2.思い出――ある夏の日(中編)
「――っ」
瞬間、わたしの心臓が再び跳ねる。
彼の笑顔――わたしに向けられる、彼の視線。
それがとても嬉しくて、あまりにも眩しくて……今にも溢れ出しそうな想いが、わたしの胸を締め付ける。
「ユリア? どうしたの? 僕、何か変なこと言ったかな?」
「な、なんでも……な……っ」
胸が熱くて、苦しくて、上手く言葉が出てこない。
彼はそんなわたしを不思議そうに見つめ、あっと声を上げる。
「そうだ! お礼!」
「……?」
「このジャムのお礼、ユリアにしなくちゃね!」
「――っ!」
そう言って、無邪気に笑う彼。
――うう、なんて素敵な笑顔なの。お礼なんて、してもらうつもりはなかった。ただ受け取ってもらえればそれだけで十分。そう、十分だ……と、思っていた。――けれど。
「ユリア、何か欲しいものはある?」
彼の透き通った瞳に、純粋な優しさに、欲が出てきてしまいそうになる。
ああ、どうしよう、嬉しい。本当に、嬉しい。
「え……っと」
どうしよう、欲しいもの。欲しいもの……。
本当に欲しいものなんて決まっている。彼が、わたしだけを見て、わたしだけを好きになってくれること。――けれど、そんなことは口が裂けても言えない。
だからわたしはよく考えて、決めた。
「今度……すぐにじゃなくていいから……あなたの都合のいいときで、いいから……」
「うん?」
「一日中、一緒に……いて……くれないかしら」
「……え?」
「あっ」
言ってしまって気が付いた。
これではまるで告白だ。彼のことが好きだと、言ってしまっているようなものだ。
わたしは慌てて、言い直す。
「べ、別に深い意味は! ほ、ほら、わたしたちって、いつもは長くても一、二時間しか一緒にいられな――じゃなくて、えっと……ほら、たまにはもっとお話したいな、とか……思って」
どうしよう。言えば言うほど空回りしてしまう。恥ずかしい。きっと呆れられてる。
わたしは今にも泣き出しそうになりながら、ちらと彼の様子をうかがった。
すると彼は驚いたような顔で、何かを考えているような素振りを見せる。
「……っ」
瞬間――わたしは後悔した。
同時に、何も答えてくれない彼に、とても悲しい気持ちになった。
「……あ、あの……わたし……っ」
もういやだ。消えたい。今すぐにここから逃げ出してしまいたい。どうせならもっと別のことを言えば良かった。彼を困らせないような、もっと普通のお願いをすれば良かった。
わたしは自分のつま先を見つめ、どうにか言葉を絞り出す。
「や……やっぱり、他のことにしようかしら。あなたも、忙しいと……思うし」
「…………」
ああ、どうして彼は何も言ってくれないのだろう。嫌なら嫌って言ってくれればいいのに。
断られるのは辛い。だけど、何も言ってもらえないのは……もっと辛い。
わたしは唇を結ぶ。――恥ずかしい……泣きたい。
それからどれくらい経っただろうか。ようやく……彼が呟いた。
「ユリア、大丈夫?」
「――っ」
その声はいつものように優しくて、柔らかで。けれど、その優しさが今は痛い。
それに、いったい何に対しての大丈夫なのか、わたしにはわからなかった。
わたしは彼の真意を確かめたくて、ゆっくりと顔を上げる。
すると同時に、彼が呟く。
「ごめんね」
「……ッ!」
それは、わたしの想いを否定する言葉――。
彼の真剣な表情に、わたしの心は粉々に砕け散る。
あ――駄目だ、泣く。
「……っ」
わたしは泣き顔を見せたくなくて、彼に背中を向け走り出した――けれど。
「違う、そうじゃないんだ! 待ってユリア! 行かないで!」
彼の叫び声がして、腕を思い切り掴まれる。
その反動で、わたしは背中から彼の胸に倒れこんだ。
「やだ……っ、聞きたくない。放して!」
それでもわたしは抵抗して、彼の腕を振りほどこうとした。
けれど、振りほどけない。彼の力は……もうわたしよりずっと強くて……。
「違う、違うよ! ごめん! 僕……あまりにびっくりして」
わたしの身体を背中から抱きしめる彼の腕。――聞いたことのない、不安げな声。
「君は僕の気持ちに、とっくに気付いてると思ってた。だから……その、つまり――僕は君のことが……好きなんだ」
――え?
それは突然の告白だった。ほんの少しも予想していなかった、彼の愛の告白だった。
「……今……なんて……」
思いもよらない展開に、わたしは放心する。
そんなわたしの耳元で、優しく囁く彼の声。
「ユリア、好きだよ。……いいんだよね? 君も、僕のことを好きだと思ってくれてるってことで」
「――っ」
――ドクン。
鼓動が高鳴る。さっきよりも、もっと強く。
わたしは彼を振り返り、ゆっくりと顔を上げた。
いつの間にかわたしの身長を超えてしまった、彼の顔を――。




