表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
96/105

2.真夜中の庭園で(前編)


 ――ああ……温かい。それに、なんだかとても安心する。どうしてかしら……。

 そう思って瞼を開くと、そこにあったのはウィリアムの胸板だった。


「ウィリアム……?」


 私はベッドに横たわった状態で、ウィリアムに抱きしめられていたのだ。

 彼の静かな寝息が、私の耳元をくすぐる。その状況に、混乱する私の思考。


「……ええっと」


 どうして、彼がここに?

 混乱する頭で記憶を辿る。そうだ、私は確か熱を出して……。

 彼を起こさないよう、慎重にその腕をすり抜ける。


 身体を起こすと、あれほど酷かった頭痛は嘘のように消えていた。熱もすっかり下がっている。

 私はベッドを降り、カーテンの隙間から外の様子を窺った。

 窓の外は既に夜の闇に沈んでいる。空には煌々と輝く月だけが冷ややかに浮かんでいた。その光を見上げた途端、先ほどまで見ていた夢の残滓が脳裏に蘇る。


 エリオットと過ごした、幸せな日々。

 けれど、その結末は私の記憶とは異なっていた。


「……おかしいわ」


 夢の中で私は、森を包む赤い炎に巻かれ、死んでいった。だが、そんな記憶は私の中にはない。私が覚えているのは、エリオットが目の前で殺されたことだけだ。

 それなのに、なぜあんな夢を?


「先に死んだのは、私の方……?」


 まさか、私の記憶の方が間違っているとでもいうのだろうか。私がエリオットを置いて、自ら死を選んだと?

 千年もの間、私はあの日の記憶を封印してきた。そのせいで、記憶が摩耗し、変質してしまったのだろうか。


 答えは出ない。

 胸のざわめきを抑えようと、私は窓の外へ視線を戻した。


 その時、暗い敷地内を歩く人影が目に入る。

 闇夜に溶け込むような黒い姿。あれは紛れもなく――。


「……ルイス?」


 こんな時間に、どこへ行っていたのだろう。

 不審に思うと同時に、ある考えが浮かぶ。彼なら、この不可解な夢の意味を知っているかもしれない。

 私は羽織を掴むと、静かに部屋を抜け出した。



 使用人用の裏口を出たところで、ちょうど戻ってきたルイスと鉢合わせた。

 彼は私に気づくと、驚いたように足を止める。


「……あなたでしたか」


 ルイスは小さく溜息をつく。


「このような時間にどうされました? お加減はもうよろしいのです?」


 彼は私をじっと見下ろす。漆黒の瞳が、一瞬だけ揺れたような気がした。


「ええ。もう熱は下がったわ」


 私が答えると、彼は「ああ」と小さく声を上げる。


「声、戻られたのでしたね。良かったです」


 けれどその声はあまり嬉しそうではない。というより、心ここにあらず、といったところか。いつも完璧な彼にしては珍しい。

 もしやこんな真夜中に出かけていたことに理由があるのだろうか。


「あなた、こんな時間にどこに行っていたの?」

「…………」


 私の問いに、躊躇うように俯くルイス。

 彼は視線を夜空へと逃がし、輝く月を見上げたまま、唐突に言った。


「少し……歩きませんか?」

「え……こんな暗い中を?」

「ええ。多少の夜目は利くでしょう?」

「それは……そうだけど」


 ――何だろう。やっぱり様子がおかしい……。

 私はルイスの横顔に形容しがたい不安を感じながら、「いいわ」と小さく呟いた。





 月明かりに照らされた広い庭園を、二人並んで歩く。

 常人なら足元もおぼつかない暗闇だが、私たちには昼間のように見通すことができた。


 庭の中央まで来たところで、ルイスの足がふいに止まる。


「どうしたの?」


 私が尋ねると、彼はゆっくりとこちらを振り返った。

 夜風が、彼の黒髪をさらりと揺らす。


「ウィリアム様から、お心が通じ合ったと聞きました」

「…………」

「あなたは僕に、何か聞きたいことがあるのでは?」


 核心を突く言葉に、私は息を呑む。

 やはり彼は知っているのだ。私がウィリアムと結ばれた直後に見た、あの不可解な夢の意味を。


「……私、夢を見たの。千年前に、私が死んだときの夢……。でも覚えが無いの。そんな記憶、私の中にはどこにもないのよ。あれはただの夢だったのかしら。私の作り上げた、ただの夢だったのかしら。――それとも……」


 私の言葉に、ルイスが一歩、こちらへ近づく。

 月の光を背負った彼の表情は影になって見えない。ただ、漆黒の双眸だけが妖しく光っていた。


「夢ではありませんよ」


 冷ややかな声。


「決して、夢ではありません」


 彼から放たれる冷たい重圧(プレッシャー)に、思わず後ずさる。

 あの契約のときと同じ、底知れない闇の気配。けれど、私はもう逃げないと決めたのだ。


「どうしてそんなことがわかるの? あなたは本当に、何者なの?」


 私の問いかけに、ルイスは目を細め――静かにその名を紡いだ。


「エリオット」

「――っ」


 心臓が跳ねた。

 それは、私が誰にも話したことのない、かつての恋人の名前。


「……どうして、その名前を」

「さぁ、どうしてでしょうね。――なんて、意地悪をするつもりはありませんよ。アメリア様、どうぞこれを」


 ルイスが右手を差し出す。

 その(てのひら)に乗っていたものを見て、私は言葉を失った。

 月光を弾いて鈍く輝く、二本の銀色の髪飾り。

 一本は昼間、私がニックの太ももに刺したもの。そしてもう一本は――。


「……これ」


 刹那、背筋が凍り付く。

 もう一本は、そう。私を襲ったあの男の背中に、私が突き立てたはずのものだ。

 なぜ、ルイスがこれを?


「あの男には、あなたを傷つけた相応の報いを受けて貰いましたよ」

「……っ」


 ――それは、殺したと……そういうこと?

 ルイスの口がにやりと歪んだ。けれどもう私は、そんなことでは驚いたりしない。


「その男とエリオットに……何の関係があるのよ」


 震える声で問いただす。ルイスの表情から、すっと感情が抜け落ちた。


「その男が言ったのですよ。あなたを襲うように指示したのは、『エリオット』という男だと」

「――ッ!」

「やはり、そうなのですね。エリオットとは、かつてのウィリアム様の名前なのですね」


 ルイスの瞳が、探るように揺らめく。


「そんな……あり得ないわ。だって私、誰にも彼の名前を教えたことがないのよ。千年の間、ただの一度だって! なのに今さら……誰が、何の目的で彼の名前を語る必要があるっていうのよッ!」

「あり得ない? あなたがそれを言いますか? それを言うなら僕らの様な存在こそあり得ない。それに、誤解しないでください。僕は、誰かがその名前を語っているのだと言っている訳ではありません」

「――ッ」


 ルイスの声が、低くなる。


「僕は、エリオットが生きているのでは、と言っているんですよ」

「――そん……な。それこそ……それこそ有り得ないわ! だってそしたら、ウィリアムは? 彼の魂は確かにエリオットのものなのよ! それは間違えようの無い事実だわ!」


 もしエリオットが別に存在するとしたら、私が愛したウィリアムは何者だと言うの?

 動揺して取り乱す私を、ルイスはどこまでも静かに見つめていた。


「アメリア様、落ち着いて聞いてください。あなたの夢――そこに答えがあるはずです。あなたとウィリアム様の距離が縮まれば、おのずと答えは見えてくるはず。思い出してください、アメリア様。そうすれば僕が、あなたをそこから解放して差し上げます」


 ルイスは悲しげに、けれど慈しむように微笑む。


「ウィリアム様か、エリオットか。どちらが本物で、あるいはどちらも偽物なのか……それだけは僕にもわからない。あなたにしか、知ることができない真実です」

「どういうこと? あなたは何を言っているの? ウィリアムが偽物かもしれないですって? どうしてそんなことがわかるのよ!」


 悲鳴のような私の問いに、ルイスは答えない。

 ただ、その瞳に深い哀愁を滲ませて、黙って私を見つめ返すだけ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ