4.幼い愛
ヴァイオレット、面白い本を見つけたんだ。
ヴァイオレット、美味しいお菓子を貰ったから、一緒に食べよう。
ヴァイオレット、今日は天気がいいから、僕と一緒に庭を散歩しよう。
僕は何かと用を見つけては、君を呼び出した。
少しでも長く君の側にいたくて、どうにかして僕を好きになってもらいたくて。
そのためなら僕は、君が望むもの全てを君に与えるよ。
――ヴァイオレット、君は何が好き?
綺麗なお花がいいかな? それともお菓子? あぁ、君は聡明だから、外国から取り寄せた珍しい本でもいいかもしれないね。
僕は君に何度も尋ねる。
「ヴァイオレット、君の好きなものは何? 君は何が欲しい?」
けれど君は決して僕の質問には答えなかった。決して僕からのプレゼントを受け取ってはくれなかった。
君は僕の言葉を聞く度に、ただ困ったような顔をするだけ。
ねぇどうして? どうして君はいつもそんなに困った顔をするの? 僕はただ君のことが好きなだけなのに。ただ君に喜んでもらいたいだけなのに……。
「殿下、申し訳ございません。私にはそれを受け取ることはできません」
悲しそうな、困ったような顔をして、僕を拒絶し続ける君。
だけど、僕には君がそんな顔をする理由がわからなかった。
だって僕に聞こえる君の心の声は、決して僕を拒絶しているものではなかったから。それなのに、どうして君はそんな顔をするの?
「殿下……こういうことはお辞めいただけませんか? その……困りますので」
どうして? なんで? 僕が王子で、君が侍女だから? でもそんなこと関係ないよ。君が望むなら僕は王子だって辞めてやる。僕はそれくらい君のことが好きなんだ。
けれど、きっと君はそんなこと望まない。それなら僕は、これ以上いったいどうしたらいいというのか。
*
「アーサー、君は少し見ない間に変わったな」
学校がクリスマス休暇に入り、久しぶりに顔を見せに来たヘンリーが、僕に向かってそう言った。
庭園に広がる色とりどりのクリスマスローズ。それを遠い目で眺める彼の表情は、なぜかとても不満げだった。
「あの侍女見習いがそうさせたのか?」
ヘンリーは、僕の視線の先に君の姿を見つけ、微かに眉をひそめる。その口調は僕の知っているヘンリーのものとは違っていて、僕はなぜかすごく嫌な気持ちになった。
ヘンリーは、君から視線を逸らすことなく続ける。
「ヴァイオレット……確かパークス男爵の養女だったよな。アーサーお前、もしかして知らないんじゃないのか?」
「知らないって……何を……?」
正直僕は驚いていた。だって僕は知らなかったんだ。ヴァイオレットが男爵家の養女だったなんてこと。それにヘンリーが、ヴァイオレットの素性を知っていることを。
同時に、僕はやっと気が付いた。そういえば僕は、ヴァイオレットのことを何一つ知らないのだと。
「あぁ、やっぱりな。その顔は知らないって顔だ。いいかアーサー、彼女の両親は事故で亡くなっている。今は母親の生家のパークス家が彼女の養家となっているが、あの家はあまりいい噂を聞かないぞ。彼女をここへ侍女として入れたのも、本音は厄介払いというところだろう。あまり親密にはならない方がいい。足元をすくわれるぞ」
「――っ」
ヘンリーのその言葉に、僕は喉を詰まらせる。
彼の表情は真剣で、きっと僕のことを心から心配してくれている。けれど僕は、どうしてもそれをすんなりと受け入れることができなかった。
なぜかって? それは多分、僕が知らない彼女のことを、ヘンリーが知っていたからで。
彼が彼女を、あまりよく思っていないからで……。
「で……でも、男爵家なんて……たいした家じゃ」
いい噂を聞かないって……なんだよそれ。そんなの、僕のこの力があればどうにだってできる。彼女を虐げる家なんて、今すぐにだって潰してしまえる。そうだ、僕は王子だぞ。この国の王子だ。できないことなんて何もない。
僕はヘンリーを睨みつける。それは僕の初めてのヘンリーへの対抗だった。
けれどヘンリーはかすかに眉を上げただけで、決して気分を害した様子は見せなかった。それどころか彼は、平然と僕を見据える。
「だからこそ、だろ。男爵家なんて確かにたいした家じゃないさ、父上に頼めば一瞬で潰してしまえるほどにな。そう、パークス家には後がないんだよ。いい噂が無いってことは尚更、そういうことだ。君があの侍女と仲良くなったらどうなると思う? パークス家はこぞって君に取り入ろうとするだろうな。でも、そうなったとき君はそいつらを拒絶できるのか? できないだろう?」
「……ッ」
確かにそうだ。そのとおりだ。ヘンリーの言葉は正論で、いつだって正しくて。それは心から僕を思って言ってくれている。
でも、なら僕はどうしたらいいんだ。僕は、いったいどうやって彼女を愛せば……。
突き刺すような空っ風が、僕の頬に吹き付ける。
僕は目を伏せ、俯いた。もう何も浮かばなくて。どうしたらいいかわからなくて。
ヘンリーはそんな僕に呆れた様子で、小さくため息をつく。
「まぁ、だけど……そうだな。彼女は悪い子じゃないよ。学校で仲良くなった奴から、彼女のことを聞いたことがある。それは保証する。だから……彼女のことが本当に好きなら、彼女を困らせないようにしろ。誰にも知られないように……上手くやれ」
「でも、そんなことどうやって」
「それくらいは自分で考えろよ」
「――っ」
ヘンリーは僕にそれだけ言うと、右手をひらりと掲げて帰っていった。
その背中は、気のせいかもしれないけれど、少しだけ寂しげだった。
僕は門の外へと消えていくヘンリーの姿を見送ると――決意する。
ヘンリーは三ヵ月前と何も変わっていなかった、変わってしまったのは僕の方だった。
けれど、駄目なのだ。このままの僕じゃ駄目なのだ。
僕はもっと考えなければならない。この力に頼るのではなく、王子の立場に胡坐をかくのではなく、ヘンリーのようにもっと周りを知らなければならないのだ。
そうでなければ、こんな僕では、きっと彼女は見向きもしてくれないだろうから……。
だから僕は変わりたい。いや、変わるんだ。もっとたくさん勉強して、君を守れるように。君を、いつかきっと迎えに行けるように。
君の笑顔を見るために。この僕を、きっと好きになってもらえるように。
僕は乾いた冬空を見上げる。それはどこまでも広く遠く、まるで君の瞳のように透き通った淡い水色に、染められていた。




