7:《柩》のナコト(3)
破門。
その言葉に、わたしは全身から体温が急激に失われていくような感覚を覚えた。見えない傷から見えない血がどくどくと流れて、絶えず失血していくような気がした。
頭がくらくらして、眼前の景色が歪む。
そのときわたしの頭をよぎったのは、入学直前のこと――〝魔女捜し〟のときのことだ。
年に一回紋章官が町に来て、しるしを探すために女の子たちの服を脱がせ、身体をすみずみまで調べる。
十四歳のわたしにとって、その年は魔女になる最後のチャンスで、かといって期待はしていなかった。女の子なら誰でも一度は魔女になることを夢見るものだけれど、十二歳までにしるしが顕れなければ、だいたいは諦める。ご多分に漏れずわたしもそのうちのひとりで、だから思いがけずしるしが見つかったときは本当に驚いたし、飛び上がって喜んだ。
それ以上に喜んだのは母親だ。
彼女は報告を聞いたその足で市場まで飛んでいって、冬の朝みたいにしゃきしゃきの野菜や、新鮮で高価な肉を買い込んだ。
その日の夕餉はわたしの好物ばかりが並んで、わたしは暖かい食卓でかりかりの鹿肉のチョップにかぶりつきながら、「わたしにだって、できるのだ」と思った。
ちびでもじゃもじゃでやせっぽちのわたしにだって、誰かを喜ばせることができて、いつかは何者かになれるのだと、そのとき初めてそう思えたのだ。
わたしは、からからに渇いた喉を何とか動かして、声を出す。
「努力が……努力が、足りなかったんだと、思います……だから」
――他の誰かが一生をかけて研鑽を積んでも得ることの出来ない才能が、あなたにはあるの。
ナコト先輩の言葉が、頭の中で響く。
彼女だってそう言ってくれた。だから、時間さえかければ、努力さえすれば、きっと――、
「もっと努力しますから。もっと上手くちからを扱えるように――」
すがるようにまくしたてるわたしに、ミスター・コーシャーソルトは「ふむ」と静かにうめくように返事をして、吸っていた煙草を捻り消す。
それから小さくかぶりを振って、諭すようにわたしに声を掛けた。
「……努力というのは、来るかどうかもわからない手紙を待つことに似ている。便りがいつ来るのかは、誰にもわからない。それでも毎日、雨の日も風の日も雪の日もポストを開けて中身を確認すること――それを努力という。そういう意味で、僕はきみに努力が足りないとは思わない」
ミスター・コーシャーソルトは大きく息をつき、ずり落ちた眼鏡を中指の腹で持ち上げてから、話を続ける。
「けれど、大事なのは便りそのものだ。ポストを開けることじゃない。ミス・ヒールド、わかるかい? 努力だけでは、だめなんだ」
王国に存在するすべての魔術学校の校則の第一条には、ある文言が書かれている。
『すべての才あるものに、学びの門は開かれる』
それは裏返すと、才のないものには学びの門は閉ざされる、ということだ。
◆
それからどうやって部屋に帰ったかは覚えていないけれど、その夜わたしは眠ることもできずに、ただひたすらに寮のベッドでぼうっとしていた。
布団の中から生えてきたたくさんの黒ずんだ手に身体を縛られて、脳みそを吸い取られている気分だった。
破門とは、言うなれば『才能なし』と刻まれた鉄の焼きごてだ。
魔導の探求には危険がつきもので、実際に生命に関わるような失敗をする者もいた。そういう才能のない者、あるいは教えに背いた者に対して、学院は容赦なく破門を突きつける。それがその生徒の命や学院そのものを守ることにつながるからだ。
正直なところ、ミス・ロウマイヤーの決断に関しては納得するところもあった。
一年生の時点から、なんとなく限界のようなものを感じていたのだ。わたしは明らかに魔女には向いていなくて、それでもだましだましずっとやってきていた。
足繁く図書室に通って自習してみたり、誰でも簡単にできることを夜通し練習してみたり。そうやって、送り出してくれた両親に対する義務感というか、責任感に背中を押されてずっと走り続けていた。
突き詰めて言えば、別に魔女でなくたってよかったのだ。
わたしはわたしの周りの誰かを喜ばせられる何者かになれさえすれば、それでよかった。
だから、それまでのわたしであれば、コーシャーソルト氏に告げられた言葉も「これが限界であれば仕方ない」と飲み込めていたかもしれなかった。
けれど。
――私はあなたと飛んでみたい。私には、あなたが本当に必要なの。
ナコト先輩の言葉が、虚しく頭の中で繰り返す。
わたしを強く求めてくれる、学院に入学して初めてのその言葉が、同じ日に告げられたものでなかったら。
なぜだか先輩がとてつもなく残酷な人のように思えて、涙が滲んでくる。
あの言葉がなければ、こんなに悔しい思いをすることはなかったのに、と。
「……先輩のうそつき」
窓を叩く小さな音が耳に入ったのは、泣きそうになりながらそうつぶやいたときだった。
――こんこん、こつこつ。
硬質な棒かなにかで、控えめにガラスを叩く音。
――こつこつ、こんこん。
怪訝に思っていると、それは時間の経過とともに徐々に大きな音に変わってゆく。
――こんこんこん、がたがた、がた。
そうこうしている間に、音は最終的に窓枠全体をきしませる結構な騒音と化していた。それは小さな頃に体験した暴風雨の夜を連想させるもので、いよいよもって無視できるものではなくなっていた。
付け加えて言えば、驚くべきことにビビはまったく目を覚まさなかった。
なんというか、ある意味で才能だ。
若干彼女を羨ましく思いながら、騒音の主についてわたしは考える。妖精の仕業だろうか。
だって、学生寮の二階の窓をこんなふうに叩くことができるのは、身長1ヨルド半くらいの巨体を持つ人物か、背中に羽の生えた生き物のどちらかしかいないからだ。
〝慈悲の森〟を始めとしたク・リトル・リトルの自然にはたくさんの生き物が住んでいて、妖精たちもその住人の一部だ。やつらはいたずら好きで怒りっぽく、人間の嫌がる顔が大好きで、ときおり人の生活圏にやってきては意味のないいたずらをして森へと帰っていく。
たとえば窓の外に干した下着に泥をぶつけて汚してみたり、小鳥の餌を横取りしてみたり、あるいは夜中にこうして騒音を鳴らしてみたり。
言うなれば彼らは空飛ぶ月経で、わたしたちの生活に忍び寄っては防ぎようのないタイミングで不快感をばらまいていく迷惑な存在だった。
わたしは真っ暗な部屋に響く断続的な音を聞きながら、とてもひどい気分になってしまう。
なんだってこんな日に、こんないたずらに付き合ってやらなければいけないのだろうか。
わたしは傷つき落胆していて、汚泥のように疲れているのに。窓を鳴らす音が、とてつもなく侮辱的な笑い声のように聞こえた。
無視を決め込んでやろうかとも思ったけれど、なんだかとてもとげとげしい気持ちが胃袋から上がってきて、わたしは夏用の毛布を蹴り脱いだ。枕元においてある自分の杖を手探りでひっつかんで起き上がる。
――やっつけてやる。
闇の中で、慣れ親しんだ自分の杖の感触を確かめる。
肩慣らしに杖を振ると、しなやかで軽い感触が手のひらに返ってくる。先端にあしらわれた鷹の尾羽根が風を切って、小さく甲高く鳴った。
あらゆる魔女が魔術を学ぶときに一番初めにやることが、自分の杖を自分で作ることだ。
だから、わたしたちの顔が一人ひとり違うように、ひとつとして同じ杖は存在しない。杖は魔女の分身で、その魔女自身の想い出そのものを材料に作られるからだ。
わたしの杖にしてもその例に漏れず、〝尾羽根の杖〟は父の店で一番上等な羽根ペンを杖に加工したものだった。
高価すぎて何年も売れず、ヒールド文具店の主のようにカウンターの上に君臨していたそれを、父はわたしがエルダー・シングスに入学する際にプレゼントしてくれたのだ。
無口で無表情な父は何を考えているのかわかりづらい人だったけれど、この杖を握ると、彼のわたしに対する愛情というか、誇らしさのようなものを感じ取ることができる気がした。
それと同時に、どうやらその期待に応えることができそうにないという事実が首をもたげてきたけれど、それは見ないようにする。
気を取り直して杖を構えたわたしは、頭の中でへそ下から杖の先に熱量を移動させるイメージを描く。
胎から心臓へ、心臓から指先へ、指先から御杖へ。
「【Aktivigo, Lumo.】」
〝灯り〟の呪文を唱えると、杖の先端に燐光が灯る。
魔術を学ぶものなら誰でも使える初歩中の初歩の技術だ。
わたしは青白い光に照らし出された室内をそろそろと歩く。ビビが壁際に貼ったなんとかいう男の子のポスターが淡い光に照らされて、その白い歯をきらきらと輝かせていた。
わたしは窓際の壁に張り付くと、くそ妖精を追い払うために次の呪文を口にする。
「【Transform al Sago de Lumo.】」
呪文に呼応して、球状の燐光が小さく鋭い光の矢じりに形を変える。
わたしの〝矢〟は、他の魔女たちが作るものに比べれば小さく狙いも不確かなものだったけれど、妖精を追い払う程度ならこの程度で十分だった。
窓を開けて矢を打ち込めば、当たらずとも驚いて森に逃げ帰るだろう。
――やっつけてやる。わたしにだって、それくらいは出来るんだ。
息を細く吐いて、術理の激発に備える。窓枠に手を掛け、猟犬みたいに全身にぐっと力を入れる。
向こう側から声がしたのは、窓を開け放たんとしたその時だった。
「ねえ、ニナ。この窓、壊れてるわよ。全然開かないもの」
「うわぁ」
輝く万華鏡の目を持つ女の子が、驚いて尻餅をつくわたしを、こうもりみたいに逆さまに覗き込んでいた。