3.古びた教会
「……ここは」
ライオネルに手を引かれ、連れて来られた場所は、街外れにある小さな古い教会だった。
庭はすっかり荒れ果て、背の高い雑草が鬱蒼と生い茂っている。石造りの柱は所々欠け、ひび割れた外壁には、屋根の上まで蔦が絡みついていた。
ライオネルは左手で私の右手をしっかりと握ったまま、もう片方の手で教会の扉を押す。
ギシギシと錆びついた蝶番が悲鳴を上げ、重たい扉が開いた。私は彼の後に続いて、その薄暗い中へと足を踏み入れた。
中の状態は、外観から想像していたよりもずっと綺麗だった。少し埃っぽいけれど、誰かが掃除をしているのだろう、気になる程ではない。
そして何より――。
「……綺麗、ね」
私の視界いっぱいに広がったのは、天井から下がる巨大な白い十字架と、ステンドグラス越しに教会全体に降り注ぐ虹色の光だった。
きらきらと光の粒が舞い、神聖な静寂が満ちている。
私の呟きに、ライオネルがゆっくりと振り向いた。そして、少年のような無邪気さで笑った。
「そうだろう?」
ここ、僕のお気に入りの場所なんだ――。そう言って彼は私の手を引いて最前列へと進み、長椅子に腰を下ろした。私も彼の隣に座る。
「嫌なことがあったときは、僕、いつも独りでここへ来るんだ。ここなら誰も……来ないからさ」
私の横顔を、ライオネルの瞳がじっと見つめている。その褐色の瞳は、ステンドグラスの七色の光を反射して、とても澄んでいた。
「あなたでも……あるの? 何かを忘れたくなるようなことが」
私の問いに、彼の瞳が微かに細められる。
「勿論あるよ。そんなこと、しょっちゅうさ。僕はまだ騎士団の下っ端だし、毎日毎日怒鳴られてばかりで……時々、自分が嫌になるよ。何も出来ない自分が……」
きっと、彼の言葉は嘘ではないのだろう。でも、それだけではないことも私には痛いほど分かった。彼は今、傷ついている私を慰めるために、あえて自分の弱さをさらけ出してくれているのだ。
どうしてこの人は、こんなにも優しいのだろう。
「ここ、もう少しで取り壊されちゃうんだ。さっきの泣いている君を見たら、その前にどうしてもここに連れて来たくなって」
彼は優しく微笑むと、私の冷え切った右手を、その温かい両手でそっと包み込んでくれた。
彼の体温が、私の指先をゆっくりと溶かしていく。
「ねぇ、アメリア……話したくないのなら無理にとは言わないけど。もし良ければ、聞かせてもらえないかな。君が、さっき泣いていた理由を」
ライオネルの声が、かすかに震えた。
「アメリア、僕らが出会ったあの日――君はどうして川岸に倒れていたの? 何故君は、いつもそんなに辛そうな顔をしてるの? 君は一体、何者なんだ……」
その言葉は、最後に独り言のように小さくなった。彼の中で、知りたいという欲求と、私をこれ以上追及したくないという葛藤が渦巻いているのがわかった。
「私……は……」
私は言葉に詰まった。言えるはずがない。彼を、この闇に巻き込んではいけない。
私が口を噤むと、ライオネルは意を決したように口を開いた。
「実はね、僕、ルイスに頼まれたんだ。間違った道に進むニックを正してやってくれって。今、彼は僕の――アルデバランの屋敷にいるよ。まだ足の傷が癒えていないから、今日は連れて来れなかったけど。次は必ず、連れて来るよ」
「……っ、ニックが? ……ルイスがあなたに、そう頼んだの?」
私は弾かれたように顔を上げた。ルイスがライオネルにニックの保護を頼んだ?
それはつまり、ライオネルは騎士団の命令に背き、罪人を匿ったということだ。騎士の彼にとって、どれほど重い決断だっただろうか。
「勘違いしないで。僕がしたくてしたんだよ。僕は、そうしてでも君のそばに居たいと望んだ。君には迷惑かもしれないけど、でも、こうでもしないと君は、僕に目を向けてくれないだろう?」
「……、あなた……何を言っているか、わかっているの……?」
ライオネルの真剣な眼差しが、私の心を射抜く。それは熱い刃のように突き刺さった。
「勿論、わかってるつもりさ。アメリア……どうか僕を君の騎士として、傍に置いて欲しいんだ。そうしたら僕はこの命をかけて君と、そして――伯爵を守ると誓うよ。まだ騎士ではない僕が……上の命令に背いた僕が言っても、説得力はないのかもしれないけれど。それでも、この気持ちだけは、本物だ」
「……ライオネル」
私は息を呑んだ。彼はもう、後戻りのできない一線を越えてしまったのだ。その覚悟の重さが、彼の瞳から痛いほど伝わってくる。
彼の強い決意と、私を巻き込んでしまったという事実に、再び感情が溢れ出した。
「ごめん、ごめんなさい。私、あなたに……」
そんなことを望んだつもりはなかったのに。
「泣かないで、アメリア。僕の方こそごめんね。君を困らせるつもりじゃ無かったのに。僕……」
私を見つめる彼の顔が、悲痛に歪む。
「違うの。違うのよ。私……ただ、あなたを巻き込みたくなかった……だから」
「――!」
ライオネルの瞳が、これでもかというほど見開かれた。私の言葉の意味を悟った瞬間、彼の表情から全ての迷いが消え去った。
そして、全てを受け入れるように優しく微笑んだ彼は……。
「いいんだ。巻き込んでくれていいんだ。僕は……君の傍にいて……ただ、君を守りたいだけなんだ」
彼は顔を寄せ、私の耳元でそう甘く囁いた。
そして、その鍛えられた両腕で私の身体を、強く強く――抱きしめる。
教会の静寂の中、降り注ぐ七色の光の下で、彼の鼓動だけが私に届いていた。




