6.油断と焦燥
――時は少し前に遡る。
「――では、その品はこの住所へ」
ウィリアムは屋敷の住所を書き留めると、商談用のテーブルに並ぶ十点以上の宝飾品を満足げに見下ろした。――なお店主はウィリアム以上に満足そうである。
「かしこまりました、旦那様。本日中にお届けさせていただきます。ぜひ今後とも贔屓にしていただけると幸いでございます」
「ああ、そうだな。機会があれば。――では行こうか、アメリア」
ウィリアムは微笑み、アメリアの手を取る。
こうして二人は、仲睦まじい様子で店を後にした。
*
「もう昼か」
宝飾店を出たウィリアムは、天高く昇った太陽に目を細めた。
思ったより長居してしまっていたようだ。だが、それに見合う収穫はあった。
ウィリアムは先ほど購入した、真っ青に輝くペンダントを思い出す。
――まさかこんなところでロイヤルブルーサファイアを入手できるとは思わなかった。通常のサファイヤよりもずっと深い、紫みのある鮮やかなブルー。アメリアの瞳と同じ色。
あれならばアメリアの輝きにも勝るとも劣らない。
ウィリアムはアメリアがペンダントを着けている姿を想像し、思わず顔を緩ませる。
――それは彼にとって初めての感情だった。
ウィリアムは今まで数えきれないほどの女性と接してきた。――いや、正しくは相手せざるを得ない状況にさせられてきただけであるが――一度だってこんな気持ちを抱いたことはない。
アメリア以上に美しい女性は何人もいたし、幾度となく好意を向けられてきたけれど、それを嬉しく思ったことは一度もないのだ。ましてやその相手にプレゼントをしたいなどという感情は、欠片も感じたことがなかった。
だが今のウィリアムの中には確かにそういう感情が芽生えている。といっても当の本人は、自分自身のそんな変化に少しも気が付いていないのだが……。
「そろそろ昼食にしよう。確かこの先に……」
ウィリアムは言いかけて、足を止めた。――否、止めざるを得なかった。
なぜなら、今の今まで隣にいたはずのアメリアの姿が忽然と消えていたのだから。
「――ッ」
ウィリアムの顔が青ざめる。
彼は背後を振り返り、すぐにアメリアの姿を探した。けれど彼女の姿はどこにもない。
「アメリア、どこだ……⁉」
ウィリアムはアメリアの名前を叫ぶ。
けれど当然、声を出せないアメリアから返事があるはずもなく――周囲からウィリアムに注がれるのは、立ち止まったまま動かない彼への、怪訝な視線のみ。
「……いったいどこに」
ウィリアムの胸に広がる焦燥感。
その言葉にし難い強い不安に、彼はようやく気が付いた。
この二ヵ月の間に、自らがアメリアにすっかり心を許してしまっていたことに。――と同時に、彼女の本質を忘れてしまっていたことに。
侯爵邸に来てからのアメリアは、文字どおり全ての時間をウィリアムのために費やした。
侯爵家の次期夫人としてふさわしい女性であると周りに示すべく、侯爵夫人から家や使用人の管理の仕方について学び、ウィリアムが夜会に出席するときはよきパートナーとして出席した。
以前なら絶対に応じなかったお茶会の招待状にも、でき得る限り出席し他家との交流を深めた。
それは以前のアメリアからは考えられない行動だったが、そんな生活が二ヵ月も続いたものだから、ウィリアムは完全に油断してしまっていたのだ。
本来の彼女は、夜会を抜け出しパブを訪れるような自由奔放な性格だったということを。ルイスから聞かされたアメリアは、男物の鞍にまたがり野山を駆けるような豪胆な性格だったということを――。
「――くそッ」
何というざまだ。
守ると約束しておきながら、こんなに簡単に彼女を見失ってしまうなど。
これではルイスに顔向けできない。これでもし、彼女の身に危険が及んだら……。
「……っ」
けれどウィリアムは、その不安を振り払うかのように大きく頭を振った。
そして周囲を観察しながら、元来た方へ引き返す。どんな些細な出来事も見逃すまいと、周りの景色を注視しながら。
そうだ――アメリアのことだ。きっと何か理由があったに決まっている。
こんな街中で急に人が消えるなどあり得ないし、そもそもここはセントラル通り。人攫いなどあるわけない。
ということは、彼女は自らの意思でいなくなったと考えるのが妥当。
つまり店を出てから今までのほんの短い間に、彼女の気を引く何かが起こったということだ。
ウィリアムはそう確信し、周囲をよく観察する。――そして、気が付いた。
「――あれは……」
道路を挟んだ反対側で、身なりのいい男が何やら叫んでいる。馬車の音でよく聞こえないが、スリだ! 誰か掴まえろ! ――そう言っているようだ。
「……スリ……無関係か? ――いや」
男の周辺にアメリアの姿はなかったが、もしかしたら何か関係があるかもしれない。
そう考えたウィリアムは、急ぎその男の元へと向かった。




