3.思い出――ある夏の日(後編)
「そう……だったの?」
わたしの口から漏れる、間の抜けた声。
その問いに、彼はいつものような笑顔を見せる。
「そうだよ。君のことが好きじゃなかったら、毎日会いに来たりしないよ」
「そう……なの……?」
「そうだよ」
「……本当、に?」
「うん。本当に気付いてなかったの? 僕は、君が僕の気持ちを知ってるとばかり――」
「……そんな。だって……そんな素振り、少しも……」
「それ、君が言うの? 君の方こそ、僕を好きだなんて一度も言ったことないだろう?」
「それは……そうだけど……」
あぁ……なんだ、そうか。そうだったのか。彼も……わたしを……。
「……あ」
やだ。安心したら、涙が……。
「ちょ、ユリアどうしたの⁉ どこか痛い⁉ 僕が手を引っ張ったから」
泣き出してしまったわたしに、途端に顔を蒼くする彼。
「ちが……違うの。だって……あんまり、びっくりして」
わたしは泣きながら、それでも必死で笑顔を作って――。
「嬉し……泣きよ」
「――っ、ユリア!」
次の瞬間、わたしは抱きしめられた。
いつの間にかたくましくなった彼の胸板から……彼の鼓動が伝わってくる。
心地いい。安心する……。けれど――。
「い……痛い、わ」
彼の腕の力の強さに声を漏らすと、彼はハッとしてわたしの身体を引き離す。
「ごめん、ユリア! つい――抑えられなくて!」
その焦った顔がおかしくて、嬉しくて、わたしは吹き出した。
「ふふっ」
すると彼も釣られて笑い出す。
「ははっ、あははははっ!」
なぁんだ、そうだったのね。わたしたち、本当は両思いだったのね。
安心したわたしは、先ほどの不安はどこへやら――いたずら心を芽生えさせ、彼の腕を掴んでぐいっと引き寄せる。そうして、彼の頬に口づけた。
「ちょっ、ユリア、何を……」
彼はパクパクと口を開け、顔を真っ赤に染め上げる。
その姿が可愛くて、愛しくて、わたしは微笑んだ。
「さっきわたしを不安にさせたお返しよ!」
「――っ、それは……反則だよ」
彼は顔を赤らめたまま、急に真面目な顔をする。
そして、わたしの両肩をがしっと掴んだ。
「……え?」
これは、もしかして……もしかしなくても。
「ちょ……さ、さすがにそれは……わたしたち、まだ子供よ」
わたしは急に恥ずかしくなって、彼の胸を押し返した。でもびくともしなくて。
それに――彼の熱を帯びた瞳がわたしの心を捕えて――もう、何も考えられなくなった。
「ユリア……好きだよ。ずっと、僕と一緒にいてほしい」
「……うん」
「あぁ、ユリア――!」
そしてわたしたちは、そっと唇を重ねた。
*
わたしたちは二人、大木の太い枝に腰かけ、眼下の景色を眺めていた。
じきに日が暮れる。ひぐらしの鳴き声が、一日の終わりを告げる。
先ほどまでの暑さが嘘のように、辺りは森のひんやりとした澄んだ空気で満たされていた。森も、草原も――町も、だんだんと紅に染まっていく。
そんな美しい景色を見下ろしながら、わたしは隣の彼に問いかける。
「ねぇ、どうしてさっき……」
「……ん?」
彼の顔がわたしの方を向く。彼の瞳も、淡いオレンジ色に染まっていた。
「なんで……ごめんって言ったの?」
「……え? ――あ、あぁ」
彼は一瞬考えて、恥ずかしそうに俯く。
「だってかっこ悪いだろ? 僕の方から言うべきだったのに」
「――っ」
先ほどのことを思い出したのか、耳まで赤くする彼。
それが本当にかわいくて愛しくて、わたしは彼の肩に頭をもたれる。
「本当に……あなたって人は……」
どこまでも――本当に真面目なんだから。
そう思ったところで、わたしは先ほどから抱いていた違和感を思い出した。
「ねぇ?」
「どうしたの?」
「あなた、いつの間に背伸びたの? ちょっと前まで、わたしの方が大きかったじゃない」
なんだか彼が知らないうちに、別人になってしまったような……そんな違和感。
けれど彼は、わたしの問いを笑い飛ばす。
「ははははっ! 何言ってるの、ユリア! もうずっと前から僕の方が大きかったでしょ?」
「……え?」
あれ? そうだったかしら?
「僕たちもうすぐ十四歳になるんだよ? 忘れちゃった?」
彼はひとしきり笑ってから、自分の腕をわたしの目の前にぐいっと突き出す。
「ほら見てよ! 最近筋肉もついてきたんだよ!」
自慢げに鼻を鳴らし、二の腕に力を込めてみせる彼。
そこには確かに、わたしとは比べものにならない、ぽっこりとした力こぶがあって……。
「……本当、ね」
「でしょ? それに……君だって……その」
言いかけて、彼は再び顔を赤くする。
「……?」
「君だって……とても綺麗になったよ。昔からずっと可愛かったけど……最近は、もっとずっと、綺麗になった」
「――っ」
熱を帯びた彼の瞳。その瞳に見つめられると――たまらなく、恥ずかしい。
「あぁーもう、ユリア、君本当に可愛いすぎるよ! 僕、今、夢を見てる気分だよ」
言葉と同時に、手をぎゅっと握られる。わたしより大きな、力強い手のひらで。
わたしはそれがやっぱり恥ずかしくて、彼の顔を見れなくて。
だからその代わりに、必死の思いで彼の手を握り返す。
「ゆ……夢じゃ、困る……わ」
「うん、そうだよね! 僕も困る!」
そう言って、彼は笑う。
「ふふっ、なに、それ」
わたしも――笑う。
そうやってわたしたちは、日の暮れるギリギリまで、二人きりで過ごした。




