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苦手な方はご注意ください。

死に戻る英雄の永劫輪廻

作者: 那王

1.栄光の終わり


走馬灯というには、あまりにも多くの出来事が脳裏を駆け巡る。

貧しい村に生まれ、食うや食わずの幼少期。

剣の才能を見出され、がむしゃらに訓練に明け暮れた日々。

仲間たちとの出会いと別れ、数えきれないほどの戦場。

やがて英雄と呼ばれ、一国の将軍にまで上り詰めた。

愛する女性と結ばれ、子宝にも恵まれた。

孫たちの成長を見守り、穏やかな晩年を過ごした。


ああ、我ながら、実に波瀾万丈で、そして幸福な人生だった。


百と五歳。

暖かい寝台の上で、家族に見守られながら、俺は静かに二度目の人生の息を引き取った。

後悔がないと言えば嘘になるが、それでも、与えられた生を全力で生き抜いたという満足感があった。大往生。そう言って差し支えないだろう。


────


2.邂逅と選択


「社長、この案件につきましては、池田部長と相談の上、来週の役員会にて──」


報告の途中で言葉が途切れた。胸に走る鋭い痛み。ネクタイを緩めようとした指が、力なく垂れる。


「藤堂君?」


社長の声が遠のいていく。目の前がかすみ、書類が床に散らばる乾いた音だけが、やけに鮮明に耳に残った。


若くして社長室長補佐にまで上り詰めた俺の一度目の人生は、こうして唐突に幕を閉じた。


────


目を覚ますと、そこは純白の空間だった。淡い光を纏った美しい女性が、俺を見下ろしている。長く艶やかな金色の髪に、吸い込まれそうなほど深い翡翠色の瞳。彼女が身にまとうドレスのような装いは、まるで神話の絵画から抜け出してきたかのようだ。


「あら、思ったよりも早いお着きですのね」


鈴を転がすような声で、彼女は言った。


「私は創造神アテナと申します。お待ちしておりましたわ、藤堂誠二さん」


「ここは…?」


意識がまだ混濁している。自分が置かれた状況が理解できない。


「あなたのいた世界の言葉で表現するなら、『あの世』とでも申し上げましょうか」


女神は優雅に微笑む。俺の困惑した表情を楽しんでいるかのようだ。


「残念ながら、あなたは過労により、若くしてその命を終えられました」


淡々と告げられる事実に、ようやく自分の死を実感する。


「ですが、これは好機かもしれません。あなたのような優秀な魂を必要としている世界があるのです。エテルニア──そこは今、英雄を求めています。あなたの才能と知恵が、その世界を救う鍵となるかもしれませんわ」


「転生…ですか?」


「その通りです。素晴らしい異世界でのセカンドライフが、今、始まろうとしています。さあ、行ってらっしゃいませ」


有無を言わさぬ口調で、女神は俺を送り出そうとする。


「待ってください。俺に選択の余地はないのですか?いきなり訳の分からない世界へ行けと言われても、はいそうですか、とは納得できません」


思わず、語気が荒くなる。


「もちろん、拒否していただいても構いませんわ。その場合、あなたの魂は分解され、新たな生命の源となるでしょう。…ですが、エテルニアは、確かに機械技術はあなたのいた世界に劣りますが、魔法が高度に発展した、文化水準も高い美しい世界ですのよ。そして何より、転生者として選ばれるのは、大変稀有なことなのです」


女神は諭すように言う。その言葉には有無を言わせぬ響きがあった。


「なるほど…」


選択肢は、実質ないようなものか。


「それと、もし転生をお選びになるのでしたら、一つだけ特別なスキルを授けましょう」


彼女が優雅に手をかざすと、目の前に眩い光の粒子が集まり、無数の文字列となって浮かび上がった。様々なスキルの名前と、その効果が記されているようだ。


「さあ、どのスキルになさいますか?」


俺は慎重に選択肢を吟味した。魔法の才能、飛行能力、剣術の極意…魅力的なスキルが並んでいる。しかし、未知の世界は危険に満ちているはずだ。一度きりの命では心もとない。


「これにします」


俺が指差したスキルを見て、女神は興味深そうに目を細めた。


「『死に戻り』…ですか。面白い選択ですわね」


「ええ。中世ファンタジーのような世界ならば、魔物や風土病、あるいは人間の争いによって命を落とす危険も多いでしょうから」


「ふふ、あなたがどのような人生を歩まれるのか、じっくりと拝見させていただきますわ。それでは、二度目の人生、存分にお楽しみくださいませ」


その言葉を最後に、女神の姿が徐々に霞んでいき、俺の意識もまた、深く沈んでいった。


────


3.終わりなき始まり


「お久しいですわね、百余年ぶりでしょうか。まさか、せっかく授けたスキルを一度もお使いにならないなんて…」


目を開けると、そこは見覚えのある純白の空間。そして、どこか呆れたような表情を浮かべた女神アテナがいた。


「あなたのようなかたは、初めてです。ご自身で選ばれた能力を一度も行使せずに人生を全うなさるなんて…」


「お久しぶりです。いえ、十二分に利用させてもらいましたよ。死ぬ恐れがないということは大きくリスクを取れるということですから。おかげで将軍にまで上り詰め、王国を平和で豊かな国にすることができました。家族にも恵まれ、俺は満足しています。それで、次はどうなるんですか? また転生ですか? それとも分解されて新たな命の礎となるのでしょうか?」


女神は静かに首を横に振った。


「いいえ。あなたのスキルは『死に戻り』。これは寿命による死でも発動します。…一週間前に、お戻りいただきますわ」


「えっ…?」


その言葉の意味を完全に理解する前に、俺の意識は急速に過去へと引き戻されていった。


────


息が、苦しい。うまく吸えない。


目を開けると、俺は寝台の上に横たわっていた。老いさらばえた体は石のように重く、ただ薄暗い天井を見上げることしかできない。


「お祖父様、お薬のお時間ですわ」


孫娘のリディアが、薬湯の入った碗を手に近づいてきた。彼女に微笑みかけようとするが、顔の筋肉さえ思うように動かせない。


この身体では、何もできない。ただ無為に一週間を過ごし、再び死を迎えるだけだ。


そして一週間後、予期された通り、再び死が俺を捉えた。


「またお会いしましたわね」


女神の変わらぬ、しかしどこか冷めた微笑みが見える。


「では、また」


そして再び、一週間前の寝たきりの身体へ。

そして、一週間後に死ぬ。

また、女神に会う。

そして、一週間前の身体へ。

また、一週間後に死ぬ。

女神に会う。

一週間前へ。

死ぬ。

女神。

一週間前。

死。

女神。

前。

死。

女神。


────


一体何度目の邂逅になるのだろうか。もはや正確な数を思い出すのも億劫になっていた。


「またお会いしましたわね。では、また」


いつも通りの挨拶で俺を送り出そうとする女神に、ついに堪忍袋の緒が切れた。


「いや、待ってくれ! いつまでこれを繰り返せばいいんだ!?」


声を荒らげる俺を、女神は少し意外そうな顔で見つめ、そしてこともなげに答えた。


「うーん、いつまで、と問われましても…そうですね、あなたの魂が、心が死に戻りに耐え切れず摩耗し消滅するまで、でしょうか」


「そんな話、聞いていないぞ!」


「あら? スキルの説明には、きちんと明記されていたはずですけれど…結構いらっしゃるのですよ。ご自分で選んでおきながら、細かい説明書きを読まれない方が」


女神は軽く溜息をついた。


絶望が、冷たい霧のように心を覆っていく。この無限ループから、本当に抜け出す術はないというのか。


────


5.蝶の羽ばたき


何度目のループだったか。もはや時間の感覚すら麻痺し始めていた。


ベッドに横たわる俺の視界の隅を、一羽の蝶がよぎった。開け放たれた窓から差し込む陽光に照らされ、その羽は深い瑠璃色にきらめいている。こんな蝶が、この部屋を飛んでいたことがあっただろうか。


転生前に読んだ、ある本の一節が不意に脳裏をよぎる。『バタフライエフェクト』──些細な蝶の羽ばたき一つが、巡り巡って大陸の彼方で嵐を引き起こす要因にさえなり得るという、あの理論だ。


この蝶の羽ばたきが、俺の停滞した運命を、少しでも変えてはくれないだろうか。


その時、蝶がふわりと羽ばたいた。


刹那、部屋の扉が乱暴に開け放たれ、息を切らした召使いが駆け込んできた。


「申し上げます! 隣国のエンデル帝国が、長年の同盟を一方的に破棄し、我が国へ突如侵攻を開始! すでに王都は陥落し、住民のほぼ全てが虐殺されたとの急報にございます!」


隣国の帝国…? 王都の陥落…だと? これまでのループでは、一度として耳にしなかった凶報だ。


だが凶報を深く反芻する間もなく、再び命の灯火が消える時が来た。


────


「おかえりなさいませ。では、また」


「待て!」


いつものように送り出そうとする女神の言葉を、俺は鋭く遮った。


「今の報せは何だ!? なぜこのループに限って、運命がこれほど大きく変わった!? いったい何が起きたんだ!」


女神は小首を傾げ、心底不思議そうに俺を見つめる。


「はて…? 今のループで、何か特筆すべき変化がございましたかしら?」


「とぼけるな! 帝国の急襲だ! 王都が陥落したと、そう言っていたじゃないか!」


「ああ、人間の国一つがどうなろうと、私にとっては些末事でございますので、特に気に留めておりませんでしたわ。ええと、帝国の急襲、でございましたかしら」


女神は虚空から手帳のようなものを取り出すと、こともなげにページをめくり始めた。


「……特に、何も変わった記録はございませんわね。これまでのループにおきましても、帝国の攻撃は予定通り行われておりますが」


しれっと言い放つ女神の言葉に、俺は愕然とした。つまり、これまでは俺が息を引き取った後に届いていたはずの報せが、あの蝶のおかげなのか、あるいは全くの偶然によるものか、ほんのわずかな時間差で、死ぬ前に俺の耳に入ったというだけなのか。


あの蝶の羽ばたきがもたらしたのは、絶望的な未来が確定しているという事実を、ほんの少しだけ早く俺に知らせたこと。それが、このループにおける唯一の変化だったというのか。


俺が人生を賭して築き上げ、守ろうとしてきた国が、愛する家族が、かけがえのない仲間たちが、無惨に蹂躙される未来。それが動かしがたい事実として存在していることに、魂が震えるほどの怒りと無力感を覚えた。


「どうすれば…どうすれば、この地獄から抜け出せるんだ…」


女神は、まるで出来の悪い生徒に言い聞かせるように、ゆっくりと、そしてどこか楽しむように口を開く。


「ですから、以前にも申し上げた通り、魂の消耗が──」


「違うッ!」


俺は女神の言葉を再度遮った。もはや、俺が知りたいのは、単にこの死に戻りのループから抜け出す方法ではなかった。


「俺の友人たちが、かつての仲間たちが、そしてこのままでは俺の家族までもが! 俺が命を賭して守ろうとしてきた全てが、あの帝国に蹂躙されようとしているんだぞ! この運命を、このまま黙って見過ごせと言うのか! この定められた未来から、逃れる術はないというのか!」


「魂が消滅してしまえば、そのような些事、気になさる必要もなくなりますわよ」


氷のように冷たい女神の言葉に、俺は奥歯をギリリと噛み締めた。


「──断るッ!」


────


6.希望の光明


女神は、その美しい瞳にどこか面白がるような、それでいて試すような光を宿しながら、意味深長に問いかけた。


「運命を変えたいと、そうおっしゃるのですか?」


「ああ、そうだ!」


「いかなる手段を用いても、ですか」


女神は妖艶で楽し気な、しかし残酷にも見える笑みを浮かべながら問う。


「ああ、そうだ!」


「ふふ…では運命を変えるためのヒントを授けましょう。あなたはまだ、ご自身のスキルを本当の意味で活かしてはいらっしゃいませんわ」


「何…?」


「よろしいですか? あなたのスキルは、『死のちょうど一週間前に戻る』というもの」


「それは分かっている!」


「お分かりになりませんか?」女神は静かに首を振る。


「……何が言いたいんだ?」


「うーん、では分かりやすく具体的にご説明しましょうか。もし、あなたが目覚めてすぐに死んでしまったとしたら? …どうなると思われます?」


「どういうことだ…?」


「自殺でも、他殺でも、事故でも、病による急変でも、理由は問いません。ただ、目が覚めて、仮に…そうですね、一秒後に死んだとしたら?」


「!!」


女神の言葉は、まるで脳天を槌で殴られたかのような衝撃となって、俺を打ちのめした。そうだ、なぜ今まで、その可能性に気づかなかったんだ…!


女神は、心底楽しそうに、くすりと微笑んだ。


「ようやくお気づきになられたようですわね」


「目覚めてすぐに死ねば…寿命で死ぬはずだった時点から数えて、さらに一週間…つまり、合計で二週間前に戻れるというのか!?」


「ご名答ですわ~」


「いやいや…待て。俺は最後の約一年間は、ほとんど寝たきりだったはずだぞ」


「うーん、あなたが転生されたエテルニアでは、一年は約五十週間で構成されていますわね。ですから、五十回ほど死に戻りを繰り返せば、あるいは自由に動けるお身体を取り戻せるかもしれませんわね♪」


「『かもしれませんわね♪』って、そんな軽々しく言うなよ…!」


「ふふ、あなたがここからどのような人生を歩まれるのか、じっくりと拝見させていただきますわ。」


────


7.千の死への道


そこから、俺の新たな、そして壮絶な戦いが幕を開けた。


目覚める。


寝たきりの身体では、指一本動かすことすらままならない。自ら死を選ぶことさえ、一苦労だ。


わずかな水分補給のために口元に運ばれる水を、意識して気道へと送り込む。


俺の苦悶に歪む表情を見て、リディアが悲痛な声を上げる。「お祖父様!」


だが、もはや手遅れだ。


死。

女神との再会。

一週間前へと遡る。


目覚める。

死ぬ。

女神。

さらに一週間前へ。都合、二週間前だ。


目覚める。

死ぬ。

女神。

三週間前へ。


…五十回ほど繰り返すと、ほんの少しだけ、本当に僅かだが、身体が動くようになってきた。

だが、これではまだ足りない。

死に戻るとはいえ、リディアをこれ以上悲しませるのは忍びない。死に方を変えねば。


目覚める。死ぬ。女神。戻る。

目覚める。死ぬ。女神。戻る。

目覚める。死ぬ。女神。戻る。

目覚める。死ぬ。女神。戻る。

目覚める。死ぬ。女神。戻る。


…百回も繰り返すと、またほんのわずかだが身体の自由が利き始め、何とか寝台から起き上がれるまでになった。

だが、まだだ。まだ足りない。

死に戻る事実があるとはいえ、家族の目の前で自ら命を絶ち、彼らを不必要に悲しませ続けるのは本意ではない。何とか外まで匍匐前進し、人目につかぬ場所で息絶える。


目覚める。死ぬ。女神。戻る。

目覚める。死ぬ。女神。戻る。

目覚める。死ぬ。女神。戻る。

目覚める。死ぬ。女神。戻る。

目覚める。死ぬ。女神。戻る。


二百回。三百回。四百回。


最初は俺の苦闘をどこか艶然と、嬉々として眺め、俺の苦しみそのものを楽しんでいるかのようにさえ見えた女神が、やがて言葉を失い、明らかに引いているような表情で、ただ静かに俺を見つめるようになっていた。


五百回。六百回。七百回。八百回。九百回。そして──


記念すべき千回目の死に戻り。女神の表情には、もはや呆れを通り越して、畏怖に近いものさえ浮かんでいた。


「……もう、よろしいでしょう」


か細い声でそう告げた女神の姿が霞み、純白の空間から、俺の意識は再び過去へと、しかし今回は遥か昔へと遡っていった。約二十年前の世界へ。


────


8.再起


目を覚ますと、そこは見慣れた俺の執務室だった。窓から差し込む朝の光が、堆く積まれた机の上の書類を柔らかく照らしている。


八十五歳の身体。試しに手を上げてみる。指が、しっかりと動く。立ち上がってみると、足腰もまだ確かだ。この年齢ならば、まだ国政にも十分に影響力を行使できる。


「将軍、いかがなさいましたか?」


側近のカールが、怪訝そうな表情で俺を見つめている。無理もない。壮年期の主が、急に虚空を見つめていたのだから。


「いや、何でもない。少し昔の夢を見ていただけだ。それよりカール、儂はもう"元"将軍だぞ。お前は何度言ったら分かるのだ…」


状況を瞬時に把握し、カールにそう応える。


ここからが、本当の戦いの始まりだ。帝国との来るべき争いを未然に防ぎ、今度こそ悔いのない大往生を遂げてみせる。


そして何よりも──あの忌ましい運命の歯車を、この手で必ずや打ち砕いてみせる。

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