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5.失恋


「ウィリアム様、見てください! 魚が泳いでいますわ!」


 カーラはボートから身を乗り出して、無邪気に水面を指差した。

 ウィリアムはそんなカーラを困った顔で見つめている。


 今日はカーラのテンションがいつになくおかしい。

 カーラはウィリアムの屋敷を出発してからずっとウィリアムに話しかけっぱなしだったのに、アメリアが馬車に乗ってきた途端に今度は(だんま)りを決め込んだ。

 結局カーラは道中アメリアと一言も口を利かず、馬車を降りてからもそれは変わらない。彼女はただウィリアムのことしか見ていない。


 ウィリアムはカーラが自分のことを好いていることに気が付いていた。面と向かって好きだと告げられたのはカーラがほんの子供の頃だったが、それ以降も彼女の気持ちは態度からひしひしと伝わってきた。


 ウィリアムがそれを不快だと思ったことは一度もない。だから彼は無碍(むげ)に断ることも、避けることもしなかった。

 けれど同時に、それを特別嬉しく思うことがなかったのもまた事実である。


 ウィリアムがカーラに対して持っている感情は、良く言えば自分を慕う妹に対する兄妹愛であり、悪く言えばただそれだけ。決して恋人に対して感じるような(たぐい)のものではないのである。

 それを言うのならば、彼はアメリアに対しても恋愛感情を抱いてなどいないのだが。


 ともかくウィリアムは困っていた。いつものカーラなら、ウィリアムから子供に見られまいと背伸びをして澄まし顔、なるべく大人しく、素直で従順な女性である振りをするはず。


 けれど今日の彼女はそうではない。彼女は自分の感情を素直に表に出し、ウィリアムにもアメリアにも、心のままに接している。

 もちろんウィリアムは、それこそが本来の彼女であることを理解していた。子供の頃からの付き合いであるのだ、気が付かないはずがない。


 だからこそ、ウィリアムは今までの自分のカーラへの態度を後悔し始めていた。

 彼は過信していたのだ。カーラが自分に対し、その想いをぶつけてくることはしばらくの間はないだろうと。

 素直で、控えめで、穏やかに――できるだけウィリアムに釣り合うようにと努力するカーラが、彼女の考えるウィリアムに釣り合う女性になるまでは、自ら想いを告げてくることはないはずだと。

 だから彼は今までずっと、カーラをあえて遠ざけず彼女の好きにさせていたのである。


 それが、どうしてこうなったのか。


「カーラ、さっきのアメリア嬢への態度はいったいどういうことだ。あれではあまりに失礼だ」


 ウィリアムはカーラを戒める。

 どんな事情があろうと、あのような態度を取ってもよい理由にはならない。それぐらいわかるだろうと、ウィリアムは言いたいのだ。

 けれどカーラは、頷くどころか反論する。


「失礼? それを言うならあの方の方が失礼だわ。わたし、兄さまに聞いて知ってるのよ」


 カーラの瞳は真剣そのものだった。

 けれどウィリアムには、カーラの言いたいことが何なのか、見当もつかなかった。


「ウィリアム様は知ってる? あの方、エド兄さまとブライアン兄さまと一緒に、街のパブに出入りなさっていたのですって」

「パブ?」


 それはウィリアムにとって、聞き覚えのない話だった。

 そもそも、ウィリアムはアメリアのことをほとんど知らないと言っていい。二人はまだ婚約して一月も経っておらず、それどころか、会うのすら今日で三度目なのだ。

 けれどそんなことを知る由もないカーラは、顔を赤く染める。


「やっぱり知らないのね! 兄さまたち、舞踏会の最中(さなか)にパブに連れていかれたのよ。あぁ、口にするのも恐ろしい。あの方……どこの誰ともわからぬ男がいる場に、恥ずかしげもなく――」


 カーラは声を震わせる。


「わたしにだってプライドというものがありますのよ! あの方に……あんな方にウィリアム様を……。なぜなのです! あの方はウィリアム様にふさわしくありませんわ!」


 ウィリアムを睨むように見つめるカーラの瞳。

 けれどウィリアムは、そんなカーラの視線をただ冷静に受け止める。


「二人がそう言ったのか?」

「そうですわ!」

「ならそれは、お前の目で見たことではないよな?」

「――っ! ウィリアム様は、兄さまが嘘をついているとでも言うの⁉」


 カーラはカッと目をむいて、ボートから勢いよく立ち上がった。(はず)みでボートが揺れ、身体のバランスを崩しかける。けれど彼女は足に力を入れ、なんとか踏みとどまった。

 これだけは――引けない。


「落ち着け。そうは言ってない」

「それ以外の意味なんて……!」

「そうだな。確かにそうだ。だがあの二人は、アメリアのことを嫌いだと言ったか? 迷惑だと? 失礼だと罵ったか?」

「それは……」


 ウィリアムは双子から、彼らがアメリアとどれほど交流があったのか知らされていなかった。当然ルイスからも、何一つ聞かされていなかった。

 けれどそんなウィリアムでも、今日の双子の態度がアメリアを嫌っているものではないことを悟っていた。


「確かに彼女には悪い噂もある。その事実を否定したりはしない。火のないところに煙は立たないと、昔から言うしな」

「――なら!」

「それでも……それが彼女の全てだとは、俺は思わない」


 ウィリアムの真摯(しんし)な眼差しに、カーラは唇を噛み締める。


「騙されているとは……考えませんの?」


 震える声で、彼女は呟く。


「わたしは……ウィリアム様のことを思って……」


 悲しげに、切なげに、愛しげに揺れる瞳。

 けれどそれがウィリアムに届くことはない。


 ウィリアムは――彼女にとって何よりも堪え難いその事実を突きつけるために――ゆっくりと口を開けた。


「たとえそれが事実だったとしても、君が口を出すことではないよ」

「――っ」

「そろそろはっきりさせよう、カーラ。俺は君の気持ちには応えられない。君のことは可愛いと思っているが……それはあくまで従妹(いとこ)としてであって、家族に感じるような愛情だ。恋ではないよ」

「――――」


 刹那……カーラはその場にへたり込む。


「もっと早く君に伝えるべきだった。俺が悪かった。すまない」

「そ……んな……、だって……だって……」


 カーラはとうとう泣き出した。

 さっきまで赤かった顔を蒼くして、彼女は大粒の涙を溢れさせる。その頬に、次々と涙が零れ落ちていく。

 けれどウィリアムが彼女に触れることはなかった。


 ウィリアムは嗚咽を上げ悲しみに暮れるカーラを、感情のない瞳で見つめるばかりだった。


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