第5話『ゴルフってなんですか?』
―冒頭:到着、そして困惑―
辺境の地にある小さな村。その光景は、王都の華やかさとはまるで別世界だった。
土埃舞う乾いた大地。石を積んだだけの粗末な家々。井戸の水をくみ上げる老婆と、薪を背負う子どもたち。剥き出しの生活がそこにあった。
そんな村に、場違いな馬車が一台、軋んだ音を立ててやってくる。王都製の上等な木材に、磨かれた金属の装飾。誰がどう見ても、貴族のものだった。
馬車が止まると、ゆっくりと扉が開き――
最初に現れたのは、銀髪の美少女メイド・エミリア。まるでガラス細工のように整った容姿に、村人たちの視線が集中する。
続いて現れたのは――
「……ふむ、想像以上に荒れているわね」
白い日傘を肩にかけ、涼しげな目元で辺りを見渡すのは、一人の少女。
ふわりと風に揺れるのは、王都貴族の証ともいえる洗練されたドレス。ブーツのかかとが、乾いた大地を小さく鳴らす。
その美しい少女を見て、村人たちはざわついた。
「……あれは、王都の服じゃないか?」
「まさか、噂の……追放されたっていう貴族か?」
「何しに来たんだ、こんなところまで……」
警戒の視線が向けられる中、当の少女――コーデリア・フォン・ベルリオーズは、まったく動じる様子もなく、ひざを折って地面に手を触れた。
サラリ、と指先で土をすくい、匂いを嗅ぎ、目を細める。
「この土質……ふふっ。パッティング練習に適しているわね」
「……は?」
その場にいた全員が、思わず声を上げた。
「な、何を言ってるんだ、この人は……」
「パッティング? 練習? 何の話だ?」
「やっぱり王都の人間って変わってる……」
村人たちの困惑と警戒が混ざり合う中、コーデリアは立ち上がり、満足げに笑みを浮かべた。
「エミリア、あの丘を見て。グリーンに仕立てれば面白くなりそうよ」
「……お嬢様、本当にここに住むおつもりですか?」
「ええ。最高のロケーションだわ。何より――」
彼女は、村の広場に広がる、ひび割れた赤土を見つめながら続ける。
「この土地には、未来の芝が見えるもの」
こうして、“ゴルフの伝道者”は辺境の地に降り立ったのだった。
―シーン1:ゴルフ初講義―
――翌日、村の広場。
乾いた土の広場に、老若男女が集められていた。
農具を手にしたままの男たち、子どもを背負う女性たち、無遠慮にあくびをしている若者たち。誰もが不安と好奇心を胸に、中央の“舞台”を見つめている。
その中央――。
「ふふっ、ようやく準備が整ったわ」
手慣れた様子でコーデリアが掲げたのは、一枚の古びた木板。
エミリアが苦心して切り出したそれは、即席の黒板のような役割を果たしていた。
表面に焼きごてで、彼女は大きくこう書く。
「GOLF」
「ゴ……ルフ……?」
「なんだそれ……文字か?」
村人たちが怪訝な顔をする中、コーデリアは白いチョーク片(エミリアが石灰から作った)を手に持ち、くるりと振り返った。
そして――いつものように、堂々と、演説を始める。
「皆さん、初めまして。私はコーデリア・フォン・ベルリオーズ」
村人の間にざわめきが走る。やはり王都の名家の名は知れ渡っていたのだ。
だが彼女は意に介さず、指先で「GOLF」の四文字を叩く。
「これこそが、私が皆さんに伝えたい“叡智”ですわ」
「叡智……? その木の札が?」
「ゴ……なんとか……?」
村人たちの戸惑いをよそに、コーデリアは静かに説明を続ける。
「ゴルフとは、精神と技術を鍛える、芝とボールの哲学ですわ。」
その一言で、村人の困惑が爆発した。
「せ……精神!?」
「技術って……鍬の握り方のことか?」
「“ボール”? それって武器か?」
年配の男が手を挙げて尋ねる。
「それ、投げたら爆発するんじゃねぇのか?」
コーデリアは、微笑を浮かべたまま、手元の小さな白球――ゴルフボールを高く掲げた。
それは磨かれた真珠のように輝き、今にも神聖な光を放ちそうだった。
「いいえ、これは――」
彼女は少し間を置いてから、静かに言った。
「希望を転がすものよ。」
「……は?」
「き、希望……?」
「転がす……希望……?」
広場にざわつきが広がった。
ぽかんと口を開ける者、隣の人に「聞こえたか?」と囁く者、こっそり頭を抱える者。
しかし――
その中に、ほんの一部、目を輝かせている者もいた。
それは、昨日の夕暮れに“パッティング”を見ていた、村の子どもたちだ。
「転がす……! あの球、きれいだった!」
「お姉ちゃん、また打って! もう一回見たい!」
コーデリアはその声に応じ、ふっと笑ってボールを手のひらにのせた。
「……ふふ、興味が出てきたようね」
こうして、“ゴルフの初講義”は、混乱と好奇心の中で幕を開けたのだった。
―シーン2:即席グリーンとデモンストレーション―
村人たちのざわめきが渦巻く中、コーデリアはそっと右手を上げた。
「エミリア、お願いできるかしら?」
「はい、お嬢様」
エミリアがそっと前に出ると、腰のポーチから一本の魔導杖を取り出した。白銀の装飾が施された杖の先には、翡翠のような魔石がきらりと光る。
彼女は目を閉じ、杖を掲げて詠唱を口にする。
「《緑萌えし小草よ、陽の息吹と共にここに芽吹け――グリーン・スプレッド》」
瞬間、杖からやわらかな光が放たれた。
広場の一角――石混じりの荒れ地だったはずの地面が、みるみるうちに青々とした芝生へと変わっていく。
「お、おお……!」
「草が……草が一瞬で……!?」
「魔法だ、魔法だぞ……!」
村人たちの驚きの声を背に、コーデリアはカートから一本のクラブを取り出した。細身のシャフトに、滑らかに磨かれたヘッド。彼女の動作は迷いなく、優雅で洗練されていた。
グリーンの中央に置かれた白い球。
そして、少し離れた位置には、くり抜かれた石のカップが口を開けている。
彼女はゆっくりと構えた。足を肩幅に開き、背筋を伸ばし、クラブを地面にセット。
アドレス、完璧。
空気が一瞬、張り詰める。
そして――
スッ
なめらかなスイングが描く、美しい弧。ヘッドが球を捉え、白球は真っ直ぐに転がる。
静寂の中――。
カコン。
白球は迷うことなく、石製のカップに吸い込まれた。
乾いた音が、広場全体に響く。
「…………!」
一瞬、誰も声を出せなかった。
そして――最初に動いたのは、子どもたちだった。
「すごい……!」
「なにそれ! なにその動き!」
「やってみたい!!」
興奮した子どもたちが駆け寄り、芝に座り込むようにして白球を見つめる。
「この石、まんまる……」
「棒で転がすんでしょ!? 僕、棒持ってくる!」
「わたし、石拾ってくる!」
即席の「クラブ」と「ボール」が、村の子どもたちの手で量産されていく。
棒きれ、丸い小石、そして土を掘って作ったカップ。見様見真似でゴルフの真似事――**“ゴルフごっこ”**が始まった。
最初は全然当たらず、空振りする子、転んで泣く子、石を遠くに飛ばしすぎて怒られる子。村人たちの笑い声が広がる。
「なんだ、転がらねえぞ!」
「ボールがでかすぎるんじゃないのか!?」
そんな騒がしさの中で、コーデリアは微笑んだまま、しゃがみこんだ。
そして、空振りをして肩を落とす少年に、優しく語りかける。
「腕の力じゃなくて、腰と肩で回すの。構えて、視線は球に。手元ばかり見ず、狙う先を想像して――」
少年はもう一度構え直す。
周りが見守る中――。
コツッ。
小石が、きれいな軌道で転がっていく。
「当たった……!」
子どもたちが一斉に歓声を上げた。
その中心で、クラブを手にするコーデリアの姿は、まるで**“芝の先生”**のようだった。
―シーン3:芝と魔法の手入れ―
夕方の空が、辺境の村をやわらかく染めはじめる頃。
広場の一角に広がる即席の芝地――**“グリーン”**には、楽しげな笑い声が響いていた。
「それーっ!」
「見て見て! コーデリアさんの真似〜!」
「パター! パターってこうでしょ!」
子どもたちが、棒切れをクラブ代わりにして芝の上を走り回る。
時折、小石が転がり、歓声が上がる。思わず転んで土まみれになっても、泣くどころか笑って起き上がる子ばかりだった。
――その様子を、グリーンの端でじっと見つめていたのは、エミリアだった。
「ふふっ……元気な子ばかりですね、お嬢様」
エミリアはそっと、魔導杖を構える。
芝の一角に立ち、目を閉じて集中を高めた。
「《芽吹きの理、柔らかき大地に命を宿せ――グリーン・リメイク》」
魔法陣が足元に淡く輝く。
緑の粒子が地表をなでるように走り、芝の密度が均され、色合いがより濃く、瑞々しくなっていく。
「うん、いい感じ。あと少し……《水精の息吹、乾きを癒し、根を潤せ――モイスチャー・タッチ》」
しっとりと潤った空気が漂い、芝の表面にはうっすらと露が生まれる。過剰な湿気は丁寧に取り除かれ、代わりに魔力の薄膜が葉の表面を覆っていく。
まるで、芝自身が生きているかのように、きらきらと光を放つ。
――ピコンッ!
『スキル《芝管理魔法》を取得しました。カテゴリ:《手入れ魔法》に分類されます。』
「……やりました」
エミリアは微笑み、小さく拳を握った。
同時に、子どもたちの賑やかな声がまた耳に届く。
「今度こそカップインだ〜!」
「うわっ、転がりすぎた!」
彼女はそっと視線を上げる。
広場の外れ、木陰に腰掛けている村の老人たち。そのひとり――村人Cが、目を細めながらぽつりと呟いた。
「……こんな笑顔、久しぶりに見たな」
その言葉に、隣の男も頷く。
「戦でも干ばつでも、こんなに子どもたちがはしゃぐことはなかった」
「遊びなんて贅沢だと、忘れていたな……」
やがて視線は、グリーンの中央、指導に精を出すコーデリアへと向かう。
貴族の娘。追放者。
そんな色眼鏡は、少しずつ――芝の緑の上で、溶けていこうとしていた。
夕日が長く影を伸ばす中、芝と魔法と笑い声が、村に柔らかな彩りをもたらしていた。
―:村長の独白―
村の広場に、夕暮れの赤がゆっくりと降りてくる。
空は茜に染まり、芝はまるで金色の絨毯のように光を反射していた。
その中心。
一人の子どもが、ぎこちない手つきで構えていた。
石と木の棒で作った、手製の“クラブ”。
足元には、丸く削った小石の“ボール”。
「……いきます!」
スッ、と息を吸い込んだ子どもが、手を振りぬく。
コツン――軽快な音とともに、ボールは転がり、芝をなめるようにして進む。
そして、石のカップの中へ――
「入ったああああっ!!」
「やったー!」「ナイスパットー!」
広がる歓声、飛び跳ねる子どもたち。
その様子を、ひとり離れて見つめていたのは――村長だった。
背筋は伸び、深い皺の刻まれた顔。
寡黙で知られるこの老人が、手を後ろに組み、ゆっくりと視線を巡らせる。
芝の上で走り回る子どもたち。
彼らを優しく見守る、あの金髪の貴族娘――コーデリア。
傍で魔法を操る侍女の少女――エミリア。
そして――彼は、ふと目を閉じる。
ゆっくりと、呟いた。
「……これは、ただの遊びではないな」
誰にも聞かせることのない、低い独白だった。
だがそれは、価値観が揺れたという、彼なりの確かな“宣言”でもあった。
――視線の先。
コーデリアが、広場を見つめながら静かに頷く。
風が吹く。芝が揺れる。
「フォアーーー!!」
「そっち行ったー! 返して〜!」
「次のホールは、あの木の下ねー!」
無邪気な声が、辺境の空にこだまする。
――それは、ほんの小さな始まり。
だが、間違いなく何かが動き出した音だった。
こうして、ゴルフの種は辺境の村に蒔かれた。
赤く染まる芝の上で。