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4.お茶会(後編)


 私はファルマス伯に気付かれないように、庭園の向こう側からこちらの様子をうかがっているハンナに合図を送った。

 するとしばらくして、怯えた様子のハンナがティーワゴンを押して現れる。


「お茶のご用意を……」


 彼女は震えそうになる声を必死に取り繕って、私と決して視線を合わせないようにしながらテーブルにお茶の用意をしていく。

 そんな彼女に、私は冷ややかな視線を浴びせた。


「遅い。大切なお客様をいつまでお待たせするつもりなの」


 私の低い声に、びくりと肩を震わせるハンナ。

彼女は俯いたまま、申し訳ありませんと小声で詫びる。――と同時に、ファルマス伯の表情があからさまに曇った。

 けれどさすがと言うべきか、彼はすぐさま笑みを張り付ける。


「私は構いませんよ。あなたと少しでも長くいられますから」


 ――私の機嫌を損ねないようにしつつも、ハンナを(かば)うこの台詞。直接的に私を非難しないところに、彼の頭の良さが見て取れる。

 だがそうであればあるほど、私のような女など受け入れられないはずだ。

 私は悪女らしく扇をサッと開き、口元を隠す。


「あら、メイドを庇いますの。お育ちの良い方はやはり言うことも違いますのね」

「そのような……ことは――」

「ハンナ、早くしなさい」

「は……っ、はい! 只今……」


 ハンナのティーポットを持つ手が震える。粗相をしでかしたりしたらどうなるか。彼女の顔に焦りが浮かぶ。そしてその焦りが、ミスを生むのだ。


「あっ」


 テーブルの中央より少し手前に置かれたガラス製の三段のケーキスタンド。そこにハンナの腕がぶつかった。ケーキスタンドはそれなりに安定がいい。だから普通なら、少しぶつかったくらいでは倒れない。しかし彼女は焦りからか、手に持ったティーポットを傾けてしまった。ポットの口から零れたお茶が、私のドレスを濡らす。


「あ……、ぁ」


 刹那――一瞬で蒼ざめるハンナの顔。


「も、申し訳ございません! すぐにお拭き致します……!」


 彼女は懇願(こんがん)するように(ひざまず)き、ティーワゴンに置いてあったタオルを私のドレスにあてがった。

 にしても、ファルマス伯もさすがにこれにはフォローの言葉が出てこないようである。


 おそらく彼は危惧しているのだ。自分の言葉が私の機嫌を損ねる更なる原因になることを。

 零れたのはワインではなくただのお茶で、大した汚れではない。にもかかわらず、私がハンナを叱責(しっせき)することを、彼は恐れているのだろう。


 ああ――全ては計画どおり。私が彼とは決定的に違う人間であるということを、この場でしっかりと目に焼き付けてもらわなければ。


 私はお茶会のフィナーレを飾るため、既にお茶の注がれている方のティーカップを手に取った。そしてそれを、ハンナの頭上で傾ける。

 ――零れたお茶が、ハンナを濡らした。


「きゃッ」

「ア……アメリア嬢! なんということを……ッ!」


 ファルマス伯はとうとう椅子から立ち上がり、私を睨んで声を荒げた。その瞳に、強い軽蔑の色を滲ませて――。


「あら、このメイドはわたくしのドレスを汚したのよ。当然の罰だわ」

「そんな! これはただの事故でしょう! それに、だからといってこのようなことは許されない……!」


 彼の態度からは先ほどのような余裕は感じられない。今の彼は感情に支配されている。


 私はそのことに心から安堵した。

 千年前と同じ姿をした彼と私。今までは一度もなかった彼からの接触。何かあるかと思っていたが、やはり偶然だったのだ。

 これで彼が私を受け入れなければ、彼は縁談を取り下げ、二度と私に近付くことはないであろう。

 そのためには今ここで決定的に彼に嫌われなければならない。――私は最後の詰めに取り掛かる。


「あら、この下女はわたくしのものなのよ。自分のものをどうしようが勝手だわ」

「……ッ」


 私の冷酷な言葉に、彼はとうとう絶句した。

 そんな彼を横目で流し見て、私はハンナを見下ろす。


「お前のせいでファルマス伯のご機嫌を損ねたわ。どう責任を取ってくれるのかしら」

「――っ」


 ハンナの喉から乾いた悲鳴が漏れる。蛇に睨まれた蛙のごとく身体を硬直させ、それでも彼女は必死に声を絞り出す。


「も……申し訳、ございません。全て……私の責任です。お嬢様は、当然のことをしたまででございます。ですから……どうか――どうか、ご慈悲を……」


 私はそんな彼女の態度にほくそ笑み、側で突っ立ったままのファルマス伯に視線を向けた。すると彼はようやく我に返った様子で私を睨みつけ、強い口調で言い捨てる。


「――私は失礼する……!」


 その短い言葉には、私に対する最上の嫌悪が込められていた。

 彼は私の返事も待たずに背を向ける。

 そしてそのまま一度も振り向くことなく、中庭を出ていった。


 *


「お嬢様……大丈夫ですか?」


 気付けば、ハンナが私の顔を覗き込んでいた。

 彼女の気遣うような表情に、心臓がチクリと痛む。こんな芝居に付き合わせてしまって、今さらながら罪悪感が芽生えてくる。


「ハンナ、ごめんなさい。打ち合わせどおりとはいえ……あなた火傷しなかった?」

「ええ、問題ございません。お言い付けどおりきちんと冷ましておきましたから。ファルマス伯がお飲みにならなくてよかったですわ」

「そう……そうね。さあ、ここはいいからあなた先に着替えてらっしゃい」

「そうですか? ではお言葉に甘えて」


 ハンナはにこりと微笑むと、パタパタと足音を立てて駆けていく。

 私はその後ろ姿を見送って、独りため息をつくのだった。


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