03.侯爵様の決断
「いや、今はいいや。……今は、今日を乗り切ることだけを考えよう」
アムスベルク侯爵は、そう呟くと立ち上がり、力強い口調で、皆に指示を出す。
「みんな!……今日がどれほど重要な日かは、今更説明する必要もないと思う。今日という日を乗り切るため、アムスベルク侯爵家を次代まで繋げるため、皆の協力が必要なんだ」
アムスベルク侯爵は、集まってきた使用人たち一人一人の顔を見る。使用人たちも、侯爵家が断絶する可能性に思い至り、深刻な顔で侯爵の沙汰を待つ。
「まずは、この件が間違っても外に漏れないようにするため、今日この屋敷にいる全員に契約の魔術をかけようと思う」
使用人たちがざわつく。長年仕えてきたものの中には、信頼されていないのかと、不満の表情を浮かべるものもいる。
「もちろん、きみたちを信頼していない訳じゃない。万が一を考えて……ね。不満はあると思うけど、アムスベルク侯爵家に属する以上、例外は許さないよ」
侯爵は、厳しい顔で全員を見渡す。
「さあ、理解したかな? 理解したなら、今すぐ全てのものを広間に集めて!……時間はないよ。急いで!」
使用人たちは、侯爵の強い声に、弾けるように動き出した。
「……フィーナは、ここに残って」
同じように動こうと腰を上げた私を、侯爵が制した。
「あの……?」
不安になりながらも動けないでいると、アムスベルク侯爵はそれに構わず、執事に小声で指示を出す。執事が人払いした上で部屋を出ると、侯爵は、やっとこちらを見た。
「フィーナ……確かきみはすべての科目で、ゾフィーと共に家庭教師から学んでいたよね」
「えっと、はい」
今、この緊急事態の中、確認することだろうか。不思議に思いながらも、侯爵の言葉に頷く。
「そっか。……申し訳ないけど、きみには、一度死んでもらうことにするよ」
「……っ?!」
アムスベルク侯爵の感情のこもらない冷たい瞳を見て、思わず息を飲んだ。
死ぬ……今、ここで殺されるということ? 今回の私の不手際の所為で? 自分の命の、あまりの安さに血の気が引いた。重すぎる罰だと反発する気持ちもあるが、侯爵家の存続と天秤にかければ当然のような気もする。甘んじて受け入れるしか無いのだろうか。
ただでさえ青ざめていた私は悲壮な顔で恐る恐る侯爵を見上げる。侯爵は、困ったように苦笑した。その破壊力に思わず目を見開く。こんなときでさえ、一瞬、侯爵に見惚れていまう私は業が深い。
「フフッ……もっとも実際に死ねと言っているわけじゃないんだ。……まあ、これから、死んだほうがマシだと思う日も来るかもしれないけどね……」
アムスベルク侯爵は、跪いていた私の顎に手をかけ、上向かせる。じっと見つめられて、思わず心臓が高鳴った。
「今日……フィーナは死んだ。……きみには、これからゾフィーになってもらう」
「えっと……?」
静かに見つめながら言った侯爵の言葉の意味がわからず、かといって侯爵の手をはじくこともできず、私は、ただただ曖昧に侯爵を見つめ返した。
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「失礼します」
侯爵の言葉を飲み込めないまま沈黙していると、執事が部屋のドアをノックし、なぜか見たことのない青年を連れて部屋に戻ってきた。アッシュグレーの髪と瞳を持った、一見目立たないが、よく見ると綺麗な顔をした青年だ。15、16歳くらいだろうか。
人払いをしたこの部屋には、アムスベルク侯爵、執事、執事が連れてきた青年、そして私しかいない。
この重要なタイミングで、私と青年は場違いな気がしたが、私と違って青年はこの異常事態にも落ち着いてみえる。
「さて……と」
アムスベルク侯爵が話し出す。
「これから話すことは、この場にいるものだけの秘密にする。心して聞いてね」
思わず、ごくりと唾を飲んだ音が聞こえてしまったのか、侯爵が私に視線を向ける。
「ゾフィー付きの侍女フィーナは、今日の明け方出奔した。……ここにいる彼女が今日から、私の娘、ゾフィーだ」
侯爵は、私の手を取り、起き上がらせながらそう言った。
執事は青ざめ、手を固く握り締めながらも反論はしない。
私も、先ほどの侯爵の言葉がようやく胸にストンと落ちてきた。……いやいや、ちょっと待ってほしい。誰も反論しないようだが、このまま流されたら大変なことになる気がする。
「……あの、……」
「ん? どうしたの?」
怖くなった私が呟いた一言をとらえて、侯爵が声をかけた。
「あの、……えと、ちょっと状況が飲み込めないのですが、……これって本気ですか?」
「わたしがゾフィーお嬢様の身代わりなんて、出来るとはとても思えません。それより、お嬢様を探したほうがよいと……思うのですが……」
静かに見つめ続ける侯爵の視線に耐えきれず、紡いだはずの言葉が、だんだん尻すぼみになっていく。
「……もちろん、少数精鋭での探索は継続するよ。ただ、今日この日を選んだのは、残念だけど偶然ではないだろうね。私は、昼には始まってしまうパーティーには間に合わないと思ってる」
侯爵は、自分に言い聞かせるように、静かにそう言った。
「パーティーには、うちの侯爵家が後ろ盾となっている第二王子も参加するんだ。将来、この国の重鎮となるものたちもだ。これで肝心の主役がいなければ、アムスベルク侯爵家の未来は無いよ」
侯爵は、ため息を吐きながらそう言った。
「そんな……」
侯爵家の存続をかけた嘘を私がつくなんて、そんな重要な人たちを騙すなんて、恐ろしすぎて想像もできない。足が震えて、へなへなとその場にへたり込んだ。
「……ホントはこんなことは言いたくないんだけど……きみを拾ったのは誰?」
状況を受け止められない私を見て、ため息を吐いたアムスベルク侯爵は、私の手を離さないままそう問うた。
「……あの、それは……もちろんアムスベルク侯爵さまです。……孤児院から拾い上げていただき、このような豊かな暮らしをさせていただいて。あまつさえお嬢様と同じ教育まで与えていただき……本当に感謝しかありません」
上目遣いになんとかそう返す。
小さかったので孤児院の頃の記憶は朧げだが、いつもお腹が空いていて、少ない食事を奪い合うようにして、その日をしのいでいたことは覚えている。
あの頃を思えば、ゾフィーお嬢様のどんなわがままも可愛いものだ。
「だったら、今。その恩を返して欲しい」
「……っ! ……は……い」
そう言われたら、私には肯定することしかできない。
侯爵は一瞬すまなそうな顔をすると、すぐに厳しい顔に戻り、部屋にきた青年に声をかけた。
「ルドルフ。ここへ」
「はっ」
侯爵が促すと、執事と一緒に入ってきた青年が侯爵の近くで跪く。
「ゾフィー、紹介しよう。きみの侍従、ルドルフだよ」
侯爵は、私を見ながらそう言った。
もう後戻りはできないのか。あまりの展開に心臓がドクドクと早鐘を打つ。回らない頭のまま、感情の見えない綺麗なアッシュグレーの瞳で私を見るルドルフを虚ろに見つめ返した。