6.追憶――アーサーとの邂逅(後編)
「ウェールズ!! 待ってくれ!」
既に授業の予鈴は鳴り終え、校舎は静寂を取り戻しつつあった。人気のない裏庭を、アーサーは校舎の壁に沿うようにして進む。恐らく、寮へ戻ろうとしているのだろう。
「ウェールズ!」
追いついたウィリアムが、再びアーサーの腕を掴んだ。
アーサーはもう、隠すことを諦めたかのように、その異色の瞳を晒している。ウィリアムの顔を一瞥する眼差しには、警戒と拒絶が露骨に宿っていたが、すぐにどこかへ向けられた。
「僕にかまうなと言ったはずだ。殺されたいのか」
しかし、振り払おうとする気配はない。ウィリアムの手を打ち払う力さえ、今の彼には残されていないようだった。
「……ウェールズ」
ウィリアムの視線の先で、アーサーの横顔が痛みに歪む。銀色の前髪の隙間から覗く瞳は、今にも決壊しそうなほど揺れている。
「悪かった、ウェールズ。本当にすまなかった」
ウィリアムの突然の謝罪に、アーサーはびくりと肩を震わせる。
「本当に、すまなかった」
瞬間――アーサーの唇が、あからさまに歪んだ。
「謝るくらいなら……最初から……ッ」
恨みがましく、呻くような声。しかし、彼は頑なにウィリアムの顔を見ようとしない。
ウィリアムは、アーサーの腕を掴む右手にそっと力を込めた。前髪に隠れた横顔を、じっと見つめる。
「ウェールズ。なぁ、こっちを見ろよ」
なぜこれほどまでに彼は怯えているのだろう――ウィリアムにはそれが不思議でたまらなかった。
確かにオッドアイは珍しく、王家に前例がないのも事実だろう。だが、それだけで虐げられることはないはずだ。ましてや彼は王子。それをどうして、こんなにも必死に隠す必要があるのか、理解が及ばなかった。
とはいえ、自分の行為が彼を深く傷つけたのは紛れもない事実。その謝罪だけは、誠心誠意伝えなければならない。
「ウェールズ……。いえ……殿下」
「――ッ!」
刹那、アーサーは弾かれたように顔を上げ、その瞳から、貫くような強い光を放つ。「その名で呼ぶな」と、全身で訴えるかのようにして――ようやく、二人の視線が交わった。
「やっとこっちを見た」
「――ッ」
ウィリアムは柔らかく微笑んだ。だが、アーサーはそれを侮辱と受け取ったのか、挑戦的なまなざしを返す。「お前は怖くないのか」と、自嘲するように嗤った。
ウィリアムは眉根を寄せる。
「……何が」
「この……目だ」
アーサーの右目が、妖しいまでに光を帯びる。先ほどの怯えは影を潜め、まるで何かを嘲るように歪められた彼の唇が、ウィリアムの喉奥を締め付けた。それは壊れかけの人形のように、ひどく歪に見えた。
そう……ルイスと出会ったあの日、絶望に打ちひしがれていたあのときの自分と、アーサーの姿が重なった。自分の存在そのものが、周囲に不幸をもたらすと深く信じ込んでいた絶望的な孤独が、鮮やかにウィリアムの脳裏に蘇った。
「……怖いもんか。それどころか……僕は、綺麗だと思う。君のそのオッドアイ、とても、素敵だよ」
気が付けば、心の底から湧き上がるような、そんな言葉を口にしていた。
「……っ」
アーサーの両目が、これ以上ないほどに見開かれる。何を言っているのだ、と、耳を疑うような表情で、彼は瞬き一つせず、唇を震わせる。
「――綺麗……だと?」
酷く擦れた声だった。そして彼は独り言のように「嘘だ」と続けた。
「嘘なんかじゃ――」
ウィリアムにはそれが、彼の心の叫びのように聞こえ、どうしようもなく苦しくなった。
一体何が彼をここまで追いつめるのか、どうして彼はこんなにも辛そうなのか――その痛みを共有したい衝動に駆られた。
「……綺麗だよ」
だから彼は繰り返す。アーサーの痛みを、苦しみを、少しでも和らげたいと願って。
「確かに珍しい色だ。でも、怖いなんてことあるわけない。すごく素敵だよ。君の右目は、夕暮れどきの空の色――僕の一番好きな色だ。本当だよ」
それはウィリアムの偽りのない本心だった。
けれどだからこそ、ウィリアムの真摯な想いとは裏腹に、アーサーはその頬をさらに引きつらせる。目尻には丸い涙が浮かび、眉はつり上がり……ウィリアムに掴まれたままの腕は、まるで幽霊でも見ているかのように震えていた。
「……は……ははっ」
アーサーはとっくに気付いていた。今の言葉が、ウィリアムの心からの真実だということを。彼の右目が、その感情を鮮明に読み取っていた。偽りなどない。それは紛れもない本心だった。
にもかかわらず、アーサーにはそれが信じられなかった。この忌まわしい赤い瞳を、綺麗だと言うその言葉が。何故なら今まで誰一人として、そんなことを口にした者はいなかったのだから。
まして相手はウィリアムである。――『もう一人の自分』が以前、“気を付けろ”と明確に警告していた相手。去年の誕生日パーティー以来、一度も表に出てこない『もう一人の自分』が残した「嫌な予感がする」という言葉。それは、もしかしたらこのことなのではないか。ウィリアムに真実を知られ、それが噂となって自分のこの目のことが周囲に知れ渡ってしまうことなのではないか、という強烈な不安が、アーサーの深く傷ついた心を、いつになく頑なにさせていた。
「……ウェールズ?」
「――ッ」
だが、そんなアーサーの複雑な心境を知る由もないウィリアムは、ただただ心配の色を宿した瞳で、アーサーの顔を覗き込む。くっきりとした、迷いのないその視線から逃れるように、アーサーは再び、顔を逸らした。
もしこの場に誰かが通りかかったとしたら、ウィリアムがアーサーを泣かせているようにしか見えないだろう。いや、実際それは事実なのだが。
けれどウィリアムにはそんなつもりは欠片もない。彼はただ、こんなにも苦しむアーサーを見ていられなくて、ただ、謝りたくて……本当にそれだけだった。だから彼は、何か決意したように唇を固く結ぶと、アーサーの腕を掴んだまま歩き出す。
「――、なに……」
――するんだ、とアーサーはウィリアムの背中に向かって言いかけた。ウィリアムはそれを遮るように、だが振り返ることなく応える。
「寮に戻るんだろう? 僕も一緒に行くよ」
「必要……ない」
「そんなわけあるか。泣く程痛いくせに」
「――っ」
ウィリアムはわかっていた。アーサーの表情の理由が、今にも泣きだしそうに滲むオッドアイが、当たったボールの痛みのせいではないことを。けれど、そのせいにした方がきっとアーサーにとっても都合がいいだろうと考えて、こう言ったのだ。そしてそれは間違いではなかった。
アーサーはついに諦めたのか、それ以上ウィリアムを拒絶することなく、ただ黙って手を引かれ、歩き始める。その諦めの中には、微かな戸惑いと、もしかしたらごく僅かながら、この手を拒絶しきれない自分への驚きが混じっていたのかもしれない。
結局、繋がれた二人の手のひらは、寮に辿り着くまでの間、決して離れることはなかった。




