3.創世の神話(後編)
ハデスの怒りを買い、湖のふちで泣き崩れるソフィアを、カイルは強く抱きしめます。
「僕と一緒にこの森を出よう。君と一緒なら、もう一度やり直せる気がするんだ」
ソフィアは頬を赤く染めました。けれどもすぐには頷けませんでした。自分がいなくなったらハデスは独りきりになってしまいます。彼女はそれがどうしても気がかりだったのです。
ソフィアはカイルに数日待ってほしいとお願いし、ハデスの元に戻りました。
そして再びハデスに懇願します。
「あの人をここにおいてください」
「それはできない」
ハデスはソフィアを睨むように見つめます。
「わからないのか。お前とあの男とでは、生きる時間が違うのだ」
「それでも、ほんの短い時間でも、私はカイルと一緒にいたいの。ごめんなさい、ハデス。私、彼を愛してしまったの」
ソフィアのその言葉に、ハデスはとうとう諦めました。
彼はまた理解していたのです。いつかこんな日が来ることを、ソフィアが自分のもとを去ることを。それをわかっていて、彼は自分のつくりあげた器に、確かに人の魂を入れたのですから。
「ならばあの男と共にここを去るがいい。だが二度とこの森に立ち入ることは許さん」
その言葉を最後に、ハデスは二度とソフィアと口を利くことはありませんでした。
とうとう、ソフィアがカイルと共に森を去る日が訪れました。その日もハデスはソフィアの前に姿を見せず、部屋に閉じこもっていました。
ソフィアはカイルと共に、森の出口へと辿り着きました。ソフィアは森を振り返ります。
千年もの長い時をハデスと二人で過ごした森、そこを離れるのはソフィアにとってとても辛いことでした。けれどそれでも、彼女はカイルと共に生きることを選んだのです。
ソフィアはカイルに手を引かれ、森の外へ出ました。すると空から一羽の白い梟が舞い降りて、ソフィアの肩にとまります。
ソフィアはすぐに気が付きました。梟のその真っ黒な瞳の奥から、確かにハデスの気配がすることに。
そうです。ハデスはソフィアが心配で、自分の意識の一部を梟に移し、ソフィアのもとへ放ったのです。
ソフィアはその梟を連れ、カイルと共に森を去りました。
それからしばらくの時が過ぎました。
神々が天界に戻られてからというもの、争いで荒れ果てていた土地は、一人の王と聖女によって再び緑豊かな土地へと戻りました。聖女の不思議な力のおかげで、作物はよく実り、川は決して枯れることはありません。
人々は王と聖女に感謝しながら、幸せに暮らしていました。
けれどあるとき、王は病気になりました。聖女はその力の限りを尽くして王の病気を治そうとしましたが、彼女の力を以てしても、それは叶いません。
とうとう王は死にました。ソフィアは悲しみに暮れ、一年中泣き続けました。ソフィアは自分も王のもとへ行きたいと願いましたが、どうやっても死ぬことができませんでした。
それを側で見ていた梟は、悲しげな瞳でソフィアに言います。お前の魂を解放してやろう、と。そして尋ねます。最後の望みは何だ、と。
ソフィアは王の最後の言葉を思い出しました。
王は言っていました。この国を、人々を、守ってほしい、と。
ソフィアは王の願いだった国の繁栄をハデスに願い、ハデスはその望みを受け入れました。自身がつくりだしたソフィアの身体に込めた神の力、それを国を守る加護という形で解き放ち、国の繁栄を誓ったのです。
力を失ったソフィアの身体は静かに眠りにつきました。人々は嘆き悲しみましたが、彼女が目覚めることは二度とありませんでした。
けれど彼女が眠った後も、王とソフィアの願ったとおり、国は繁栄し続けたということです。
*
「――というお話ですわ、アーサー様。……あら」
話を終えたヴァイオレットは、アーサーの反応をうかがおうと顔を覗き込む。――けれど。
「……ふふっ」
そこには、いつの間にやら眠ってしまったアーサーの姿。彼は気持ちよさそうに寝息をたてている。
「なんてお可愛らしい寝顔なのかしら」
ヴァイオレットは微笑んで、アーサーの銀の髪をさらりと撫でた。そしてその頬に、そっと唇を落とす。
アーサーを見つめる彼女の瞳は、深い慈愛に満ちていた。
「まだまだ夜は長いですわ。よくお休みになってくださいませ」
彼女はアーサーの耳元で愛しげに囁き、アーサーを起こすまいと、そっとベッドから下りた。
「――良い夢を」
そう言い残し、ヴァイオレットは部屋を後にした。




