4.追憶――あの夏の日
季節が幾度も巡り、ルイスがウィリアムの元へ来てから三年の月日が流れた。
日差しが眩しく降り注ぐ、盛夏の午後。ウィンチェスター侯爵家とスペンサー侯爵家の一行は、海岸沿いの保養地へと足を運んでいた。
ウィンチェスター侯爵夫妻にウィリアムとルイス。そしてスペンサー侯爵夫妻と、長男クリス、双子のエドワードとブライアン、四歳になったばかりのカーラ。さらに数人の従者と侍女たちを引き連れた大所帯である。
彼らは海抜の高い位置にあるカフェテラスで、アフタヌーンティーを楽しんでいた。
眼下に広がる紺碧の海から、潮の香りを孕んだ爽やかな風が吹き抜けていく。まさに午後のひと時にふさわしい穏やかな時間だ。
「たまにはこういうのも悪くないわね」
「ええ、全員揃うなんて久しぶりだわ」
ウィリアムの母リリアンと、エドワードらの母ライラは、顔を見合わせて微笑み合った。
二人は一卵性の双子である。癖のない艶やかな茶髪に、宝石のようなエメラルドグリーンの瞳。顔立ちだけでなく声の響きまでもがそっくりで、同じドレスを纏っていたら家族でさえも見分けがつかないほどだ。
そんな二人の血を色濃く受け継いでいるからか、ウィリアムは一人だけ母が違うにもかかわらず、従兄妹である四人の子供たちと、まるで血の繋がった兄弟のように馴染んでいた。
「父さん! もっと近くで海を見てきてもいい⁉」
「あっ、僕も行きたい!」
エドワードとブライアンの弾んだ声が響く。
父フリップは優雅にティーカップを傾けていた手を止め、わずかに眉をひそめた。この二人を野放しにすれば、ろくなことにならないと経験則で知っているのだ。
「――クリス」
「……はい。父さん」
フリップは淡々と長男の名前を呼ぶ。〝よく見張っていろよ〟という意味だ。
クリスは父の無言の命令に心中で深い溜息をつき、読みかけの本を置いて静かに椅子から立ち上がった。
同時に、許可が出たと判断した双子は弾かれたように走り出す。
「ほら、ウィリアムも行くぞ!」
「誰が一番速いか競争だ!」
二人は少年らしい輝くような笑顔を浮かべて駆けていく。その後ろを、クリスが心底面倒くさそうに追いかけて行った。
ウィリアムも少し遅れてその後に続く。――が、すぐに立ち止まり、テラスの端で控えていたルイスを振り返る。
「ルイス、何してる! お前も一緒に行くんだぞ」
その言葉に、ルイスはやれやれといった様子で苦笑すると、大人たちに恭しく一礼してウィリアムの後を追った。
*
そんな子供たちの背中を温かく見守るのは、ウィリアムの父ロバートと母リリアンだ。
二人の脳裏には、ウィリアムがずぶ濡れになりながら、見知らぬ少年ルイスを連れ帰ってきた、三年前のことが蘇っていた。
「最初はどうなることかと思ったけれど、今ではルイスが来てくれて良かったと心から思うわ」
「そうだな。君の身体が良くなったのも、ルイスが屋敷に来てからだったか」
ロバートの柔らかな眼差しを受け、リリアンは微笑む。
「そうね。あの子が来てから……。ウィリアムもなんだかしっかりしてきた気がするし、本当に不思議な子よね」
リリアンの言葉に、姉のライラも深く頷いた。
「そうよね。わたしも最初は驚いたもの。孤児だっていうからどれほど粗暴な子かしらと思ったら、言葉遣いも立ち居振る舞いも完璧でしょう? 実はどこかの貴族の生まれなんじゃないかしらって、あの子を見ていると今でも時々思うのよ。ねぇ、あなた?」
ライラは、鮮やかなルージュの引かれた唇をニコリと上げる。
だが夫のフリップはすぐに答えることなく、紅茶を一口含み、それをゆっくりと味わってから、興味なさげに口を開いた。
「私はどちらでも構わんよ。両家が繁栄するのならば、神だろうが悪魔だろうが」
瞼を伏せる夫の淡泊な声に、ライラは「あら、そう」と口を尖らせる。「つまらない人」と呟いて、再び妹リリアンに視線を向けた。
「それよりリリアン、あなた忘れてないわよね? あなたが病気だって聞いたとき、わたしが卒倒したこと! わたしたちは双子なんだから、何でも話してくれなきゃ駄目なのよ。隠し事をされるのは二度とごめんだわ。わかってるわよね?」
するとそれを聞いていた夫フリップは、何かを思い出したのだろう。ティーカップの中の紅茶に揺れる自身の姿を見つめ、スッと目を細めた。
「確かにあの日の君は酷かったな。とうとう気がふれたのかと……」
彼はあの日、乱心した妻に顔を引っかかれたのだ。頬に三本の深い傷ができ、それが癒えるまでの間、彼は社交場でずいぶんと恥ずかしい思いをしたのである。侯爵にも猫と戯れるような人情味があるのかと、会う先々で揶揄われるものだから。
「でも悪いことばかりじゃなかったでしょ? いい話題になったじゃない。口下手なあなたには丁度良かったと思うわよ。……とにかく!」
ライラはそこまで言って、リリアンにずいっと顔を寄せた。
「もしわたしたちに何かあったら、ルイスを貸してちょうだいね!」
その本気とも冗談とも取れない内容に、リリアンは一瞬目を瞬かせ、ふふっと笑った。
「あら、嫌よ。ルイスはもう家族同然なの。ウィリアムには兄弟がいないもの。今ではルイスのことを兄のように慕っているのよ。それを引き離したりなどしたら可哀そうじゃないの。ねぇ、あなた?」
「まぁ、そうだな」
ロバートは穏やかに微笑む。
それから大人たちはしばらくの間、波音を聞きながら、子供たちについての話題に花を咲かせるのだった。
*
一方、ウィリアムとルイスはエドワードらの後を追って、海岸沿いを歩いていた。海風が二人の髪を優しく揺らし、足元では白波がリズムよく砕けている。
「さっきの母さんの言葉聞こえたか? お前のこと誉めてたな」
どこかからかうように微笑むウィリアム。ルイスはそれに対し「勿体ないお言葉です」と恭しく返事をして、余所行きの笑顔を浮かべた。
その完璧すぎる仮面に、ウィリアムは眉をひそめる。
「僕と二人のときは、その話し方やめろって言ってるのに」
「そう仰らず。ここはあなたの部屋ではありませんから。誰の目があるともわかりません」
その言葉に、ウィリアムはちらりと辺りを見回してみる。確かに人通りはそれなりにあるが、自分たちのような子供に注視する視線などあるはずもない。
「それ本気で言ってるのか?」
ウィリアムの問いに、ルイスは見下ろすように横目で流し見た。ルイスの頬がかすかに上擦る。
「私はいつだろうと本気でございますよ、ウィリアム様」
そのどこか不敵な笑みに、ウィリアムは不満げに鼻を鳴らした。
「本当にお前は、息を吐くように嘘をつくよな」
「そう見えますか」
「そりゃあな。父さんや母さんは騙せても、僕の目はごまかせないぞ」
ウィリアムは不満げにルイスを見上げる。一瞬躊躇うように視線を泳がせて、なぁルイス――と、続けた。
「学校には本当に行かなくて良いのか? 確かにお前は貴族の出じゃないが、さっき聞いた通り父さんも母さんもお前を家族同然だと思ってるんだ。もし僕に遠慮しているんだとしたら……」
「…………」
ルイスは今年で十二になる。普通の男児なら学校へ通う年齢だ。
ウィリアムの父ロバートは、学資は勿論出すからと、文武共に長けたルイスに名門ウィンチェスター校への進学を勧めたが、ルイスはそれを断っていた。ならば公立の学校へ通うのかと問えば、そのつもりもないと言う。
ロバートはその理由を尋ねたが、ルイスはただ「私のような者には勿体ない」としか答えなかった。けれどウィリアムからすれば、その言葉はどう解釈したってルイスの本音とは思えなかった。
「お前が出自など気にしていないことくらい、僕はお見通しなんだからな。本当の理由は何なんだ」
ルイスはウィリアムの視線からゆっくりと顔を逸らし、少し先の波打ち際へと目をやる。
そこには裸足で膝まで水につかってはしゃぐ、エドワードとブライアンの姿があった。その傍にはいつも通りの仏頂面で、砂浜に腰を下ろしているクリスもいる。
ルイスはそんな彼らを、どこか眩しそうに見つめた。
「生憎ですが、あの言葉は僕の本心でしたよ。学校と言うものは……ウィリアム様や……彼らのように未来ある者が集う場所。僕には相応しくない」
それはまるで自分自身を卑下するような、あるいは自分だけが別の理の中にいるような響きで……ウィリアムは思わず顔をしかめる。
「……何を言ってるんだ」
未来ある者――? 未来なら、お前にだってあるじゃないか、と。
喉まで出かかった言葉を飲み込む。ルイスの横顔があまりに静かで、どこか遠くを見ているようで、声をかけるのが躊躇われたからだ。
――ルイスは続ける。
「それに、ウィリアム様とお約束致しましたからね。いつでもあなたの傍にいる――と」
「ッ! ルイス!」
ルイスの張り付けたような笑顔に、ウィリアムは憤った。また自分はからかわれたのかと。本当になんて奴だ、と口を尖らせ悪態をつく。そんな幼い主人の姿に、ルイスは珍しく口を開けてハハッと笑った。
「さぁ、行きましょうかウィリアム様。エドワード様が呼んでいらっしゃいますよ」
その声にウィリアムが視線を波打ち際へと動かせば、エドワードとブライアンがこちらに向かって大きく手を振っていた。早く来いよ! と、屈託のない笑顔が太陽の光に反射してキラキラと輝いている。
ウィリアムは「今行く!」と少年らしく叫び返して、走り出した。
けれどすぐに立ち止まり――振り返る。
「ルイス、何してる。行くぞ。僕の傍に、いてくれるんだろう?」
それはどこかからかうような、けれど確かな信頼の滲む声だった。
「はい、ウィリアム様。私はいつまでも、あなたの傍に」
ルイスの答えに満足したのか、ウィリアムは今度こそ駆け出した。真夏の空に浮かぶ太陽を背にして。
それからもウィリアムとルイスの二人はしばらくの年月を――まるで本当の兄弟であるかのように、同じ場所で、同じ景色を見て過ごすのだった。




