神人の少女と神界追放
新作投稿です。
女主人公の追放からの無自覚チート復讐ものです。
ヒーローの登場は2章学園編からとなりますのでしばしお待ちください。
世の中は、割とクソだとマリエルは感じている。
天空の遥か彼方、厚い雲海を抜けた先に広がる不可視の領域『神界』。
下界の人間たちからは、神々が住まう理想郷、あるいは世界法則を管理し滞りなく運用するための知識の宝庫として語り継がれている場所だ。
争いなど存在せず、清らかな笑顔と慈愛に満ちた光が溢れる天の園。
選ばれし清廉な魂のみが、死後に天へ上がることを許される。
下界の教会では、大抵そのようなお伽話のような教義が説かれていると聞く。
透き通るような白亜の広場。
魔力によって半永久的に維持された巨大な噴水からは、水晶のように澄んだ水が心地よい音を立てて流れ落ちている。
頭上にはどこまでも高く青い空が広がり、流れる魔力のきらめきがプリズムのように大気を彩っていた。
景色は確かに神々しいまでに美しい。
だが、そこを行き交う住人たちの心根は、建物の白さとは裏腹に酷く濁っていた。
「おい、ありゃ『混ざりもののマリエル』じゃないか」
広場を通りすがった神人の男の、隠そうともしない嘲笑がマリエルの耳を打つ。
「ほんと。昔、定期的に下界に出るとかいう魔王を倒したからって、傲慢にも天へ上がることを望んだ勇者との子ですってよ」
隣を歩く神人の女が、豪奢な扇子で口元を隠しながらくすくすと笑い声を漏らす。
神界の住人――神人たちは皆、頭上に淡く光る『天輪』を戴き、背中には魔力で構成されつつ物質的でもある純白の『光翼』を背負っている。
彼らは途方もなく長命であり、生まれながらにして高い魔力と彫刻のような美貌を持つ。
それゆえに、自分たちを絶対的な上位存在であると信じて疑わない。
下界の人間など、あっという間に死に絶える短命で愚かな下等生物だと本気で見下しているのだ。
「人間との混ざりもの女か。汚らわしいよな。身の程を知れっての」
「おまけにチビでちんちくりん。嫁の貰い手もないだろ」
マリエルは彼らの声が聞こえないふりをして、無表情のまま歩幅を変えずに歩き続け、内心で毒づきながら小さく息を吐き出す。
(毎日ピーチクパーチクうるさいな)
マリエルの容姿は、確かに他の神人たちとは異なっていた。
長身で流麗なプロポーションを誇る神人たちの中で彼女の背丈は明らかに小柄だ。
顔立ちも冷ややかで神秘的な美しさというよりは人間寄りの親しみやすい造形をしている。
つまりは「ちんちくりん」だ。
所詮はいつものこと。
耳を塞ぎ、無視することには慣れている。
いちいち腹を立てていては、この階級と純血主義に凝り固まった神界で生きていくことなどできない。
マリエルは視線を真っ直ぐ前に向け、彼らの存在を意識から消去しようとした。
――その言葉が出るまでは。
「『天輪』と『光翼』の色も見てよ。くすんでいるわ。純血の証である透き通るような純白じゃない。あんな汚い色の羽を広げて歩くなんて、恥ずかしくないのかしらね」
ピタリ、と。
マリエルの足が止まった。
身体の奥底からドス黒い熱が急速に沸き上がってくる。
頭の芯がカッと熱を帯び、視界の端が赤く染まった。
容姿を馬鹿にされるのはいい。
人間とのハーフである「混ざりもの」と呼ばれて蔑まれるのも、百歩譲って我慢しよう。
だが。
彼女の背中にある『光翼』と頭上の『天輪』。
その「色」を侮辱することだけは、絶対に許せなかった。
マリエルは無言で振り返る。
そして嘲笑を浮かべていた女の目の前まで音もなく歩み寄った。
「え……な、なに……?」
女が怪訝そうに眉をひそめた、次の瞬間。
マリエルは訝しむ女に向かって言い放った。
「『天輪』と『光翼』の色差別は、神界法において明確に禁じられていますよ。法律もご存じない? 無教養ですね」
神界法。
それは神人において絶対の掟。
いかに人間との混血であっても、与えられた天輪と光翼の色で優劣を決めることは、神界の秩序を乱す行為として厳しく禁じられているのだ。
「む、無教養ですって……」
「無教養でなければ無知ですか? 少しは本を読まれるとよろしいかと。では失礼」
マリエルはそれだけを言い捨てると踵を返す。
衆目の中で恥をかかされた女が憎悪に満ちた目でマリエルの背中を睨みつけているのが背中越しにもわかった。
だが、振り返る気はない。
周囲に集まり始めた他の神人たちのざわめきを背に、マリエルは足早にその場を立ち去った。
◆◆◆◆
「マリエルくん」
広場から少し離れた静かな回廊。
柱の陰から穏やかな声がかけられた。
マリエルが足を止めると、そこには見知った老齢の神人が立っていた。
長く伸びた白い髭と、威厳と優しさを併せ持つ深い瞳。
彼こそはフーラース。
この辺り一帯の区画を管理している責任者であり、マリエルにとって数少ない理解者の一人だ。
「フーラース神人長」
マリエルは居住まいを正し、深く頭を下げる。
フーラースはゆっくりと歩み寄り、困ったような、しかしどこか慈しむような笑みを浮かべた。
「あまり相手を小馬鹿にする真似はいけませんよ」
「……見られていましたか」
マリエルはバツが悪そうに視線を逸らす。
「ええ。一部始終をね。君の気持ちもわかりますが、あのように公衆の面前で相手に恥をかかせれば君自身の立場を悪くするだけです」
「すみません。ですが……『天輪』と『光翼』を馬鹿にされると、つい」
マリエルは自身の背中に視線を向ける。
そこに展開されているのは、純血の証たる純白ではない。
オレンジ色と薄紅が混ざり合ったような、夕暮れ時、あるいは朝焼けのような暖かな色合いの光翼だ。
「……君のその色は、とても美しいと思うのですがね」
フーラースは優しく目を細め、深く息を吐き出した。
「困ったものですね。いえ、マリエルくんのことではなく……この神界に蔓延る風潮が、です」
彼は回想の彼方を見つめるように、回廊のアーチから見える雲海へと視線を向ける。
「天にあり、世界法則を管理している。その自負が高すぎるせいか、若い世代を中心に傲慢さが強まってきている。純血を尊び、人間に対する差別意識は日に日に酷くなるばかりだ。なんとかしたいのですが……」
「……そうですね。特に最近は、下界でも神人の実在を疑う動きも出てきていると聞きますし」
マリエルが言葉を添える。
神界が下界に干渉する頻度が減り、傲慢にふんぞり返っている間に人間の側も神々への信仰を失いつつある。
「その通りです。神界は下界の管理を行っている。しかしそれは下界を軽んじて良い理由になりはしない……今の神界の者たちは、その基本すら忘れてしまっている」
フーラースは杖を床にコツンと突き、真っ直ぐにマリエルを見据えた。
「私はね、マリエルくんに期待しているのですよ」
「私に、ですか」
マリエルは驚いて目を見開く。
落ちこぼれで混ざりものと蔑まれている自分に、神人長が期待しているなどと。
「ええ。あなたは神人と人間の間に生まれた稀有な子だ。人間としての脆さや温かさを知りながら神人としての力も持っている。互いへの差別意識もなく、フラットな目線で世界を見ることができる。いずれ神界と下界の双方への架け橋になってくれるのではないか、とね」
その言葉はマリエルの胸の奥にじんわりと染み渡った。
いつも冷たい視線ばかりを浴びてきた彼女にとって、これほど温かく、そして重みのある評価は初めてだった。
「……光栄です」
マリエルは声の震えを隠すように、深く頭を下げる。
「高位神人試験も、もうすぐですね」
フーラースがにっこりと微笑む。
「それが合格すれば、私直属の部下にしようと思っています」
「えっ……」
マリエルは勢いよく顔を上げた。
高位神人。
それは神界において明確な権限と地位を与えられる、一つの到達点だ。
そして神人長の直属となれば、その権威は絶大なものとなる。
「言ったでしょう? 私は君に期待していると」
フーラースはマリエルの肩を優しく叩いた。
「それに私の直属になれば、あの広場にいたような者たちが『混ざりもの』などと表立って君を侮辱することは誰もできなくなりますよ」
「フーラース神人長……!」
マリエルの瞳の奥が熱くなる。
それは単なる地位の約束ではない。
彼女を不当な差別から守り、その能力を正当に評価するという彼なりの最大限の庇護の申し出だった。
「こ、光栄です! 必ず、期待に応えてみせます!」
「ふふふ。試験、頑張ってくださいね。結果を楽しみにしていますよ」
「はい!」
力強く頷くマリエルを見てフーラースは満足そうに微笑み、そして静かに回廊の奥へと去っていった。
残されたマリエルは、きゅっと両手を握りしめる。
希望の光が、明確な形となって目の前に提示されたのだ。
這い上がれる。
このクソみたいな現状から、自分の力で。
◆◆◆◆
誰もいない家に戻ると、静寂がマリエルを包み込んだ。
神界の居住区の外れにある、こぢんまりとした家。
立派な装飾などはないが隅々まで掃除が行き届いており、生活の匂いがする空間だ。
「はぁ……」
マリエルは靴を脱ぎ、ソファに深く身体を沈めて長いため息を吐いた。
緊張の糸が切れ、どっと疲労が押し寄せてくる。
部屋の壁には小さな写真立てが飾られている。
そこに映っているのは優しく微笑む男女の姿と、彼らに抱かれた幼い日のマリエルだ。
両親は、とうに他界している。
勇者たる父は下界から天へ上がるという偉業を成し遂げたが、その本質はあくまで人間であった。
神人との寿命差により、マリエルがまだ幼い頃に人間の寿命を全うしてこの世を去った。
母マーズは純血の神人であった。
環境維持という過酷で危険な任務に就いており、数年前に下界の魔力異常を鎮めるための任務中に命を落とした。
愛する夫の故郷である下界を守るため、自らの命を懸けたのだ。
マリエルは写真立てを手に取り、その表面を指先でそっと撫でる。
母の顔を見つめていると幼い日の記憶が鮮明に脳裏に蘇ってきた。
――まだ、マリエルが自分の背中の羽の色を不思議に思っていた頃のことだ。
ぽかぽかとした陽光が差し込む庭で、マリエルは母の膝の上に座っていた。
『おかあさん』
幼いマリエルは自分の背中から生える光の羽と、母の背中にある純白の羽を見比べて尋ねた。
『どうして私の『天輪』と『光翼』の色が、みんなと違うの? みんなは真っ白でキラキラしてるのに、私のはなんだか色がついてる』
周囲の神人の子供たちにからかわれ、少し泣きそうになっていたマリエルの頭を母マーズは優しく撫でた。
その手はとても温かく、微かな花の香りがした。
『お父さんが人間だからね。きっとマリエルは、他の子と少し違うのね』
母の言葉にマリエルは俯いた。
違うこと。
それが神界においてどれほど疎外感を生むか、子供心に感じ取っていたからだ。
『じゃあ、変な色なの……?』
不安げに問うマリエルを母マーズはぎゅっと強く、愛おしそうに抱きしめた。
母の胸の鼓動が、マリエルの耳に心地よく響く。
『そんなことないわ。私は好きよ』
母はマリエルの背中に触れ、そのオレンジと薄紅が混ざったような光翼を見つめて、本当に嬉しそうに微笑んだ。
『朝焼けの色。……なんだか、とても温かい色だもの』
朝焼け。
暗い夜を終わらせ、世界に新しい一日の始まりを告げる希望の色。
母はマリエルの存在そのものを、その色に重ねて愛してくれていたのだ。
――記憶の残滓が、マリエルの胸を締め付ける。
「母さん……」
マリエルは写真に向かって、ぽつりと呟いた。
「もうちょっと、頑張るよ。もう少しで高位神人になれる目途が付いたんだ」
高位神人とは単なる役職ではない。
誇り高く節度があり、教養と高い魔力を持つ神人だけがなれるという実力と人格の証明。
それができれば、両親の愛したこの世界で、自分も胸を張って生きていけるはずだ。
「フーラース様からも言われたんだ。期待しているって。私のこの『混ざりもの』の血が架け橋になるって」
マリエルは写真立てを元の場所に戻し、ぐっと前を向いた。
「だから……見守っていてほしい」
彼女の瞳には強い決意の光が宿っていた。
試験は近い。
必ず合格し、自分を馬鹿にした連中を見返してやる。
そしてフーラースの元で、この神界を少しでも良い場所にするのだと。
だが、マリエルは知らなかった。
彼女のそのささやかな、しかし切実な希望が悪意によって無惨に踏みにじられる日が、すぐそこまで迫っていることを。
◆◆◆◆
数日後。
神界の中央に位置する、巨大な円形闘技場のような構造を持つ『裁定の間』。
普段は重大な法案の決定や、風紀を乱す者の大規模な弾劾に用いられるこの神聖な場所にマリエルは一人、罪人として引きずり出されていた。
周囲のすり鉢状の観客席には無数の神人たちが詰めかけている。
彼らの視線は一様に冷たく、好奇と嘲笑に満ちていた。
誰もが、この「混ざりもの」がどのような裁きを受けるのか、見世物として楽しんでいるのだ。
中央の裁定台には見下ろすように二人の神人が立っている。
一人は煌びやかな法衣を身に纏い、傲慢な笑みを浮かべる神人の男、ユーバフ。
彼はこの区画において、風紀維持と下位神人の管理権限を持つ高位神人だ。
そしてもう一人は先日マリエルが広場で恥をかかせたあの神人の女。
「私は、あの女に突然頬を殴られたのです! ユーバフ様!」
女神人が悲劇のヒロインを気取って大げさに叫ぶ。
目元には嘘くさい涙まで浮かべていた。
ユーバフは芝居がかった手振りで、大げさに天を仰ぐ。
「なんたる愚行! 高位神人に対し、あまりにも無礼な振る舞いだな!」
「なっ……」
マリエルは足元を縛る魔力の枷に抗いながら、驚愕に目を見開いた。
(あいつ、高位神人だったのか……!)
ただの意地悪なバカ女だと思っていたが、まさか高位の特権階級に属する者だったとは。
だが、今はそんなことに驚いている場合ではない。
「いや、それよりも!」
マリエルは声を張り上げ、裁定台を睨みつける。
「私はあの女を殴っていないし『天輪』と『光翼』の色差別をされました! 色差別は神界法違反でしょう!? 法律を破ったのはそちらが先です!」
自らの正当性を主張するマリエルの言葉が裁定の間に響き渡る。
しかし、ユーバフの顔に浮かんだのは冷酷な嘲笑だった。
「何を言う! 高位神人たる彼女が、そのような低俗な真似をするはずがない!」
ユーバフは隣の女神人に視線を向ける。
「なあ、アミアン。そうだろう?」
アミアンと呼ばれた女神人は、すんっ、と澄ました顔を作って答えた。
「ええ。私はそのようなことは一切しておりません。広場を歩いていただけなのに、突然何が気に入らなかったのかマリエルさんは恐ろしい顔で私に殴りかかり……」
彼女は怯えたように身体を震わせてみせる。
完璧な被害者の演技だ。
「そんな馬鹿な! でっち上げだ!」
マリエルは鎖を引きちぎらんばかりに暴れる。
「あの日、広場には大勢の人がいた! 他にも目撃者はいるはずです! 誰か、彼女が私を侮辱したのを聞いた者はいないのか!?」
マリエルは必死に周囲の観客席を見渡す。
あの時、噴水の周りには何人もの神人がいたはずだ。
事実を証言してくれる者が一人くらいはいるだろう。
だが。
「……」
「……」
観客席の神人たちは皆一様に口を閉ざしていた。
視線を逸らす者。
扇子で口元を隠し、ニヤニヤと笑う者。
誰も、何も言わない。
純血の神人たちが、混ざりもののために高位神人であるアミアンやユーバフを敵に回す理由など欠片も存在しないのだ。
むしろ不快な異物が排除されるこの状況を、暗黙の了解で支持している。
混ざりものには誰も手を貸さない。
それがこの神界の腐りきった真実だ。
「……ッ!」
マリエルは絶望に唇を噛む。
血の味が口の中に広がった。
孤立無援。
完全に嵌められたのだ。
「……! フーラース様! フーラース様にお目通りを!」
マリエルは最後の希望にすがる。
彼なら、彼だけなら、この理不尽な状況を正してくれるはずだ。
彼は、あの現場を目撃していたと言っていた。
「彼も目撃しているはずです! 彼を呼んでください!」
マリエルの悲痛な叫びに対し、ユーバフは口角を吊り上げた。
「フーラース様は昨日より他の区域の視察に出ておられる。当分は戻らない」
「……!」
マリエルの心臓が、ドクンと嫌な音を立てた。
「残念だったな、マリエル」
ユーバフの目には獲物を完全に追い詰めた歓喜が宿っていた。
(こいつ……! それを狙って……!)
偶然ではない。
フーラースが不在になるタイミングを把握し、その隙を突いてこの弾劾裁判を仕組んだのだ。
これは単なるアミアンの腹いせではない。
フーラースの派閥に属し、彼に目をかけられているマリエルを排除することで、フーラース自身の力をも削ごうという、ユーバフの政治的な陰謀でもあったのだ。
「さて、証人もおらず、言い逃れもできまい。高位神人たる俺が、この神聖なる裁定の間において公正に判決を下す」
ユーバフは右手を高々と掲げ、宣告する。
「マリエルの、高位神人アミアンに対する暴行罪は許すまじ。神界の秩序を乱した罪により、これより『天輪』と『光翼』剥奪の後に下界追放処分とする!」
「なっ……!?」
観客席から、おおっ、というどよめきが上がる。
それは驚きというよりは残酷なショーのクライマックスを歓迎する歓声に近かった。
天輪と光翼の剥奪。
それは神人にとって文字通り魂の一部を引きちぎられるに等しい。
魔力の源を絶たれ、神界の住人としての尊厳を破壊されるのだ。
その上で、見下していた下界の地で、ただの無力な人間として生きることを強要される。
死よりも重い最大の極刑である。
「そんな馬鹿な! 裁判もまともに行わずに、一方的に……!」
マリエルは叫ぶが、その声はユーバフの命令によってかき消された。
「連れていけ。目障りだ」
ユーバフが指を鳴らすと裁定台の背後から筋骨隆々の執行官の神人たちが現れ、マリエルを取り囲んだ。
「やめろ! 触るな!」
マリエルは必死に抵抗するが、魔力の枷で自由を奪われた身体では屈強な執行官たちの力に抗う術はない。
両腕を太い腕で押さえ込まれ、無理やり大理石の床に膝をつかされる。
「やめて! やめて! やめ……!」
一人の執行官が、マリエルの頭上に手を翳す。
そして、彼女の存在証明であるオレンジ色の『天輪』を、無慈悲に鷲掴みにした。
『でも私は好きよ。朝焼けの色。なんだかとても温かい色だもの』
脳裏に母の優しい声がフラッシュバックする。
母が愛してくれた色。
両親が私に残してくれた、たった一つの宝物。
「嫌ぁぁぁっ!!」
ガラスが砕け散るような、甲高い破砕音。
マリエルの頭上から、天輪が強引に引き剥がされた。
「あ、が……ッ!」
脳髄を直接えぐられるような激痛。
視界が白く明滅し、呼吸の仕方がわからなくなる。
だが、拷問は終わらない。
執行官の容赦ない手が、今度はマリエルの背中に展開された『光翼』の根元に食い込んだ。
メリッ、ベキベキベキッ!!
魔力の結びつきを物理的に引きちぎる、肉の裂けるような音。
背中から、灼熱のマグマを流し込まれたかのような激痛が全身を駆け巡る。
力の喪失感。
身体の奥底から、自分が自分であった要素がゴッソリと抜け落ちていく感覚。
だが、肉体的な痛み以上にマリエルの心を破壊したのは、母との繋がりを完全に断ち切られたという絶望だった。
「あああああああああああああああああああっ!!!」
マリエルの喉から、血を吐くような絶叫が迸った。
それは獣の悲鳴のように裁定の間全体に響き渡る。
涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら、マリエルは床に突っ伏して慟哭した。
その無惨な姿を見下ろし、ユーバフは鼻で笑う。
「ふん。元々、混ざりものなどこの神聖なる神界には不要なのだ。分をわきまえぬからこうなる」
アミアンもまた、歪んだ優越感に満ちた笑みを浮かべた。
「いい気味ね。身の程知らずの小娘。じゃあ、これからは下界の泥にまみれて、人間として這いつくばって頑張って生きてね。マリエルさん」
執行官が虫の息となったマリエルの襟首を掴み、裁定の間の端にある、雲海へと続く巨大な穴――「奈落の門」へと引きずっていく。
抵抗する力は、もう残されていない。
穴の縁まで引きずられ、無造作に放り出される。
背中から重力が消えた。
足元が消える感覚。
自分が生まれ育った天から、見知らぬ下界へと落とされていく。
ごうごうと耳元で風が唸る。
急速に遠ざかっていく白亜の神界。
見下ろしてくるユーバフとアミアンの、嘲笑に満ちた顔が小さくなっていく。
マリエルは薄れゆく意識の中で、血の滲むほど強く奥歯を噛み締めた。
失われた背中の痛みよりも、さらに熱く、ドス黒い炎が腹の底で燃え上がっている。
「絶対に……絶対に生き延びて……!」
落下していく風圧の中で、マリエルは天に向かって魂の底からの呪詛を叩きつけた。
「お前らに、目にもの見せてやるからなあああああああああああ!!!!」
その絶叫は厚い雲海に飲み込まれ、やがて誰の耳にも届かなくなった。
光を失い、力を奪われ、すべてを理不尽に剥奪された少女の落下は続く。
そして彼女は下界の泥にまみれながら、一人の人間として生きることとなる――。
面白そうだと思ったら下記より評価やブクマ等よろしくお願いします!




