアは少しだけ頬を染め、照れくさそうに笑いながらマリエルの頭を優しく撫でた。
「ん……」
その真っ直ぐで温かい言葉と手の感触に、マリエルの心臓がドクンと跳ねた。
彼女はゆっくりと顔を上げ、セリアの屈託のない笑顔を見つめる。
(あれ? これ、もしかして……凄く良い雰囲気なのでは?)
マリエルの脳内でズレた計算式が猛烈な勢いで弾き出される。
助けられたことへの感謝。
物理的なスキンシップ。
そして、この温かい空気。
(今なら……! 今なら「私と友達になってください」って友人申請をしても、絶対に断られないし、重いって引かれたりもしないのでは……!?)
セリアの中では、すでにマリエルは「命の恩人」であり「最高の親友」という絶対的なポジションに収まっているのだが、コミュ障をこじらせている元神人の少女は未だに正規の契約手順を踏まなければ友情は成立しないと思い込んでいた。
相変わらず頭は良いが、どこか残念な子である。
「あ、あのさ、セリア」
マリエルは居住まいを正し、少し上ずった声で切り出す。
緊張で手汗が滲み、心臓の音がうるさいほどに鳴っている。
「ん? なに?」
セリアが小首を傾げ、大きな瞳でマリエルを見つめ返す。
「私と、と、と、とも……」
「とも?」
言え。言うんだ、私。
「友達になって」と、その一言を放つだけだ。
神界のクソみたいな連中に啖呵を切るよりも遥かに勇気がいることだけれど。
マリエルが意を決して息を吸い込んだ、その瞬間。
「おーい、マリエル。お前に客が来てるぞ」
教室の入り口から、男子生徒の間の抜けた声が響き渡った。
「……客?」
マリエルの口から漏れ出しかけていた「友達」という言葉は、無情にも宙に霧散した。
彼女は深いため息を一つ吐き出し、立ち上がって教室のドアへと向かう。
廊下に出ると、そこには異質な空間が形成されていた。
周囲の平民生徒たちが遠巻きに様子を窺う中、一人の貴族令嬢が壁に背中を預けて優雅にポーズを取っていたのだ。
縦ロールに巻かれた金髪、フリルがふんだんにあしらわれた特注の制服。
手には羽扇子を持っている。
令嬢は扇子をパチンと閉じ、マリエルを値踏みするように見下ろしてきた。
「あなたが、編入生のマリエルさんね?」
「そうですけど……何かご用ですか?」
マリエルが怪訝そうに眉をひそめると、彼女の背後からついてきたセリアが、ヒッと短い悲鳴を上げた。
「あ、あなたはまさか!」
セリアは袖を強く握りしめ、震える声で叫ぶ。
「五天星の第四位! 『旋風姫』のリーズリット様!」
「ふふ、私のことを知っているのね。平民にしては耳が早いじゃない」
リーズリットと呼ばれた令嬢は、満足げに微笑んで扇子で口元を隠す。
「……その『旋風姫』って、何?」
マリエルは、あまりにも痛々しい響きの言葉に思わず顔を引きつらせてセリアに耳打ちした。
「二つ名だよ? 五天星に選ばれた人には、みんな学園から公式に与えられるんだよ。ちなみにルカ君は『闇の貴公子』で、こないだマリエルが倒したローランドは『炎帝』なんだから!」
「ええ……」
マリエルは頭を抱えたくなった。
五天星というネーミングだけでも十分きついのに、一人一人にそんな仰々しい二つ名まで設定されているとは。
この学園のネーミングセンスは一体どうなっているのだろうか。
「残念。その情報は少し古いわね。ローランドは今回の一件で五天星から降ろされることが決まったから、今はただの無名の魔法使いよ」
リーズリットが冷ややかに、しかしどこか楽しげに訂正を入れる。
「あ、そうなんですね」
「やっぱり、マリエルに負けたからですか?」
セリアの問いに、リーズリットは優雅に頷く。
「その通りよ。五天星は入れ替え制。公式の御前試合や教師または他の五天星の立ち会う実技の場において下位の者が上位の者を打ち負かした場合、負けた者は潔くその席を譲るのが絶対のルールですもの」
「へー……ん? 入れ替え制?」
マリエルは嫌な予感がして、ピクリと眉を動かした。
「じゃあ、やっぱり、まさか!」
セリアが何かを察し、目を輝かせる。
「そのまさかよ! マリエルさん!」
リーズリットは扇子でビシッとマリエルを指差した。
「先日の圧倒的な勝利。そして実技と筆記共に学年一位の成績。役員会での満場一致の結果……あなたを新たな五天星の第五位として認めましょう!」
「辞退していいですか」
マリエルは即答した。
食い気味のかつ迷いもない拒絶である。
そんな面倒くさくて恥ずかしい名前の組織に入るなど、絶対に御免だ。
だがリーズリットは扇子を下ろし、極めて真面目な顔で首を横に振った。
「無理ね。これは学園の校則にも明記されていることよ」
彼女は暗記している条文を、すらすらと詠み上げる。
「『五天星は入れ替え制であり、勝者は敗者の席に座ること。在学中は他のあらゆる代替手段や辞退を認めない』とね」
「本当に公式の組織なんですね、それ……」
マリエルは絶望的な表情で天を仰いだ。
どうやら学生同士の自治組織やノリで作られたものではなく、学園のシステムとしてしっかりと組み込まれているらしい。
「怪我による長期入院や退学、卒業など、やむを得ない事情がある時は後継者を指名して席を降りることもできるけど……あなたは健康そのものだし、退学する予定もないでしょう? だから無理ね。諦めなさい」
「うわあ……これは逃げられなさそうだ」
マリエルの肩が、がっくりと落ちる。
目立たず平穏に過ごすという計画はここにきて修復不可能なレベルで粉砕された。
「そんなに嫌そうな顔をしないでちょうだい。五天星になれば素晴らしい利点もたくさんあるのよ?」
リーズリットがマリエルの機嫌を取るように甘い言葉を並べ始める。
「まず、学食のメニューが無料で食べ放題になるわ。それから本来なら平民は立ち入り禁止の貴族棟や専用のサロンへの入場許可。進学や就職先の優先斡旋。そして書庫の閲覧権限等も与えられるわ」
「……書庫の閲覧、ですか」
マリエルがピクリと反応した。
その変化を見逃さずリーズリットは畳み掛ける。
「ええ! 学園の歴史だけでなく、失われた古代魔法の書物や世界の真理について書かれた禁書だって読むことができるわ。それに学園内に留まらず、大教会の中枢資料室や王城の高位貴族用書庫なんかにも、五天星の身分証があれば自由に立ち入りが可能になるのよ!」
本来であれば、それは魔術のより高度な研鑽を積むための未来の国家の重鎮に向けた特別措置である。
だが、マリエルの目的は魔術の探求などではない。
(大教会の、中枢資料室……!)
マリエルの脳内でパズルのピースがカチリと音を立ててはまった。
大教会に潜り込むための口実と権限が、向こうから勝手に転がり込んできたのだ。
そこに行けば神界へと続く何らかの手がかり、あるいは神人との通信手段が見つかるかもしれない。
(これは……神界への道を探るためのショートカットになるかも……?)
マリエルは小さく息を吸い込み、そして諦めと決意が入り交じった長いため息を吐き出した。
「……わかりました。その席、お受けしましょう」
「よかったわ。歴代の五天星は貴族が在籍することが多いから、平民の方に素直に受けていただけるかどうかわからなかったけど……これで私の肩の荷も下りたわね」
リーズリットは安堵したように微笑み、懐から小さな包みを取り出した。
「はい、これ。五天星の証である紋章のワッペンと腕章よ。学園内にいる時はできれば両方付けててね。最悪、どちらか一つでもいいから見えるところに着けておく義務があるわ」
「あ、はい。ありがとうございます」
マリエルが受け取ったのは金糸で五つの星が刺繍された、やけに豪華な意匠のワッペンと腕章だった。
それと一緒に厚手のカードが手渡される。
「……この紙は?」
「あなたの二つ名が書かれた任命書よ」
リーズリットは少しだけ誇らしげに、そして芝居がかった手振りで宣言した。
「魔法の特性と、あなた自身の可憐な容姿から教師陣と生徒会の協議によって決定されたわ。あなたの二つ名は……『水精姫』。清らかで冷たい水の精霊の姫、という意味よ!」
「……っ!」
マリエルの顔が一瞬で引きつった。
隣でセリアが無邪気に目を輝かせて拍手をする。
「凄い! かっこいい二つ名だね、マリエル!」
「ど、どうも……」
マリエルは引きつった愛想笑いを浮かべながら、任命書を震える手で受け取った。
(二つ名はいらねええええええ!! 恥ずかしすぎるだろ、なんだよ水精姫って!!)
マリエルは心の中で血の涙を流しながら絶叫した。
神界での『混ざりもの』という蔑称も最悪だったが、この『水精姫』という全身から変な汗が噴き出しそうなほど恥ずかしい称号も、ある意味でそれに匹敵する精神的苦痛である。
蔑称ではなく称賛の意味で付けられているからギリギリマシ、というレベルだ。
正直こっちは返還したい。
こうして。
神界への復讐を誓う元神人の少女は。
少々不本意ながらも五天星の第五位『水精姫』マリエルとして、その圧倒的な実力と共に魔法学園の頂点の一角に君臨することとなるのであった――。
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