4.騎士の誓い
「……ライオネル……私……」
ああ、ライオネル。私は、なんと浅はかな人間なのだろう。
あなたはもう決めたのね。私の想いに応えられなくとも、傍にいてくれる、と。抱きしめられた体を通して、その揺るぎない意志が伝わってきた。
ライオネルの短い赤毛が、首筋に触れる。彼の腕の中に閉じ込められ、私は深く安堵した。ウィリアムでも、エリオットでもない、彼の腕の中でのこの安堵こそが罪だと、身を苛む。
彼の背中に回した腕に力がこもり、胸の鼓動が私の震えと同期する。耳にかかる吐息は、何かを堪えているように掠れていた。
彼の純粋な覚悟が、私にはあまりにも眩しく、心臓がきしむように痛む。私は零れる涙を抑えきれず、ライオネルにしがみついた。すると、私の背に回された腕が、さらに強く、私を捕らえた。
「アメリア……。今だけ、今だけでいいから」
喉の奥から絞り出された声が、私の胸に直接響く。何の偽りもない、彼の魂そのものの響きだった。――ああ、私は、なんて罪深いことを。清らかな彼を、この渦に巻き込んでしまうなんて。けれどもう、この流れを後戻りさせる術はない。
「……ライオネル。――ありがとう。でも……」
そう呟き、彼の胸をそっと押し返した。彼の瞳が、揺らぐ水面のように波打つ。
「……アメリア?」
拒絶されたと、そう思わせたのだろうか。不安を滲ませた声が、私の名を呟いた。が、これは拒絶ではない。
「私、あなたに話すわ。私の知る限りのことを、すべて。だから……もしもそれを聞いてもあなたが今と同じ気持ちでいられたら……そのときは……」
私は真っ直ぐにライオネルを見据える。
「――私に、忠誠を誓いなさい」
「――っ」
騎士の忠誠は、生涯絶対だ。主を裏切り、誓いを違えることは決して許されない。だからこそ、私は今こそ全てを話さなければ。
「それって……」
私の真意を汲み取ったのだろう。彼は深く私の瞳を見つめ返し、唇を固く結んだ。その眼差しは、覚悟を決めた騎士の強い光を宿していた。
静寂が教会を満たす。浮世離れした二人きりのこの場所で。私たちは――誓うのだ。
ライオネルは私の言葉を待ち、瞬き一つせず見つめていた。彼の強い眼差しが私を貫く。
けれど、私が口を開いたその瞬間――ライオネルが、動いた。
「――しっ」
彼は教会の入り口、扉の方へ、獲物を捉えるような鋭い視線を向けた。そして、私を庇うように背後に隠す。
「外に誰かいる」
呟くと同時に、彼の右手が腰の長剣に添えられた。全身からひやりとした殺気が放たれる。その気配に、私は困惑した。今まで危機を察知してきたはずなのに、まったく気が付かなかった。
「誰だ! そこにいるのはわかっている!」
ライオネルが、外に向かって声を張り上げる。すると、微かに開いていた扉が大きく開き、一人の屈強な男が姿を現した。
「よう、マクリーン。こんな場所で逢引とは、洒落てるな」
「――! 何故……貴方がここに」
ライオネルの喉が、緊張でごくりと音を立てる、無理もない。そこにいたのは、元騎士団長、コンラッド・オルセンだったのだから。
一方で、私もまた、一つの仮説に行き着いた。ルイスの言葉が脳裏を過る。『アーサーは既に、気づいている』と。
つまり、コンラッドは私を監視していたのだ。
(……ああ、なんてこと)
心に余裕がなくて、夢中になっていた。ライオネルとの会話も、ニックを助けたことも、既に知られてしまっているのかもしれない。
しかし、状況を知らないライオネルは、コンラッドと現状に見合わない会話を交わしている。
「何故、コンラッド卿がこのような場所に」
ライオネルの問いに、コンラッドは口の端を上げた。
「そちらの方はファルマス伯の婚約者、アメリア嬢であろう。このような場所に二人きりとは、勘ぐられても文句は言えまい?」
コンラッドの不敵な物言いに、ライオネルの肩が一瞬、震えた。
「……彼女とは、ただの友人です」
「ほう、友人か。だが状況を見れば、あらぬ噂を立てられることもあるだろう。誤解を招くようなことはせんことだな」
コンラッドの低い声に、ライオネルは沈黙を貫く。どう答えるべきか考えを巡らせているのだろう。
彼はやれやれと肩をすくめると、冷めた口調で続けた。
「マクリーン、アメリア嬢をこちらに引き渡せ。私が屋敷まで送り届けよう」
「……それは」
命令ですか――と言いかけて、ライオネルは動きを止めた。私が服の裾を引っ張ったことに気づいたのだ。彼は意識を取り戻したかのように、私の方をゆっくりと振り返る。
私は彼を安心させようと笑みを作り、一歩踏み出すと、彼の横に並んだ。コンラッドの真意を推し量るために。
「その申し出、とても有難く思いますわ、コンラッド卿。けれど、わざわざあなたのような方の手を煩わせたなんてことを家の者に知られたら、わたくしが叱られてしまいますわ。わたくしにはこの……マクリーンで十分ですのよ。お釣りが出るくらいですわ」
にこりと微笑んで見せると、コンラッドの瞼がかすかに震えた。
「なる程。聞きしに勝る豪気な方のようですな。だが、これは殿下の命令でありますから、貴方に拒否権はありませんぞ」
(やはり、アーサー様の指示なのね……)
私は確信した。彼に連れて行かれること自体は構わないが、ライオネルを巻き込むわけにはいかない。
彼はまだ、何も知らないのだから。
私がライオネルに視線を向ければ、彼の表情は苦渋に歪んでいた。彼もまた、アーサー様の命令を斥けることなどできはしないと、わかっているのだ。ああ、やはり、それならば――。
私は彼に、決別の意を込めてそっと瞼を閉じる。きっとこれが、ライオネルと会う最後になるだろう。そんな予感がしたから。
「……ごめんなさい、ライオネル」
そう言い残し、コンラッドの元へ、教会の出口へと足を踏み出した――瞬間。
「……っ」
左腕を掴まれた感覚に振り返れば、ライオネルの右手が私を捕らえていた。強い力は、「行かないで」という心の叫びをそのまま伝えてくる。
そんな私たちの耳に、コンラッドの声が響き渡った。
「どういうつもりだ、マクリーン。殿下の命令に逆らうということの意味がわからないほど、お前はもう子供ではあるまい?」
コンラッドの目が、ライオネルの奥底まで見透かすかのように、彼を睨みつけた。
けれど、ライオネルはもう一歩も退かなかった。彼は私の前に出ると、コンラッドをこれでもかと睨み返す。
「わかりません。僕には、わからない。何故そうまでしてこの方を連れて行こうとするのですか。何も知らずに、この手を離すなんてこと、僕にはできない!」
「――ライオネル! マクリーンの名を汚すと言うのか! レイモンドは騎士の称号を剥奪されるぞ!」
「父上は関係ない! これは僕の問題だ!」
二人は離れた距離で対峙する。もう、ライオネルの声が震えることはなかった。
このままでは不味い。彼をこれ以上、巻き込んではならない。
「……ライオネル、落ち着いて。大丈夫よ、何でもない。あなたは何か勘違いしてるのよ」
彼の背中に、穏やかさを装った言葉をかけてみる。しかし。
「その言葉は信じない。そんな表情して大丈夫なわけないだろう!? 僕はまだ君から何も聞いてないんだ。誓いだって立てていない。こんな中途半端なままで、行かせられるわけないじゃないか!」
「……っ、駄目……よ……」
私の制止は届かない。彼の瞳は、私以外、何も見ていなかった。
「それがお前の答えか。ライオネル」
地を這うような低い声で、コンラッドが剣を引き抜く。その瞳は、深淵の闇を湛えていた。
「ならば、お前はここで粛清する。王家に仇なす――反逆者として」
「……ッ! コンラッド卿! 貴方ともあろう方が、この様なことで……!」
ライオネルの右手が私の左腕から離れると同時に、彼は私の身体を教会の隅へと押しやった。それと同時に、腰から引き抜かれる彼の剣――。
「やめて……!」
けれど私の叫びも虚しく、次の瞬間にはもう、ライオネルはコンラッドに剣の切っ先を向け、一直線に駆け出していた。




