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6.縁談の裏側(後編)


 そもそも今回の縁談を言い出したのはウィリアム本人ではなく、ウィリアムの父、ウィンチェスター侯爵ロバート・セシルである。

 ロバートは非常に心の広い温厚な性格であったが、今年で二十二になる息子ウィリアムがなかなか身を固めないことに悩んでいた。良い話はいくつもあるが、ウィリアムがなかなか首を縦に振らないのである。


 ロバートはウィリアムの性格をよく理解していた。

 ウィリアムは昔から全ての階級の者に対して平等に接してきた。飢えた者には(みずか)ら食事を分け与え、病気の者には治療を施した。メイドを家族同然に愛し、執事の言葉を決して軽んじなかった。不正を許さず、結果には(こだわ)らず、その過程の努力を(かんが)みて評価した。


 その精神を、全ての者に中立であろうとする姿を、ロバートは高く評価している。 

 しかしウィンチェスター侯爵家の当主としては、先々の後継ぎの問題は解消しておかなければならない。婚約者もいないままで当主の座を譲り渡すわけにはいかないのである。


 けれど何年経ってもウィリアムは結婚どころか婚約すら済ませようとせず、ロバートはとうとう痺れを切らした。

 彼はルイスに命じ、ウィリアムと年が離れすぎておらず、相手の決まっていない令嬢を一人残らず洗い出させた。――その中の一人が、アメリアだったのである。

 だが彼女の社交場での評判は散々なものだ。氷の女王と揶揄(やゆ)されるほどに。

 それなのになぜアメリアが自分の縁談の相手となったのか――その理由に思い当たり、ウィリアムは困惑げに問いかける。


「まさか……お前がアメリア嬢を()したのか?」


 今までそんなこと一言も言わなかったではないか。彼はそう訴える。


「そうですよ。申し上げなかったのにも理由(わけ)があります。質問は最後までお聞きになってからにしてください」

「……わかった」


 ルイスは再び話し出す。


「アメリア嬢の社交場での評判は惨憺(さんたん)たるものでございました。――が、サウスウェル家で働く使用人の間でのそれは正反対でございました。彼女は確かに無口で無愛想ではあるそうですが、質素(しっそ)倹約(けんやく)質実(しつじつ)剛健(ごうけん)、時には自ら料理を振る舞い、使用人の服を縫い、読み書きのできない者にそれを教え、個々人の能力を把握し、それをさらに発揮させるように仕事を割り振ることができるのだと」

「そんな……馬鹿なこと」

「ええ、おかしいのです。使用人は皆(うれ)えておりました。マナーもダンスも完璧なお嬢様が、なぜ社交場ではああなのかと。なぜああも人間嫌いな振りをなさるのかと……ね」

「……ッ」


 ルイスはニヤリと口元を歪ませる。


「実は以前、彼女の家庭教師(ガヴァネス)をしていた女性にも会ってきたのです。その方が家庭教師(ガヴァネス)であったのは八歳からのたった一年であったそうですが……彼女は全て完璧だったそうですよ」

「全て?」

「そうです。何一つ教えることは無く、ただ体裁のためだけに一年勤めたのだと仰っていました」

「そんな……。八歳で完璧など……あり得ない」

「そうでしょう? ――では話を戻しますが」


 ルイスはお気に入りの玩具(おもちゃ)を見つけた子供のように、嬉々として語る。


「これはあくまで私の推測ですが、アメリア嬢は実は人間嫌いではなく、嫌いな振りをしているのではないでしょうか。こちらからの縁談もそれを利用して取り下げさせるつもりなのでしょう。ウィリアム様が使用人にもお優しいというのは周知の事実。アメリア嬢は自分のメイドへの酷い扱いを見せれば、こちらから縁談を取り下げるはずだと考えたのです」


 ルイスの話す内容に、ウィリアムはますます困惑する。


「なぜ、何のためにそのような振りを……?」

「私にもそれは(わか)りかねます。けれど、この縁談をなかったことにしたいのは事実でしょう」

「いや……だがたとえそうだったとして、メイドにお茶をかけるなど――そんなことまでする必要があるのか?」


 それほどまでに縁談が嫌だったのなら、一言そう言えばいいだけだ。言ってくれさえすればこちらから取り下げる。嫌がる相手と無理に縁談を進めるほど、自分は不出来な男ではない――ウィリアムはそう自負している。


「アメリア嬢が人間嫌いだということをこちらは知っているんだ。彼女は俺にそれを確認までした。こちらはその上で結婚を申し込んでいるのだから、嫌なら誰からの縁談も受けるつもりがないと、それだけ言えば十分だろう?」


 わざわざメイドにお茶をかける理由――ウィリアムにはどうしてもそれがわからない。

 ルイスは狼狽(うろた)える主人を落ち着かせるように、一拍()を置いた。


「ええ、そうですね。仰りたいことはわかります。けれどもし……アメリア嬢があなたに嫌われたかったのだとしたら、どうでしょう」

「……何?」

「ただ縁談を取り下げさせるだけではなく、あなたに嫌われたかったのだとしたら」

「そんな……彼女とは今日まで話したこともなかったのだぞ」

「では、お茶をかけられたメイドは火傷を負っていましたか?」

「なぜ……そんなことを」


 ウィリアムはそう言いながらも、ルイスの真剣な表情に先ほどの記憶を思い起こす。

 火傷……メイドがお茶をかけられたとき、熱そうな素振りをしただろうか? 皮膚は赤くなっていただろうか?


「……おそらく、火傷はしていなかったと思う。――つまりは、それすらも示し合わせていたと?」


 ウィリアムの問いに、ルイスは頷く。


「おそらくそのとおりでございます。メイドはお茶をかけられることを知っていて、あらかじめ冷ましておいたのでしょう。つまりメイドがアメリア嬢のドレスにお茶を零すところから、全ては決められていたということです」

「そうまでして、この俺に嫌悪されることを望んだと? なぜ」


 ウィリアムは自問する。

 彼は自分が人から好かれる部類の男だという自信があった。人から好かれ――また、好かれたいと思われる人物であると。

 それが嫌われたいなどと思われることになろうとは……。


 なぜ、なぜだ。ウィリアムは頭を悩ませる。


 そんな主人にルイスは一つ咳払いをすると――容赦なく、ある事実を突きつけた。


「ウィリアム様、それはアメリア嬢があなたのことを好いておられないからです。むしろ、嫌っておいでなのでしょう」

「――な」


 ウィリアムは再び絶句する。


 嫌われている? この俺が……?


 ウィリアム・セシルという男は、今まで他人に悪意を向けられたことがただ一度としてなかった。

 それは家柄のおかげでもあり、彼自身の人柄の良さゆえでもあった。人から(うやま)われ、賞賛され、感謝され、羨望(せんぼう)の眼差しで見られることはあっても、嫌悪されたことはなかった。

 しかしさればこそ、彼には人から嫌われることへの耐性が全くと言っていいほどない。


 彼の中にあるのは、今まで生きてきた環境と、彼自身の努力と経験が作り出してきた絶対的な自尊心。

 であるから、彼は今まで自分が他人からどう見られようが気にしてこなかった。自分が他人に嫌悪される可能性など、露ほどもあり得ないと信じ切っていたのだから。


 それがまさか、一度として言葉を交わしたことがなかった相手に嫌われているとは誰が想像できるだろう。今まで女性に対してはいつだって紳士的に接してきたつもりだった。恋人を作ったこともなく、誰かに恨まれるようなことをした覚えもない。それなのに――。


 ついには黙り込んでしまった主人に、ルイスは付き人らしからぬ薄笑いを浮かべる。


「して、いかがなさいますか?」

「……いかが、とは?」

「お忘れですか? アメリア嬢はウィリアム様から縁談を取り下げてもらいたいと思っておられるのですよ。それをどうするのか、と申し上げているのです」

「それは……」


 ウィリアムは思案する。

 八歳で全てを完璧にこなしてみせたという伯爵家の令嬢。世間からの酷い評判、それと相反(あいはん)する使用人からの声。この俺を嫌い、嫌われようと努める特異な行動。

 果たして彼女の真の姿はどのようなものなのか、どんな秘密を隠しているのか……。


「縁談は取り下げない。このまま進めよう。それに、お前はそれを望むのだろう?」

「ええ……、ウィリアム様」


 二人の視線が絡まる。


 それは確かに一つの意志となって、二人の腹の底にストンと落ち着いた。

 アメリアの正体に興味を引かれるウィリアムと、アメリアを次期侯爵家夫人にと考えるルイス――二人の思惑(おもわく)は確かに一致したのだ。


「時間はたっぷりあるさ」


 ウィリアムは窓から外の景色を眺める。――自邸は近い。


 彼は先ほどまでアメリアに感じていた嫌悪感をすっかり忘れ去り、好奇心に満ち溢れた瞳で、まだ日の高い空を見上げるのだった。


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