6.喪失(前編)
「君が僕に手紙を寄こすなんてな。思わず二度見したよ。初めてじゃないか?」
僕の誕生日パーティーから一週間が経った日の午後。
ヘンリーは僕の部屋で、僕から届いた封筒を愉快そうに見せつけ、にやりと笑った。
僕はパーティーを終えてすぐ、ヘンリーに手紙を送っていた。
内容は、パーティーにいた黒目黒髪、黒いスーツを身にまとっていた少年の正体を知らないか、というものだった。
あの日からちょうど一週間。僕はその間ずっと、あの少年のことを考えていた。
いったい彼は何者なのか。僕の中の彼が予告した〝良くないこと〟とはいったい何か……。
彼の声はあの日から聞こえてこない。僕の方から話しかけても、返事一つ返ってこない。
そりゃあ、いつもだって一ヵ月や二ヵ月出てこないことはある。だけどあんなことがあった後に反応がなくなるなんて、普通に考えればおかしいだろう。――それもあって、僕は不安感にさいなまれていた。
「――それで、ヘンリー。手紙の内容についてなんだけど……」
僕が尋ねると、ヘンリーはソファにどかっと腰を下ろし、「急かすなよ」と息をつく。
「そもそも、人探しなら大人に頼めばいいじゃないか。どうして俺に?」
その質問はもっともだ。僕だってそう思う。
けれど、大人に尋ねれば絶対に余計な詮索をされるに決まっている。それは避けたい。そう考えての行動だった。
僕はヘンリーの質問にすぐに答えられず、俯いた。
すると彼は、どういうわけか今にも吹き出しそうに表情を崩す。――否。事実、彼は吹き出した。
「はははははっ! 冗談だよ! 真面目に悩むなよ!」
「……冗談?」
「そ、冗談。むしろ俺は喜んでるんだ。君に頼みごとをされるなんて初めてだからさ。それに、人には言いたくないことの一つや二つ、誰にでもあるってもんだ」
「ヘンリー……」
なんだ。冗談だったのか……。
ヘンリーのいつもどおりの態度に、僕は心底安堵する。
「――で、君の尋ね人。黒目黒髪の、俺と同じくらいの歳の男、だっけ?」
「そう、先週のパーティーにいたんだけど、心当たりない?」
僕は改めて尋ねる。
すると、彼は平然と答えた。
「きっとそれ、ルイスのことだろうな」
「――え?」
その何でもなさそうな口調に、僕は驚きを隠せない。
「えっ。君はそのルイスって人と知り合いなの?」
「いいや? 顔を知ってるってだけ。話したことはない」
「……そう、なんだ」
「あのなぁ、アーサー。社交界は君が思っている以上に狭いんだ。先週のパーティーに招待されたってことは歳が近いわけだし、むしろ知らない方がまずいんじゃないのかって思うけど――。まぁ、王子の君に言うことじゃないか」
「いや、いいよ。僕にそんなこと言ってくれるの、君くらいだから……」
「そうか? でも、怒るところはちゃんと怒ってくれよ? 君の謙虚なところは美徳だと思ってるけど、度が過ぎると舐められるからな」
「……う、うん。気を付けるよ」
これじゃあまるで立場が逆みたいだ。そんな風に思いながら、僕は話を戻す。
「それで、そのルイスって人のことなんだけど……どこの家の人なのかな」
「どこの家っていうか、彼自身は貴族じゃないけどな」
「え? 貴族じゃないの?」
「君、パーティーでの彼の服装、ちゃんと見なかったな? 明らかにお仕着せだっただろ」
「……う」
確かにあの時は、彼の黒ばかりが気になってデザインまでは気にしていなかったけど……。
僕が悶々とする中、あっけらかんとした様子で続けるヘンリー。
「――ま、それは置いといて。ウィンチェスター侯は知ってるか? さすがに名前くらいは知ってるだろ?」
「ウィンチェスター……うん、知ってるよ。これから自分が通う学校の名前だしね」
「そう。ま、創設したのは四代前の当主だけどな。で、そのウィンチェスター侯には、ウィリアムっていう息子がいるんだ。そのウィリアムの付き人をしているのが、君の探してるルイスってわけ。ウィリアムからは、パーティーで挨拶されただろう?」
――どうだったかな。正直、覚えていない。
僕が無言でいると、ヘンリーは呆れたように眉を寄せた。
「ま、あれだけ人がいたからな、覚えてなくても仕方ない。けどウィリアムは君と歳が一緒だし、入学したら同級生になるんだから、多少は興味持っておいて損はないと思うよ」
「……ルイス。……ウィリアム」
正直拍子抜けだ。こんなにもあっさりとあの少年の正体がわかってしまうなんて。
それにしても、ヘンリーはどうしてルイスのことを知っているのだろう。ウィリアムは貴族の子息だからともかくとして、普通、付き人のことまで把握しているものだろうか?
そう思ってヘンリーを見やると、彼は僕の心を読んだらしい。
「スペンサー侯爵の長男にクリストファーって奴がいて、俺と同じ寮なんだ。クリスの母親とウィンチェスター侯爵夫人は双子の姉妹で、ウィリアムとは従兄弟同士なんだよ。それでクリスから時々ウィリアムの話を聞くんだ。クリス、いっつも自分の弟とウィリアムを比較してぼやいてるんだぜ。〝あいつらも少しはウィリアムを見習ってくれないものか〟って。まぁそれも口だけだっていうことは、皆にバレバレなんだけど」――ヘンリーはそう言って、屈託なく笑う。
その笑顔からは、彼がいかにその友人を大切に思っているのかが伝わってきた。というより、事実二人は仲がいいのだろう。
そうでなければ、クリスなどと愛称で呼んだりはしないのだから。
そう思うと同時に、僕の心に芽生える卑屈な感情。会ったこともない相手に対する嫉妬心。それが、僕の心をどんよりと重くする。――そのクリスっていう人が、羨ましくて堪らない。
「仲……いいんだね」
僕が呟くと、ヘンリーは虚を突かれたように一瞬だけ真顔になった。――が、すぐに笑い声をあげる。
「ははっ、何言ってるんだよ! 君だって入学したら、気の置けない友人の一人や二人、すぐにできるさ!」
そう言って、僕の背中をバシバシと力強く叩く彼。
「――で、そのルイスがどうしたって? 答えてやったんだから、理由くらい教えてくれよ」
「いや……理由ってほどじゃ……。ただこの前のパーティーで……なんていうか……見られてたような気がして……」
「何だって? 一介の付き人ごときが君を注視したって言うのか?」
僕の返答に、顔を思いきり曇らせるヘンリー。僕は慌てて言い直す。
「あっ、いや、見られてたっていうか、ちょっと目が合ったっていうか。それに、ほら、珍しいでしょ。髪も瞳も真っ黒で」
「あぁ……そういうこと。まぁ確かにな。クリス曰く、ルイスはもともと孤児だったらしいから、外国の血が混じってるんじゃないか?」
「そう……なんだ」
――孤児。それがいったいどういう経緯で侯爵家に拾われたんだろう。
とても気になるが、さすがにそこまではヘンリーだって知らないだろう。それに下手に調べて、藪をつついて蛇を出す、なんてことになったら最悪だ。
この話はこれで終わりにしよう。少なくとも、続きはもう一人の僕の意見を聞いてからにした方がいいだろう――僕がそんな風に考えていると、唐突にヘンリーの声色が変わった。
「そういえば……安心したよ。俺、君はきっと落ち込んでるだろうと思ってたから」
「……え?」
――急に何の話だ?
言葉の意味がわからず彼を見つめる僕を、じっと見つめ返すヘンリーの瞳。
それはどういうわけかどこか切なげで――僕は瞬く間に不安にさいなまれた。
「まぁ、仕方ないことだもんな。彼女は侍女だし、いずれそうなるって……さすがの君でもわかってたんだな」
「――え?」
侍女ってヴァイオレットのことだよね。彼女がいったい何だって……?
僕は同情するように唇を歪めるヘンリーの、その表情の意味が少しも理解できなくて……。
だがヘンリーは、そんな僕の態度で察したのだろう。一瞬、しまったという顔をして、僕からさっと目を逸らす。
「……君、もしかして何も聞いてないのか?」
「何って……何、を……?」
「――っ」
僕の呆けた返事に、ヘンリーの顔が罪悪感に染まった。
頭をうなだれる彼に、それでも僕は尋ねずにはいられない。
「侍女ってヴァイオレットのことだよね。彼女が、どうかした……の?」
僕の震える問いかけに、ヘンリーは何かを考えるようにぎゅっと瞼を閉じた。
そして数秒の後、躊躇いがちに口を開ける。
「彼女……婚約したんだ。もうすぐ、侍女をやめるらしい」
「――は」




