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愛しのあの方と死に別れて千年 ~今日も私は悪役令嬢を演じます~【改稿版】  作者: 夕凪ゆな
第17章 千年前の因縁

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5.ヴァイオレットとの邂逅


 *


 アルバートの姿が見えなくなると、ウィリアムは小さく息を吐いた。

 先ほどの違和感が、胸の中で小さく燻っている。彼が王都に戻ってきた理由は、本当に研究のためだけなのだろうか。


 そもそも、なぜ彼はここに――貴族専用の閲覧スペースにいたのか。アルバートは貴族ではない。つまり、待ち合わせの相手が貴族だということか。


「……いや」


 ウィリアムはかぶりを振って思考を打ち切った。今はそれどころではない。

 目的はアーサーだ。彼に会わなければならない。

 だが、あの頑なな近衛兵たちがいる限り、正面突破は難しいだろう。やはり、アーサーが出てくるのを待つしかないのか。


「……無力だな」


 ぽつりと零れた言葉は、自分自身への嘲笑だった。

 今までは、いつだってルイスが傍にいた。彼がいれば、こんな風に立ち往生することなどなかった。ルイスは常にウィリアムの一歩先を読み、最善の道を用意してくれていたのだ。

 だが、それはもう望めない。


 胸の奥が、ぎゅっと締め付けられるような痛みに襲われる。


(俺は、どこで間違えたのだろうか)


 気付けば、ルイスが傍にいることが当たり前になっていた。まるで自分の半身のように。いや、実際、彼はウィリアムの心を預けた、唯一無二の存在だったのだ。

 そう、ルイスは間違いなくウィリアムにとっての特別だった。けれど、忠実な付き人だったルイスはもういない。ルイスは、自身が居た場所にアメリアを据え置いたのだ。もう自分は必要ないと、そう告げて。

 だが、あれはルイスにとって、ただの契約にすぎなかった。ルイスは自身の目的のためにウィリアムに協力し、その結果としてウィリアムも救われた――自分たちは、それだけの関係。


 ウィリアムは顔を歪めた。思考が闇の中へと沈んでいく。


(……俺は知っていたはずだ。ルイスは、いずれいなくなる存在だと。――だが、十五年だぞ。それだけの時間を共に過ごしたのに。それでもお前は行くというのか。この俺を置いて……?)


「……ルイス」


(お前は確かに約束を違えたかもしれない。だが、実際にアーサーを傷つけたのはこの俺だ。お前じゃない。だから、俺を見捨てないでくれ。置いていかないでくれ……)


 ウィリアムの瞳が、悲痛に揺れる。


 その時だった。


「もし。そこの方。どこかご気分でも? 人をお呼びいたしましょうか?」


 不意にかけられた声に顔を上げる。

 少し離れた場所から、一人の女性がこちらへ駆け寄ってくるところだった。


「――あら」


 紫色のドレスを翻し、金色の髪を揺らして近づいてきた女性は、ウィリアムの顔を見て小さく目を見張った。彼女もまた、ウィリアムに気付いたようだ。彼がアーサーの親友であることを知っている人物。


「――貴方は……」


 あぁ、これは好機だ――!

 ウィリアムは瞬時に思考を切り替え、ソファから立ち上がった。憂いを帯びた表情を消し去り、社交的な笑みを浮かべる。


「……お久しぶりですね。ミズ(・・)・フラメル」


 ――ミズ・ヴァイオレット・フラメル。

 彼女は、今は亡きフラメル男爵の一人娘だったが、両親を事故で亡くした後、高齢の伯爵に嫁ぎ、未亡人となった身だ。今は旧姓のフラメルを名乗っているが、社交界では夫の死後、既婚か未婚かを問わない敬称「Ms.(ミズ)」で呼ばれている。これは、過去の結婚生活や複雑な立場に触れないよう、誰もが暗黙のうちに行う配慮だった。

 そんな彼女は現在、アーサーの最も近くに侍る女性――。


 ウィリアムは微かに目を細めた。その視線に含まれた意味を察したのか、ヴァイオレットは一瞬だけ表情を硬くしたが、すぐに優雅な笑みで覆い隠した。


「ご無沙汰しておりますわね、伯爵様」


 皮肉めいた響きを含んだ声。敵意すら滲ませる鋭い視線。

 だが、今のウィリアムに引くという選択肢はない。彼は笑顔を消し、真剣な眼差しでヴァイオレットを見つめ返した。


「どうか、私のことはウィリアムと……。ミズ・フラメル。失礼を承知の上で……貴方にお願いがございます」

「……あなたが? わたくしに?」


 侯爵家の嫡男が、娼婦である自分に願い出る。その異常さに、彼女は目を丸くした。

 だがウィリアムは、なりふり構っていられなかった。恥も外聞も捨て、ただアーサーに会うことだけを求めていた。


「ふふ。面白いことを仰いますのね。わたくしの様な賤しい身分の女が、あなたのような高貴な方にして差し上げられることなど、あるはずございませんのに」


 ヴァイオレットは扇子で口元を隠し、嘲るように笑う。

 それでも、ウィリアムは彼女から視線を逸らさなかった。


「いいえ。決してその様なことはございません。もう私は貴方に頼るほかないのです。貴方は既にご存じでしょう。私が彼を傷つけたことを――。私は彼に謝罪しなければならないのです。どうか彼に合わせてください。お願いだ、ミズ・フラメル。貴方の心に、わずかでも彼を想う気持ちがあるのなら」

「――!」


 ウィリアムの懇願に、ヴァイオレットの目尻がぴくりと動いた。

 扇子の向こうで、彼女は再びクスクスと笑う。


「殿下を想う気持ちなどと……本当に失礼な物言いですこと。まぁ……でも、よろしいですわ。わたくしも、最近のあの方には少々手を焼いておりますの。……それに」

「……」


 一瞬、ヴァイオレットの声が低く沈んだ。


「……あの方は……わたくしよりも……」


 呟かれた言葉。その瞳に浮かんだ切なげな色に、ウィリアムは息を呑んだ。

 彼女もまた、傷ついているのだ。自分の軽率な行動が招いた波紋によって。


 それなのに、彼女は今、自分をアーサーに会わせると言った。その胸中はいかばかりか。

 ヴァイオレットの空色の瞳が、哀しげに揺らめく。だが、彼女はウィリアムの視線に気づくと、ふわりとドレスを翻して背を向けた。


「少しお待ちを。衛兵を追い払って参りますわ」

「――あ」


 水面を撫でる風のように軽やかな声。

 彼女は呆然と立ち尽くすウィリアムを残し、扉の前へ。直立する近衛兵に顔を寄せ、何かを囁く。

 するとどうしたことか、二人の衛兵は血相を変え、脱兎のごとくその場から走り去ってしまった。


 一体何を言ったのだろう。ウィリアムは今日何度目かの違和感を覚えたが、今はそれを追及している場合ではない。


 近衛兵がいなくなったのを確認し、ウィリアムは扉の前へと歩み寄る。

 ヴァイオレットは兵たちが消えた先を冷ややかに見据えていたが、すぐにウィリアムを振り返り、完璧な笑みを浮かべた。


「――どうぞ、中へ。ウィリアム様」


 彼女の白い手がドアノブにかかり、重厚な扉が音もなく開かれる。

 それを合図に、ウィリアムは一歩を踏み出した。


「ミズ・フラメル。心から感謝いたします」


 真剣な面持ちで礼を述べ、部屋の奥へと進む。

 喉が渇き、心臓が早鐘を打つ。


 ――二ヶ月ぶりだ。

 あの日、アメリアが川に落ちた翌日、彼女の前から消えろと告げたきり、一度も会っていない親友。


 緊張で顔が強張る。だが、もう迷いはない。ウィリアムの背中が、部屋の奥へと消えていく。


 ヴァイオレットはそんな彼の背中をただ黙って見送り――薄い笑みを浮かべて、静かに扉を閉ざした。


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