1.深夜の告白
「……ねぇ、ウィリアム」
「どうした?」
オペラ座から屋敷へ戻り、夕食を終えた私たちは、ウィリアムのベッドの中にいた。
時刻は真夜中を回っている。
オイルランプの光だけが揺らめく薄暗い部屋で、私はウィリアムの腕に抱かれながら、静かに問いかけた。
「アーサー様のことだけれど……」
「…………」
アーサーの名前に反応したのか、私の背に回されたウィリアムの腕が一瞬強張る。
恐らくは避けたい話題なのだろう。
けれど、私はそれでも問わねばならなかった。
熱を出し倒れた日の真夜中、庭園でルイスが言った言葉。――『全ての元凶は自分にある』。
ルイスとアーサーの間にいったい何があったのか、その手がかりを掴むために……。
あの夜ルイスは私に言った。『全ての者を欺け』と。
それはウィリアムに、そして彼以外の全ての者に、真実を伝えてはならないということを意味している。自分の持つ千年の記憶について、決して知られてはならないと。
だが裏を返せば、それ以外のことなら何を言おうが構わないということだ。
ウィリアムから情報を引き出すこと、そのために嘘をつくこと――それ自体は契約違反にはならない。
「……私ね、本当はずっとあなたのことが好きだったの。あなたの婚約を受け入れたとき、過去に愛した人がいるって言ったでしょう? 信じられないだろうけど……その相手は……ウィリアム。あなたのことだったのよ」
「――っ」
これには流石のウィリアムも驚きを隠せなかったのだろう。大きく瞳を見開き、しばらくの間硬直する。
そんな彼の反応を予想していた私は、彼の言葉を待たずに畳みかけた。
「私ね、あなた以外の人と結婚するのが嫌で、社交界から逃げていたのよ」
「……なん……だと……?」
ウィリアムは困惑していた。私には、そんな彼の心の内が手に取るようにわかった。
私の言葉が信じられないと、どうして急にそんなことを言い出すんだと――彼の揺れる眼差しを、私は冷静に見つめ返す。
「信じられないでしょう? でも本当のことなの。あなたが私のことを知るずっと前から、私はあなたのことが好きだった。あなた以外の男性と結婚する未来なんて受け入れられなくて……だから私、自分の悪評を広めたのよ」
――そう。これは本心だ。
私はウィリアムのことが好きだった。他の男と結婚する気は毛頭なかった。だから自分で悪評を広めた。――これは紛れもない事実。
だが当然、ウィリアムは納得しなかった。
「なぜ君が急にそんなことを言い出したのかはわからないが、流石に今の話には無理がある。もしそれが本当なら、俺相手にあんな態度を取る必要はなかったはずだ。だが君は自分を悪く見せるため、ハンナにお茶をかけた……その理由はどう説明する?」
不信感でいっぱいのウィリアムの瞳。――けれど私は、そこから少しも目を逸らさない。
ここが正念場だ。
「ウィリアムは知っているわよね? 子供のころの私のこと。習わなくても何でもできたって、ルイスに聞いているでしょう?」
「……ああ。それは、確かに聞いている」
だが、それと今の話にどんな関係があるというのか――そう訴える彼の胸に、私はそっとすがりつく。そして――。
「ごめんなさい、ウィリアム。私、ずっとあなたに隠していたことがあるの。私……私ね――」
「…………」
言いかけた私の言葉に、ウィリアムの喉が音を鳴らした。触れた手のひらの奥の心臓が、何かにおびえるように鼓動を早める。
私はそんな彼の無意識の恐怖に気付かない振りをして、彼を上目遣いで見上げ――告げた。
「私、呪われてるの」
*
「…………は?」
「呪われてるのよ、私」
「…………」
呪いだと――?
予想外の告白に、俺は言葉も忘れ固まった。
もはや取り繕うことは不可能だった。それくらい彼女の話は不可解であり、なおかつ、心当たりのあるものだったからだ。
俺は既に知っている。アメリアが普通の人間とはどこか違うのだと。彼女がルイスのように不思議な力を持っているのだと。だからルイスはアメリアに執着するのだと、俺は既に知っている。
けれど全てを知るわけではない。ルイスの持つ力の全てを把握しているわけではないし、アメリアについては何も知らないと言っていい。――それに、彼女の言う「呪い」の意味も知りはしない。
だが俺は確かにその言葉に心当たりがあった。だからこそ、いったいどういう反応を取れば正解なのかわからなくなった。
――俺はいったい何と言ったらいいんだ? 何と返せば、怪しまれずに済む……?
言葉を返せないでいる俺に、彼女は寂し気な顔をする。
「何を言い出すんだって……思うわよね」
「……すまない」
やっとのことで絞り出した声は震えていて、途端に不安感に襲われた。
勘の鋭い彼女のことだ。もう既に気づかれてしまっているのではないか。彼女は気付いていてこんな話をするのではないか。――そう思うと、やはり言葉が出てこなくなってしまう。
「でも本当なの。私が好きになる人は皆、不幸になるのよ」
「……っ」
――ああ……。
彼女の言葉を聞いた瞬間、気付かれた、と悟った。
彼女の口から告げられた内容に、考えるよりも早く、身体の方が反応してしまったからだ。全身で拒否感を示してしまった。――そのことに、俺自身が気付かないはずがなかった。
「……ウィリアム?」
俺の考えを見透かすように、こちらを見据えるアメリアの碧い瞳。――その瞳に、嘘はつけない。
――ああ、心と言うものはこうも面倒なものだったのか。
しばらく失くしてい自分自身の「心」。その存在を疎ましく思った。
冷静でいようとしてもいられない、理性ではコントロールできない。けれどどうすることもできない――抗えない何かに、もどかしさを感じた。
「いや――何でもない。……それで? ……その、不幸になるというのは……」
もういいか――と、少し投げやりな気持ちになりながら、俺は話の続きを促す。
すると、彼女は微かに目を細めた。
「そのままの意味よ。私が愛した人は皆……死んでしまうの」
「――っ」
彼女の言葉に、心臓が跳ねる。
――同じだ。そう確信した。彼女は俺と同じなのだ。
「……何を言い出すのかと思えば。もしその言葉が本当なら、俺はとっくに死んでいることになる……違うか?」
「そうよ。その通りなの。だってずっとそうだったもの。私、生まれたときから何でもできたわ。人にできて私にできないことなんてなかった。学ばずとも、そう――不思議とね。 でも、きっとその代償だったのでしょうね。私と心が通い合った人は、皆死ぬの。だから私、ずっと人を避けてきたのよ。だから、私を愛さないでって言ったのよ」
「…………」
「でも、川に落ちたあの後……私の前に現れたルイスはこう言ったわ。あなたが私の運命の相手だって。あなたなら死なないんだって。そう言ったのよ――」
「ルイスが?」
――まさか。あいつがアメリアにそんな話をしていたと? 俺にはそんなこと一言も……。だが確かにあいつは言っていた。アメリアこそが俺の運命の相手だと。――しかし。
「君はそれを信じたのか? よく知りもしないあいつの言葉を信じたと?」
「いいえ、私だって最初から信じた訳じゃないわ。だけどね……あの日、川に落ちる前、アーサー様に言われたの。ルイスには気を付けろって」
「――っ」
「思えばあのとき、私は本能的に気づいていたんだわ。ルイスとアーサー様が、私と似たような存在なんだって。だから私、ルイスの言葉は嘘じゃないかもって思って……あなたが運命の相手だって、信じてみたくなって」
「……っ」
刹那――俺は確かにその言葉の意味を理解する。
それはつまり、アーサーはずっと前からルイスの力のことを知っていたということだ。
そしてまた、アーサーはアメリアを一目見てその正体に気付いたということになる。
だがアーサーは俺に全てを隠していた。あの日、湖でアメリアと交わした内容を俺には一言も伝えなかった。アメリアを辱めたという濡れぎぬを着せられても、抗議一つしなかった。
その理由は一つしかない。
アーサーは自分の正体をルイスに悟られていることを知っていた。それはアーサーにとって、あまりにも大きな弱みだったのだ。
つまり――ルイスの言っていた裏切りの本当の意味は……。
「……ルイス」
その事実に気付いた俺は、ただ茫然とした。
俺にとって最も大切なことを……幼き日、ルイスと交わした一番最初の約束を、ルイスは破ったのだという現実を……どうしても、受け止めきれなくて。
だが、そんな俺の胸板に、アメリアはそっと手を添える。俺を慰めるように、あるいは、諭すかのように。
「ねえ、ウィリアム。私に聞かせてくれないかしら? 私、あなたのことをもっと知りたいの。あなたと、ルイスや、アーサー様のことを……」
「…………」
小川の流れるような、どこか懐かしいアメリアの声。その澄んだ声音に、俺は無意識のうちに瞼を閉じる。
――言ってしまっていいのだろうか。
ルイスは俺にこう言っていた。「アメリアには内密に」と。
それは、何を……? ルイスの力のことか? それとも、俺たちが交わした契約のことだろうか。あるいはその、両方だろうか……。
いくら考えても、答えなど出るはずもなく……。
呪い――そう、これは呪いだ。
『決して誰にも言ってはなりませんよ』
そう言ったかつての幼いルイスの姿が脳裏に蘇る。
『これは二人だけの秘密です』
そう言ったお前は、いったいどんな顔をしていただろうか。口元は、微笑んでいる。けれど――その黒い瞳は……。
――ああ、だが……お前は俺を裏切ったのだろう? ずっと裏切っていたのだろう? それならば……もう……構わないだろう? ……な、ルイス――。
俺はふっと息を吐き、ようやく瞼を上げる。
俺を見つめるアメリアと目が合った。
この暗がりの中でも、美しく輝いて見える彼女の碧い瞳。そこに映るのは、紛れもない、俺自身――。
その眼差しに、俺は諦めた。この真っすぐな瞳を前にして、隠しておくことはできないと。
「……俺がルイスと出ったのは……俺が七歳になったばかりのとき」
俺は懐かしい過去を思い出す。
アメリアに話すことによって、何かが変わるのか、変わらないのか。この状況を解決することに繋がるのか、あるいは、悪化させる可能性もあるかもしれない。
それでも――俺はただ聞いてもらいたい一心で、あの日のことを語り始めた。




