1.カーラと兄と王太子(前編)
「どうしましょう……どうしましょう……」
まだ日の高い時間――少女は一人、部屋の中を行ったり来たりしていた。その部屋は、少女のお気に入りの白い家具と沢山のぬいぐるみが飾られており、とても可愛らしい。まさに少女の心を写し出したような部屋である。
少女の名前はカーラ・スペンサー。スペンサー侯爵家の四人兄妹の末っ子に当たる。
先月十六になったばかりのカーラは、悲壮感溢れる様子で頭を抱えていた。
「あぁ、駄目だわ。どうしたらいいのかわからない。お兄さまに相談しようかしら……」
カーラはぶつぶつと呟いたかと思うと、せわしなく自室を後にする。向かうは屋敷の二階、一番奥の部屋だ。
カーラは長い廊下を一気に駆け抜けると、乱暴に扉を開け放った。
「お兄さまッ‼」
するとカーラの呼び声に返ってきたのは、苛立つような声と――罵声。
「ああッ、くそ、外したッ! ――カーラ! 部屋に入るときはノックしろっていつも言ってるだろ!」
それはカーラの二番目の兄、エドワードの声だった。
エドワードは、部屋のど真ん中に置かれたビリヤードのテーブルに上半身をかがめた体勢でカーラを睨みつける。どうやらストロークを外してしまったようだ。
その証拠に、エドワードのすぐ横には彼のミスを嬉々として眺める――エドワードと瓜二つの双子の弟――ブライアンの姿があった。
――それにしても、何度見ても凄い部屋。
そこにはエドワードとブライアンによって、賭け事という名のありとあらゆる娯楽が集められていた。トランプ、ダイス、チェスにダーツ、ルーレット、ビリヤード、そして先週カーラがここに入ったときにはなかったはずの、ボーリングらしきものまで用意されている。
カーラはそれらに一瞬気を取られるが、すぐさま我に返りエドワードを睨みつけた。
「エド兄さま! それどころではありませんの!」
カーラは扉を閉めぬまま、二人の兄へと歩み寄る。
「ウィリアム様が婚約なさったのです!」
叫ぶように言い放った彼女の顔は悪魔のような形相だ。
エドワードとブライアンはそんな妹の姿に、ははーんと顔を見合わせた。
「お前、まだウィリアムのこと好きだったのか」
エドワードはテーブルにもたれて両腕を組む。からかうような笑みと共に。
そんな兄と同じくして、双子の弟ブライアンもやれやれと肩をすくめた。
「お前さ、いい加減諦めろ。あいつはお前のことなんて眼中にないって」
「そうだぞ。それに絶対あいつ、釣った魚に餌をやらないタイプだぜ」
「ああ、お前とはいろんな意味で釣り合わない。悪いこと言わないから止めとけ」
兄たちの心ない言葉に、カーラの頬は怒りで赤く染まる。
「そんなことないわ! ウィリアム様はわたしと結婚してくださるって言ったもの!」
カーラは訴える。
――そう、確かにウィリアムは、昔カーラにそう告げた。
けれどエドワードとブライアンは、その事実を知りながらも再び顔を見合わせる。
「いや……それ本気か?」
「当たり前、ですわっ!」
「でもその約束、確か八歳のときのじゃなかったか? いっつもウィリアムの後ろにくっついてさ、二言目には結婚してくれ――って」
「それが何だと申しますのっ! ウィリアム様は言ってくださいましたわ! わたしが立派なレディになったら、結婚してくださると!」
「…………」
妹の必死な言い分に、二人は今度こそ「うーん」と唸る。
「それはさ、ほら、あれだ。社交辞令だろ」
「ああ。さすがのお前でもそれくらいわかるだろ?」
「……っ」
「それに、ウィリアムは他の女性と婚約したんだ。それが答えだろ? 確かに急だったから、納得いかないかもしれないけどな」
「エドワードの言うとおり。今さらどうしようもないって」
「……っ」
兄らの言葉に、カーラはドレスの裾をギュッと握りしめる。
――本当に、もう諦めるしかないのだろうか、と。
昨夜のウィリアムのプロポーズ。それはカーラがずっと夢見てきたことだった。でも、相手は自分ではなかった。その事実は変わらない。――でも。
――嫌だ。諦めるなんて絶対嫌だ。だって、ウィリアム様のことを本当に愛しているのは、ずっと愛してきたのはこの私だ。確かにアメリア様はとても美しい方だったけれど、だからといって簡単に諦められるはずがない。
だがそんなカーラの思いを置き去りにして、エドワードとブライアンは好き勝手に話を進めていく。
「それにしてもウィリアムのやつ、いつの間にって感じだよな。相手って誰だっけ。侯爵家か? 伯爵家か?」
「さぁ。昨日の夜会で婚約したんだろ? あーあ、知ってれば出席したのにな。面白いもん見逃した」
「ほんとだよ。あいつ、いとこの俺たちに一言もないって。知ってればお祝いの一つでも用意したってのに」
「ヒキガエルを箱に詰めたりしてな」
「ああ、さすがのあいつも驚くだろうな!」
そう言って無邪気に笑い合う二人。そんな兄らの姿に、カーラは憤る。
「……ふざけ、ないで」
カーラは兄二人を悔しそうに睨みつける。
「わたし……わたしは……、本当に……ウィリアム様のこと……ッ!」
この気持ちは本物なのだ。そんな冗談みたいに笑わないでほしい。諦めろなんて、簡単に言わないでほしい。ずっとずっと好きだったのだから。幼い頃からずっと彼だけを見てきたのだから。




