10.希望と現実
侍従ルドルフの先導で執務室に入ると、アムスベルク侯爵が椅子から勢いよく立ち上がり、執務机を回り込んで私に近づいてくる。
あれあれ? なにをするのかなーとぼんやり目線で追っていると、侯爵は私の側に跪き、そして優しく抱きしめた。
「ゾフィー! 誕生パーティー、よく頑張ったね。役目を果たしてくれて、本当にありがとね」
想像してなかった突然の抱擁に、びっくりして固まる。美形の顔が近すぎるし、なんかいい香りが……ラベンダー? んー、あとは……セージかな? 侯爵らしい、柔らかさと涼やかさを秘めた香りの近さに動揺し、目が不自然にぱしぱしと瞬いた。
いい香りの美形に抱きしめられるという、前世も含めて初めての事態に、緊張からか興奮からか、自分の鼻息が荒くなっている気がしてきたので、とりあえず息を止めてみた。
……
…………
くっ…………
息が苦し過ぎてプルプルしてきた私をみかねたルドルフが、アムスベルク侯爵に声をかけてくれて、やっと解放された。
ぷはっ。はふはふ。
無理に息を止めてたせいで、荒い呼吸が治らない。これ、逆に恥ずかしいやつでは……
涙目で赤くなりながらも、ようやく呼吸が落ち着いてきたところで、私が落ち着くのをゆっくり待っていた侯爵に促され、ソファに向かい合わせに座った。
恥ずかしがって顔を上げられない私に、侯爵は苦笑しながら、私が寝ている間に進めたことを教えてくれた。
どうでもいいけど、美形の苦笑って絵になるよね。
「それでね。まずは、約束してた娘の捜索なんだけど、……」
「今のところ、進展はないんだ。万が一にも情報が漏れないように、捜索の人手を絞っているから、なかなか難しくて。ゾフィーには申し訳ないけど、長期戦になりそうだね」
「っ。……そうですか」
真剣な侯爵の態度に、私の背筋も自然と伸びる。そっか、ちゃんと約束を守ろうとしてくれてるんだ。
親族もいない、いち使用人の私だ。約束なんて知らないと捨てられる可能性も考えてたけど、侯爵がきちんと対応してくれてることが分かり、じんわり心が暖かくなった。
……だけど、そもそもお嬢様を探すべきなのかな。あのノートのことが頭をよぎる。侯爵に話そうか一瞬迷ったけど、きちんと対応してくれてることへの感謝とか、でも探すのやめたほうがいいかもとか、でもでもそうすると自分の立場が悪くなるかもとか、相反する色々な想いが一気に巡ってしまって、結局、喉から言葉が出てこなくなった。
言葉に詰まる私の態度を、特に気にする様子もなく、侯爵は話を続ける。
「それから、これは前から考えていたのだけど。アムスベルク侯爵家の後継ぎ候補として、遠縁から魔術に見込みがある者を養子を迎えるつもり」
「当家の重要な役割として、王都の防衛のための防御陣の維持があるのは知ってるよね? これを維持するためには、魔術に長けたものを血族に入れる必要があるからね」
「なるほど? それは私では、力不足ですね!」
もちろん重要な役割なぞ知らないが。私に役割が回ってさえこなければよい。訳知り顔で調子よく相槌を打つ私に、侯爵は微妙な顔を向けながら答える。
「んー。そうだね。……まあ、強力な伴侶を得られれば、ゾフィーでも大丈夫だとは思うけど。……一応、保険としてね」
「まあ、それで。結局、ゾフィーの婚約者を誰にするかによるんだけど。家督を継ぐような相手なら、ゾフィーはそちらの家に入って、うちは養子が継ぐし。逆に我が侯爵家に来てくれるなら、それでもいいし」
「え?」
「ん? なに?」
今、なにか不穏なワードが聞こえた気がする。大丈夫だと思うけど、私には関係ないと思うけど、一応、確認すべき?
「……えーと、一応確認ですけど。婚約者? って、あの、今、絶賛家出中の、本物のお嬢様に、ですよね?」
「……ゾフィー。もちろん、君の婚約者だよ」
……
…………
「え?」
「ん? なにか不満でも?」
「あれ、えっと? で、でも、誕生パーティーを乗り越えたら、郊外に住むところと資金を、という話だったと思うのですが……」
急に不安になり、どもりながらアムスベルク侯爵を見つめる。今さら、ごめーん、あれ嘘とか言わないよね? ……ね?
「もちろん、僕の出来る限りの努力はするよ? ……ただ、分かってると思うけど、ただお金があっても、14歳の女の子が家は買えないよね?」
「……え?」
「ん?」
「……え? で、でもでも、そういう契約で、魔術で、破れない誓約が……あれ?」
先ほど感じていた誠意はどこへ? 不安がどんどん大きくなって上手く話せなくなる。
「あー……契約を結ぶとき、ちょっと説明不足だったかな? まあ、あの時は時間も無かったしね……」
アムスベルク侯爵は、前髪をかき上げながら、困ったようにため息を吐いた。美形はなにをしてもカッコよい。……いやいや、ため息吐きたいのは私のほうです。むしろ、私は今、泣きそうです。
「あのね、最後に、私の力の及ぶ限りでこれらの契約を履行するって足したでしょ?」
「はい……」
確かにそれは侯爵からの提案で足した。あの時はそんなに変な条件でもないと思ったけど。今も変だと思わないけど、なにか法の穴が?? 涙目の状態で、上目遣いに侯爵を見あげると、侯爵は柔らかく微笑む。
「ふふっ。そんなに不安にならなくても大丈夫。ただ、ゾフィー、ちょっと勉強が足りなかったかな? つまり、僕の出来ることには限りがあるってことなんだけど。……あのね、ここ、アルタイル王国統治下では、基本的に女性に領地は与えられないんだ。それで、その延長で、領地内の個々の家々でも、家長は男性が基本なの」
「そうですね?」
急に家庭教師になったかのように、侯爵から国の仕組みを説明され、疑問に思いながらも同意しておく。知ってる。だが、それがなにか?
「ゾフィーの希望は、郊外に住居と資金だよね? だけど、家を建てるには家長が必要だよね。まあ、一時的に僕がなってもいいんだけど、うちが代替わりしても続けられるかは不安が残るし。そんなの嫌でしょ?」
「……そうですね?」
あれれ? なんだかすでに負けた気分になってきたぞ。だけど、深くは考えないことにして、同意だけしておく。
「大体、資金って言っても、例えば、製錬した金そのものを生涯困らないだけ渡しても、ゾフィー一人で住んでたら、あっという間に盗賊の餌食だよ。だから、ある程度の領地があって、常に民からの税収があるほうがいいと思ったんだけど」
「…………そうですね?」
私は人生を賭けた勝負に負けたのか……侯爵の向こうに見えてきた、これまでの人生を薄目で振り返りつつ、同意する。
「だから婚約者がいいかなって」
「なるほど……?」
……んん? 途中で思考を放棄してたせいか、最後の論理の飛躍についていけなかった。思わず、頭をこてんと傾げる。
えーとつまり、この世界において、住居+資金=婚約者ってことですね、分かります。
……え、これ分かる人います??
誤字報告ありがとうございます(役不足→力不足)




