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9.アメリアの秘密(後編)


 ――気付けば、いつの間にか人通りの多い道を歩いていた。


 その街中の適度な喧騒を待っていたかのように、ルイスがようやく口を開く。



「あの方には……秘密があるのです」



 ――あの方、それがアメリアのことだと理解するまでに、ライオネルは数秒の時間を要した。


「アメリアに……秘密?」

「はい。私と殿下だけが知る――秘密です」

「…………」


 ――ルイスと殿下だけが知る、アメリアの秘密? つまりそれは、ファルマス伯も知らない秘密だということか?


 ルイスの口ぶり、そしてこの状況から、いい意味でないことは間違いないだろう。

 そんな秘密を――婚約者ですら知らないことを――親しくもない自分が聞いてしまっていいのだろうか。聞かない方がいいのではないか。


 ライオネルは悩んだが、今さら話を止めるのは不可能だった。気になって仕方ない自分を、認めざるを得なかった。


「……その、秘密って……?」


 躊躇いがちに尋ねると、ルイスは囁くような声で続ける。


「殿下にとって災いとなる秘密です。つまり、殿下はあの方を……そしてあの方の秘密を知る私のことを、疎ましく思っている」

「――っ」

「あなたになら、特別に教えて差し上げても構いません」


 ルイスの声はあまりにも淡々としていた。だからこそ余計に、ルイスの言葉が冗談とは思えなかった。

 突然突き付けられた理解し難い内容に、彼は返事一つできぬまま、ただ足を進めることしかできない。


 ――殿下にとってアメリアが災い……? 秘密とはいったい……。


 考えたところで答えが出るはずもない。けれどその秘密こそが、アメリアに感じる違和感の正体なのだ。先の尖った髪飾りを持ち歩き、暴漢と渡り合おうとする――首を絞められても動じることなく、その傷を隠そうとする――その理由なのだろう。


「……君は、どうして僕にそんな話を?」


 ライオネルが尋ねると、ルイスはニコリと微笑む。


「なぜって、あなたには見られてしまいましたからね、その髪飾りを。下手に詮索されるくらいなら、こちらから明かしてしまった方が安心でしょう?」

「…………」

「それに、あなたは〝知りたい〟という顔をしている。ウィリアム様すら知らない――あの方の秘密を」

「……っ」


 挑発するようなルイスの声音に、ライオネルは喉を鳴らした。脳裏に、路地裏でのアメリアの姿を思い浮かべて――。


 ああ、確かにそうだ。僕は知りたいんだ。彼女が、ウィリアムにだけは絶対に知られてはならないなんて言い方をするから……。


 だが知りたいという欲求の向こう側で、知ってはならないと、誘いに頷いてはならないと感じている自分もいる。

 知ったらきっと後悔すると――なんの確証もなく、本能が告げていた。


「……僕は……」


 答えられずにいるライオネルに、まるで最後通告とでも言うように畳みかけるルイス。


「私はどちらでも構わないのですよ。知ろうとも知らずとも、きっとあなたは後悔する。ですがこれだけは言わせていただきます。――その髪飾りの存在を知った時点で、あなたの選択肢は二つに一つ。私と秘密を共有するか、あるいは、もう二度と私どもには関わらないか……それだけです」

「――っ」

「当然でしょう? どちらにせよその髪飾りはお返し願いますが。それはあなたが持つべきものではない」

「……っ」


 ルイスの冷えた眼差しに、ライオネルの表情が凍り付く。――アメリアを助けた自分が、どうしてここまで言われなければならないのかと、そんな感情が揺れ動いた。


「どうかご理解ください。中途半端に関われば、あなただけではなくご家族にも危険が及ぶことになる。そういう類の秘密なのです」

「――は」


 まるで、その命を懸けろと言われているかのような選択に、心が大きく乱される。――今の今まで苦に感じなかった背中のニックの重みが、急に増したような気がした。


「君は、さっきから何を言ってるんだ……? 僕には、少しも意味がわからない」


 さっきまで動いていた景色がいつの間にか静止していた。――否。止まっているのは自分の足だ。

 歩みを止めたライオネルより数歩先の位置で立ち止まり、ライオネルを見据えるルイスの漆黒の瞳。


「意味など、あなたには不要でしょう?」


 ――既に答えを知っていると言わんばかりの、悲しげな笑み。


「私の目は誤魔化せません。――あなたはあの方に恋をしている。それが全てです」

「――な、ん……」


 恋だって? 僕が……彼女に……?


 いや、そんなはずはない。――ライオネルはそう思おうとした。


 けれど否定しようとするほど、その感情が恋であると自覚させられる。自分はアメリアが好きなのだ、と。だからアメリアとウィリアムの仲睦まじい姿に、こんなにもイライラするのだと。

だが、だとしたらなぜルイスは自分をアメリアに近づけようとするのだろうか。アメリアには既にウィリアムがいるというのに――。


 その疑問に答えるように、ルイスは立ち止まったまま動けないでいるライオネルの元へと戻る。そして、耳元でそっと囁いた。


「お二人の婚約は形式的なものなのです。――ですから……」

「……っ」


 それは悪魔の囁きだった。決して手を伸ばしてはならない果実をもぎ取ってしまえと、そう言われているようだった。


 けれど、だからこそ我に返る。


 ルイスの意図がどうであれ、自分の行動の責任は自分で取らねばならない――そのことを、彼は日々の訓練からよく理解していたからだ。


「ルイス、君の言いたいことはわかった。――でも」


 彼はゆっくりと息を吐き出し、ずり落ちかけているニックを背負い直す。


「僕には彼女が伯爵を愛しているように見える。それに形だけの婚約なんて、珍しくもなんともない。だからもし君の心配事が〝僕が秘密を漏らすこと〟だって言うのなら、そんなことは万に一つもないと誓う。だからそれで納めてくれないかな。僕は、こんな形で彼女の秘密を知ろうとは思わない」


 ライオネルはきっぱりと言い切って、ルイスに髪飾りを差し出す。


「僕は前に君に言ったよね? 何かあれば君たちを助けるつもりでいるって。覚えてる?」

「……ええ。それは、もちろん」

「僕、本当にそのつもりでいたんだ。……ごめん。僕、勝手に彼女のことや伯爵のことを調べさせてもらったんだ。だから多分、君が思うより彼女のことを知ってる。彼女が噂のような子じゃないってことも、何か事情があるんだろうってことも、何となくわかってる」

「……それで?」

「だから、次に彼女に会えたら言おうと思ってたんだ。伯爵には全て忘れろと言われたけど、そんなのは無理だって。君のことが心配だから、忘れるなんてできないって。僕には何の力もないけど、でも……」

「つまり、愛の告白でもなさるおつもりだったと?」

「違う! そういうんじゃない! そもそも僕は、彼女に恋をしている自覚なんてなかった。身分だって違うし、本当にそんなつもりはないんだよ」

「では、友人の申し出でもなさるおつもりだったのですか?」

「……っ」


 ――問われて気付く。自分はいったい彼女の何になりたかったのかと。


 恋人ではない。だが友人になれるはずもない。――ならば、いったい何に……?


「僕は――そう。多分……彼女の、騎士に……」

「――騎士?」

「……あっ、――いや、ただの理想だよ。そんなの叶いっこないってわかってる。僕はまだ見習いで、彼女を守れるような実力もない。代々仕えてる家系があるし……彼女が受け入れてくれるとも思えない。……でも……もしいつか主人を選ぶなら……自分で選ぶことができるのなら、彼女がいいなって……そう思っただけなんだ」


 それは現実的に考えて、とても叶うはずのない願い。


 そもそも、いまどき一人の主人に忠誠を誓う騎士はごく少数だ。その理由は、一昔前と比べ、騎士そのものの存在価値が無くなってしまったことにある。


 平和な世が訪れるとともに騎士文化は廃れ、形骸化され、やることといえば主人の身辺警護をする程度のもの。日雇いでも十分に役目を果たせるくらいの仕事しかない。

 そのため騎士を置くのは財力のある上級貴族のみである上、財政悪化からある日突然暇を出され、街に働きに出る者も珍しくない。


 だが幸い、ライオネルの家系は代々アルデバラン公爵家に仕えている。父親が称号を授かっていることもあり、将来に不安はない。

 それなのに、ライオネルはアメリアに仕えたいという。――その真摯な眼差しは、紛れもない彼自身の本心に見えた。


「――なるほど。それも悪くないかもしれません」


 不意にルイスが微笑んだ。

 そのどこか暗い笑みに、ライオネルは困惑する。


「……え? 悪くないって、何が……」

「騎士というのも、悪くないと言ったのです」

「それって、どういう……」

「私があなたをあの方の騎士に推薦して差し上げましょう。――その代わり、私の願いを一つ聞いていただきたいのです」

「願い? 君の……?」


 訝し気に眉を寄せるライオネルに、ルイスは笑みを深くする。

 そして信じられないようなことを言い放った。


「あなたには今日から、その背中の子供の主人になっていただきます」――と。


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