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5.交換条件


 テラスに出ると、冷えた夜風が二人の頬を撫でた。――月は厚い雲に覆われている。

 アメリアはテラスの柵に身体を預け、しばらくの間庭園を眺めていた。ウィリアムはそんなアメリアの背中を、ただじっと見つめていた。


 長い沈黙が続く。――それを破ったのはウィリアムの方だった。


「アメリア嬢……あなたは何を考えておいでなのです」


 それはウィリアムの正直な気持ちであった。

 アメリアは背を向けたままで答える。


「何を……とは?」

「あなたはなぜ、人を避けて生きてきたのですか。ルイスに聞きました。あなたは使用人に対しては、世間で噂されるあなたとはまるで別人のように接すると。なぜですか」


 ウィリアムは続ける。


「この婚約、あなたにとって不本意なものだとは理解しています。まさかあなたが私の申し出に応えてくださるとは思っておらず、先ほどは大変失礼なことをしたと思っております。けれどあなたの言葉が嘘であったとしても、私はあなたが結婚の申し出を承諾してくれて、本当に嬉しく思っています」

「嬉しい……?」


 刹那、アメリアから低い声が放たれる。彼女はようやくその身を翻し、睨むような目でウィリアムを見据えた。


「白々しい。そんな言葉不要よ。それにまどろっこしいのは嫌いだと、以前伝えたはず」

「…………」


 ウィリアムは押し黙る。

 アメリアの口調は確かにキツイが、その表情に冷淡さや冷酷さは感じられない。


「――それが……本当のあなたなのですね」

「そうよ。わたしとあなたは婚約したわ。あなたはわたしの夫になるのよね。なら、わたしはあなたと二人きりのときは、これからはずっとこのわたしよ」

「それは……少し嬉しいな」

「ご機嫌取りなんていらないわ」


 アメリアはウィリアムを冷めた瞳で見返す。


「今からあなたの質問に答えて差し上げる。けれど、その前に一つだけ誓ってほしいことがあるの」

「……誓い?」


 ウィリアムは眉をひそめる。


「もし誓えないと言ったら、どうなる?」

「誓えないならこの婚約は撤回よ」

「――はっ」


 アメリアの平然とした物言いに、さすがのウィリアムも不快感をあらわにする。

 けれどまずは内容を聞いてみなければ始まらない。ウィリアムは覚悟を決める。


「誓いの内容は?」


 ウィリアムが尋ねると、アメリアは一瞬()を置き――ゆっくりと口を開いた。


「あなたはわたしを決して愛してはいけない」

「……は?」

「誓って。わたしを決して愛しはしないと」

「…………」


 アメリアの表情は真剣そのものだった。決して冗談を言っている風には見えない。

 しかし、だからこそウィリアムは困惑した。

 結婚するはずの相手に自分を愛するな、とはいったいどういう意味なのか。どんな意図があってそのようなことを誓わせるのか、彼には見当もつかなかった。


「……なぜ?」

「なぜかって? 理由など今は重要ではないわ。まずは誓って。理由はそれからよ」

「…………」


 ――選択の余地はない。

 それにウィリアムには、その誓いを守れる確かな自信があった。


「わかった。誓おう。私はあなたを決して愛しはしないと」

「いいわ」


 アメリアは微笑む。


「理由なんて単純よ。わたしには、心から愛する人がいるの」

「――え?」


 それはウィリアムにとってあまりにも予想外の答えであった。と同時に平凡すぎる理由でもあり、思わず気の抜けた声を上げてしまう。


「ふふっ。ウィリアムあなた、わたしを何だと思っているの? わたしだって普通の人間よ。ルイスがあなたにわたしのことをどう伝えたのかは知らないけれど――」


 アメリアの瞳が寂しげに揺れる。


「わたしが心を許したのはあの方だけ。だからわたしは他の誰とも一緒になる気はなかった。世間から顔を背けて生きてきたわ。――でも、いつまでもそうしてはいられない。そんなとき、あなたが現れた」


 アメリアは続ける。


「わたしはあなたに縁談を取り下げさせるチャンスを与えた。けれどあなたは取り下げなかった。だからわたしはあなたを利用させてもらうことにしたのよ。その代わり、もちろんあなたもわたしを利用したいだけすればいい。わたしは完璧な夫人を演じてみせるわ。……これだけ言えば、わかるわよね?」


 アメリアの皮肉な笑み。

 ウィリアムはそんな彼女の表情に、どういうわけかルイスと重なるものを感じていた。


「わかった。だが一つ聞かせてくれ」

「何かしら」

「君の恋人は――今どうしている?」


 ウィリアムの問いかけに、アメリアの瞳が再び揺らめく。


「――死んだわ」

「……ッ」

「ですから心配なさらなくとも、逢い引きなどしないわよ」

「そんな風には……」

 ――思っていない。


 そう言いかけて、ウィリアムは喉元まで出かかった言葉をのみ込んだ。

 アメリアが笑っていたのだ。それは作り笑いではない、屈託(くったく)のない笑顔。淑女(しゅくじょ)として育てられた貴族の令嬢には決してあり得ない、遠慮のない笑い方。

 少なくともウィリアムにはそう思えた。


「ふふふっ。わかっているわ。あなたって本当にわかりやすい」

「そんな風に言われたのは初めてだ」

「それはそうでしょうね。侯爵の息子にそんなことを言える人間なんてなかなかいないわよ」


 アメリアは自嘲気味に肩をすくめる。


「わたしからもいいかしら?」

「何だ?」

「ルイスとは、どういう人間なの?」

「ルイス……?」

「こちらもルイスのことを調べさせてもらったのよ。けれど何もわからなかったわ。ルイスは本当に、信頼に(あたい)する人間なの?」


 アメリアの鋭い眼光に、ウィリアムは誤魔化しがきかないことを悟る。


「情報がないのは当然だ。ルイスという名は実名ではない。私が七つのときに彼を拾い、そのときに名付けたものだから」

「実名ではないですって? なら、彼の本当の名前は?」

「……それは、私も知らないんだ」

「…………」

「それと、彼が信頼に値するかという問いについてだが……これでは答えにならないかもしれないが、私はルイスを心から信用しているよ」


 ウィリアムは、アメリアがこの答えに満足するはずがないと承知していた。

 だがアメリアはそれ以上何も言わない。おそらく、尋ねても無駄だと考えたのだろう。


「――そう。ならいいわ。ではそろそろ戻りましょうか。わたしは今までの自分の悪行を払拭(ふっしょく)しなければならないし。ウィリアム、あなたにも協力してもらうわよ」


 アメリアはウィリアムの腕に自分の腕を絡ませ、にこりと微笑む。


 ウィリアムはそんなアメリアの変わり身の早さに感心しながら――今までのどこか退屈だった日々が終わりを迎える予感に――己の感情が高ぶるのを、確かに感じていた。

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