3.アルバートとの再会(前編)
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ルイスがアメリアに過去の因縁を語り始めてから、半刻ほどの時が流れていた。
その頃、ウィリアムは王立図書館のエントランスに足を踏み入れていた。アーサーはここにいるだろうと、エドワードたちから聞いていたためだ。
王立図書館は、言わずと知れたエターニア国最大の知の殿堂である。
蔵書数は凡そ一千万巻。下手な劇場よりも遥かに広大な館内には、古今の書物がびっしりと詰まった本棚が何百列と並び、静謐な空気を漂わせている。本棚の高さは優に十メートルを超え、天井近くまで届くほどだ。
ここには五十人を超える司書が常駐し、膨大な知識の森を管理している。利用者の身分は問われないが、貸し出しを行っていないため、必然的にここに集うのは学生か、あるいは時間を持て余した貴族たちが殆どであった。
ウィリアムにとっても、ここに足を運ぶのは数年ぶりのことだった。それこそ学生時代以来だ。
読みたい本があれば買えばいい。それが彼の基本的なスタンスだ。つまり、わざわざここに来るということは、書店では手に入らないような稀覯本を求めているか、あるいは専門的な調べものをするときに限られる。
中央の大階段を上り、二階へ。
目指すのは、二階の最奥にある貴族専用の閲覧スペース、さらにその奥に控える王室専用の閲覧室だ。アーサーがいるとすれば、間違いなくそこだろう。
それにしても、どうして急に図書館通いなど――。
歩を進めながら、ウィリアムは首を傾げた。アーサーがこれほど熱心に本を読み漁るなど聞いたことがない。
そもそも、王室の権力を使えばどんな本でも手に入るはずだ。それをわざわざ足繁く通ってまで調べているということは、持ち出し不可能な何かがあるということだろうか。
市場には決して出回らない、禁書に近い貴重な文献や歴史の記録。王族やごく一部の上級貴族、そして権限を持つ上級司書しか閲覧を許されない、閲覧制限区域の書物。
恐らくアーサーは、そこでしか得られない情報を探しているのだ。
当然、ウィリアムにはその部屋に入る権限はない。だから、その閉ざされた扉の向こうにどんな真実が眠っているのか、知る由もなかった。
貴族専用の閲覧スペースを横切る。深紅の絨毯が足音を吸い込み、重厚な革張りのソファが静かに鎮座している。
今はシーズンオフのため、貴族たちの姿はまばらだ。静寂が支配する空間を、ウィリアムは迷わず奥へと進んだ。
やがて、王室専用閲覧室の重々しい扉が見えてきた。
その両脇には、直立不動の衛兵が控えている。見覚えのある顔だ。四日前、街でアメリアを追おうとしたウィリアムの行く手を阻んだ、あの近衛騎士たちである。
やはり、アーサーはここにいるのだ。
ウィリアムが近づくと、彼らもすぐに気付いたようだった。だが、表情一つ変えることなく、無言のまま立ちはだかる。
「アーサー王太子殿下にお目通りを願いたい」
ウィリアムのよく通る声が、静かな廊下に響く。いつもより低く、張り詰めた声音だ。
しかし、衛兵の返答は冷ややかだった。
「それは出来ません。誰も通すなと仰せつかっておりますゆえ」
「たとえ貴方が殿下のご友人であらせられようとも」
「――なっ」
取りつく島もない態度に、ウィリアムは思わず声を荒げそうになる。
だが、ここで騒ぎ立てても事態は好転しない。彼はぐっと言葉を飲み込み、握りしめた拳に力を込めた。
本当に、アーサーはどうしてしまったというのだ。ここまで人を遠ざけ、一体何を調べているのか。
その時だった。
「……ウィリアム様?」
背後から――十年ぶりの、懐かしい声が鼓膜を震わせた。
弾かれたように振り返る。
少し離れた場所に、一人の男が立っていた。
ひょろりと高い身長に、特徴的な藍色の髪。記憶の中の姿と寸分違わぬその人物は――。
「アル……?」
かつてウィリアムの家庭教師を務めていた、アルバート・ハドソンだった。
相変わらず色素の薄い肌に、知的な光を宿す瞳。彼はウィリアムの呟きを拾うと、感極まったように表情を歪め、早足で近づいてきた。
「あぁ、やはり! ウィリアム様でございますね……!」
白いシャツに黒いスーツ、そして縁の無い丸眼鏡。十年という月日が流れたはずなのに、アルバートの姿は驚くほど変わっていない。
いや、違う。少し小さくなったか?
そう感じて、ウィリアムは頬を緩めた。違う、自分が大きくなったのだ。
「アル……、本当に、お前なのか」
「ええ、私でございます。あぁ、あのように幼かったウィリアム様が……本当にご立派になられて……!」
「……アル」
感激のあまり目を潤ませ、肩を震わせるかつての師。
その姿に、ウィリアムは胸の奥が温かくなるのを感じた。懐かしさと、少しの気恥ずかしさが入り混じる。
アルバートは十年前、ウィリアムが学校に入学するのと同時に家庭教師を辞め、国中を旅して回ると言って王都を去った。それきり音信不通だった彼が、なぜ今、ここにいるのだろうか。
「いつ戻ったんだ」
ウィリアムが尋ねると、アルバートは目元の涙を指先で拭い、「つい先週のことです」と答えた。そして、懐かしむように微笑む。
「ウィリアム様、お時間はございますか? もしよろしければあちらの席で、少しお話でも」
その誘いに、ウィリアムはちらりと背後の衛兵に視線を送った。
頑として動かない二人の近衛兵。どうやら、すぐに中へ入れてもらうのは難しそうだ。
ならば、しばらく待つしかない。昼食の時間になれば、アーサーも部屋から出てくるかもしれない。それまでの間、アルバートと積もる話をするのも悪くはないだろう。
ウィリアムはアルバートに向き直り、小さく頷いた。




