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2.目覚め(後編)


 私は喉元に手を伸ばす。


 熱は……ない。痛みも腫れもない。

 ということは、もしかしてあれだろうか。失声症(しっせいしょう)というやつだろうか。今までに何度かそうなった人を見たことがある。強いストレスを感じると、急に声が出なくなるという……あれ。


 ――でもまさか、この私が?


 私は自身の不甲斐なさに衝撃を受けた。千年も生きている私が声を失うなど……屈辱以外の何物でもない。――なんということか。

 正直、声を失うこと自体はさして問題ではない。特に困ることもないのだから。問題は、声が出なくなった……その、理由――。


「あの……君、大丈夫?」


 何も答えられないでいる私の顔を、心配そうに覗き込む青年。彼は「やっぱり医者を」と呟いて、部屋を出ていこうとする。

 私はそんな彼の姿に、心配をかけてはならないと――腕を掴んで引き留める。


「――え?」


 当然、彼は動きを止めた。私の方を振り向いて、困惑げに眉を寄せる。

 私はそんな彼をじっと見返し、ゆっくりと首を横に振る。

 すると彼は、何事かを悟ったようだった。


「もしかして、君……声が……?」


 ――勘も悪くないわね。


 肯定の意を込め微笑むと、彼は言葉を詰まらせる。


「……えっと――あぁ、困ったな。その……しゃべれないのは、元々、なの?」


 気まずそうに尋ねる彼。その問いに、私は首を横に振る。


「え……。じゃあ……川に落ちて、今朝からってこと?」


 ――そうよ。と、私は頷く。すると途端に、彼の顔色が変わった。


「そんな、一大事じゃないか! 今すぐ医者を!」


 声を荒げ、今すぐにでも駆け出そうとする彼の腕を、再び掴む。そして首を横に振った。


「本当に、呼ばなくていいの?」

「…………」

「そ……っか」


 ――そして、短い沈黙。


「……ええっと」


 しばらくの静寂の後、彼は私を椅子に座らせた。彼自身も、私の反対側へと腰を下ろす。


「筆談ならできるよね。まずは、自己紹介しようか」


 スラックスの後ろポケットから取り出した手帳とペンを、私に手渡す。そして――。


「僕の名前はライオネル・マクリーン。君の名前は?」と、太陽のような屈託のない笑顔を私に向けた。その表情に、私の警戒心はすっかり消え失せてしまう。


 ――なんだか、とても安心させられる笑顔。心が自然と温かくなるような……。不思議な人ね。


 そんなことを思いながら、私は手帳に自分の名を書き綴った。

 彼はそれを見て、ふわりと微笑む。


「アメリアっていうんだ。とても綺麗な名前だね」


 少年のような――まるで裏表のないその声音に、私はなんだか懐かしいような、見覚えのあるような……そんな不確かな何かを感じてしまう。


「僕、君のこと何て呼べばいいかな? アメリアって呼んでもいい?」


 私はその問いに、特に考えるでもなく頷いた。すると彼は嬉しそうに眉根を下げる。


「僕のことはライオネルって呼んでね。なんなら、さっきみたいに腕を掴んでもらっても、肩を叩いてもらってもいいし」


 私を気遣いつつも、何の差別も含まない彼の純粋な眼差し。

 そのことに、私は驚かずにはいられなかった。見ず知らずの人に手を差し伸べられるその心根が、今の私には眩しいくらいに温かくて……今は、それがたまらなくありがたい。


「そうだ。お腹は空いてない? 僕も朝食まだだから、下で一緒にどう?」


 ――食事。そうだわ。私、昨日のお昼から何も食べてないわね。


 思い出すと急にお腹が空いてきた。食欲ばかりはどうにもならない。

 私は彼の申し出を、ありがたく受け入れることにした。


 *


 彼の後ろに付いてダイニングルームに入ると、壁際の甲冑(かっちゅう)が目に入った。

 お世辞にも綺麗とは言えない、ところどころ錆びたその鎧。おそらく半世紀は前のものだろう――ということは。


 ――なるほど。ここは騎士の屋敷なのね。


 広い庭に大きな屋敷。けれど家具はシンプルで調度品は極端に少ない。それにライオネルからは、良くも悪くも権力の匂いを感じなかった。

 なぜだろうと思っていたが、質素倹約を好む騎士の一族であると言われれば納得だ。

 

 私たちが席につくと、テーブルの上には既に二人分の食事が用意されていた。メニューはパンと卵とサラダ、それからスープと数種類のフルーツ。

 中産階級の朝食の定番といったメニューであるが、いつもの凝った料理よりも食欲をそそられる。

 どうやら今の私は、相当お腹が空いているようだ。


「口に合うといいんだけど」


 向かい側の席に座った彼は、自らの手でグラスに水を注ぐ。ここには給仕はいないらしい。


「――あ、水でよかったかな? ミルクもあるけど」


 彼の申し出を丁重に断り、私は水の入ったグラスを受け取る。そして水面を見つめた。

 よく磨かれたグラスに揺れる透き通った青。その色に、喉の渇きが一層強まる。


 そんな私の心情に気付いたのだろうか、彼はくすりと笑った。


「さ、いただこうか」


 ――それを合図に私はグラスを口につけ、一気に水を飲み干した。


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