領主のマクレーン
町に行くにあたり、俺はソフィアから色んなことを言い含められた。
「知らない人についていっちゃダメよ?」
「うん、わかってる」
「あとは、用事が済んだらまっすぐ家に帰ってくること」
「うん」
「お金、落とさないようにね?」
俺のことを子供扱いするソフィアは、一人で町へ行くことを心配していた。
まあ子供なのだから子供扱いで間違いはないのだが。
対して、サミーは楽観的だった。
「ルシアンは大丈夫だよ、ソフィア。いざとなったら魔法でドッカンだ」
「そういうことを言っているんじゃありません!」
「はい……」
サミーの言う通り、魔法でドッカンとはしないまでも、何かあればどうにかするつもりでいた。
俺を特別な子供として扱うサミーと、普通の子供として扱おうとするソフィアとは好対照だった。
「お母さん、ロンも一緒だから大丈夫だよ」
「ロン!」
こうして、両親に見送られ、はじめてのおつかいがはじまった。
家を出て、村をあとにし、『重力』と風塵魔法を使って最寄の町へと移動する。
子供の足なら二時間と言われた町まで、二〇分とかからず到着した。
到着したダルクの町は、付近では一番の商業地域のようで、人も多く活気にあふれていた。
我が家の作物は、行商人に預けたあと、ここで売られることが多いそうだ。
「紙とペン、あとインクか」
「ロン~、ロン~」
俺の独り言に応えるように、ロンが歌うように返事をした。
雑貨屋かどこかにあると思うんだが……。
あちこちを見回していると、それらしき店を見つけた。
中の様子を伺ってみると、思った通り、紙に羊皮紙、インクやペンなどの小物雑貨が売ってあった。
「坊主、何か用か?」
あごひげを蓄えた熊のような主人がぬっと現れた。
「こんにちは。紙とペンとインクをください」
「くださいって……おまえ、金は持ってんのか? 全部で合わせると一二万リンするが……」
一二万か。サミーの見立てよりも安いな。
しかし、どうしてそんな高値なんだ?
疑問は置いておき、麻ひもで束ねられたお金を一二万リン分主人に渡す。
「これで」
俺と手元のお金を何度も主人は見比べ、数えたあとで俺の頭を撫でた。
「疑ってすまなかったな」
商品を受け取り、俺も一応確認する。
ペン一本に、黒いインクが入った壺。あと目当ての紙が三〇枚ほど。
「三〇枚か……」
「悪いが、ウチにおいてあるのはそれだけでな。あまりたくさん置いてても、盗まれると大損害だから」
価値のあるものをたくさんは置いておけない、と。
たった三〇枚では、魔法書にはまだまだ全然足りない。
馬蹄の音がいくつか響くと、身なりのいい男と使用人らしき老年の執事が、店の前に止めた馬車から降りてきた。
「主人、ここに紙はあるか」
二〇代半ばくらいの身なりのいい男が、中に入るなり威勢よく言う。主人は俺を一瞥して困ったような顔をし、すぐに笑顔に変えた。
「デラデロア様、いつもごひいきにしていただき、ありがとうございます。わざわざいらっしゃるとは、珍しいですね」
「雑貨屋殿、町の視察ついでなのです」
と、執事が丁寧に説明する。
……主人は俺に渡した分しか紙はないと言っていた。
面倒なことになりそうなので、紙束を胸に抱いて、会話をする三人の脇をそおっと通る。
「マクレーン・デラデロア様が、魔法学をさらに勉強なさると仰いまして」
「ああ。書き留めるのは、竹や木でも構わんが、あれらはかさばる。やはり紙が一番使い回しが利くのだ。学ぶために、今回は元宮廷魔法士を家庭教師として招いていてな!」
ハハハ、と機嫌よく笑い声を響かせるマクレーン。
主人との世間話から察するに、どうやらこのマクレーンという男が、俺の村を含めた町一帯の領主らしい。
「わざわざお越しいただいたのに、申し訳ないのですが、今紙を切らしていまして……」
「何、そうなのか」
魔法は、貴族しか使えない――。
転生してから、まだ俺は他人の魔法を見たことがない。
執事が、さらに勉強をする、と言っていたから、マクレーンが魔法を学んでいることは確かなようだ。
気になる……。
主人と目が合うと、さっさと行け、と小さく顎を外にむけてしゃくった。
時間を稼いでくれているのに、すまない、主人。
魔法技術がどれほど進歩したのか、この目で見てみたい。
特権階級しか使えないとされているのなら、なおさらだ。
俺のこの魔法への探究心はどうしても抑えが効かない。
ロロ~ン、と促すようにロンが鳴いて、前足で俺の足をたしたし、と叩く。
「何だ、この不思議な獣は――。ん? そこの子供、おまえが持っているのは紙ではないか」
ついに紙のことに気づかれた。
「さっき、ここで買いました」
「ふむ。譲れなどとは言わん。伯爵家デラデロアの名が泣く。おまえが買った値段の倍で紙を買い取ろう。悪い話ではないだろう?」
「いえ。僕も紙がほしくてここまで来たので、いくら積んでも売れません」
ピシッ――、と空気が凍ったのがわかった。
主人は、なんてことを、とでも言いたげに天を仰いでいる。
「何? オレの学びを妨げるつもりか」
「それよりもおじさん」
「おじさんではない。オレはまだ二七歳だ」
「意外と年食ってますね」
ピシッ――、とさらに空気が凍ったのがわかった。
執事は主の顔色を窺って慌てている。
ロンだけ、のん気にあくびをしていた。
「き、貴様……!」
「失言でした。すみません、それは謝ります。――そんなことよりも。使えるのなら見せてください! 僕に魔法を!」
「坊主、魔法のことになるとグイグイいくんだな……」
驚いたように主人がぼそりとつぶやく。
「力づくでこいと? ふ、フフフ……ハハハハ! いいだろう! 宮廷魔法士長に『エーゲル地方にマクレーンあり』と言われたその魔法、見せてやろう!」
表へ出ろ! と意気込むので、俺は言われた通り店を出て、マクレーンと対峙する。
「マクレーン様、相手は子供で……」
執事が言うと、フンとマクレーンは鼻を鳴らした。
「わかっている。驚かせるだけだ。クク、チビるかもしれんがな!」
「領主様、お願いします」
俺はぺこり、と一礼する。
「礼儀正しい坊やだ……」
感心したように執事がこぼすと、「行くぞ、ちびっ子!」とマクレーンが魔法を発動させる。
「風の精霊……この理、我が呼びかけに応え給え――『ウインド』」
足下に魔法陣が現れ、魔力消費に応じて緑色に輝く。
こちらに手の平を向けると、ヒュォォ! とそよ風が吹いた。
「フハハハ! どうだ!? 驚いたか!」
マクレーンは満足げだった。
風の精霊? そのような輩は、この世界にはいないはずだが……。
今のような魔法を使う者が、五〇〇年前にもいた。
だが、それ以上前に俺はその存在を否定し、説を立証していた。
……まさか『頭がおかしい引きこもりの戯言』扱いで、俺の立証説は見向きもされなかったのか?
世間には浸透しなかったのか――?
「チビってしまって身動きもできないか? おい、この子供に代えのパンツをくれてやってくれ! ハハハ!」
いいだろう。精霊も呪文も必要ない『魔法』を見せてやろう。
「『ウインド』」
風塵魔法の初歩を発動させると、突風が吹き荒れる。
「な、なんだ、これは――!?」
「この力は一体――!?」
主従ともども風から身を守ろうと、腕で遮ろうとする。
通りに置いてあった木箱が舞い上がった。
「ローン!?」
ふわーっとロンも風で飛ばされてしまった。あ、まずい。
木箱を操作してマクレーンの顔面すれすれで落とす。
「ひえっ……」
「これが、『ウインド』……風塵魔法の初歩です」
マクレーンが尻もちをつき、執事が目を剥いて俺を見つめた。
「坊や、君は一体……」
まだ宙にいるロンが落ちてくるところだったので、がしっとキャッチ。前足でぺしぺし、と抗議するように腕を叩いてくる。悪かった、悪かったって。
まだ驚愕の顔をするマクレーンの股に目をやる。
どうやら、代えのパンツが必要なのは、俺じゃなく領主のほうだったらしい。