高価になっていたアレ
「ルーくん、あーそーぼー?」
自分の部屋にいると、家の外からアンナの大声がした。
窓を覗いてみると、思った通りアンナが玄関前で家の中の様子を窺っている。
「げ。今日は構ってる暇はないのに」
どうやって追い返そうか。また魔法を見せろだの何だのと言ってくるに違いない。
「ロン?」
声に反応したロンが、たたたた、と部屋を出ていってしまう。
「あ、ロン」
追いかけていくと、ソフィアが玄関扉を開けた瞬間に、ロンが飛び出した。
「ロン」
「あ、キツネネコちゃん! こんにちは」
「ロローン」
ロンが挨拶を返すように鳴くと、ソフィアがこっちを振り返った。
「ルーくん、アンナちゃん来てるわよ」
「……今日は用事があるから遊べない」
ロンを抱いて部屋に帰ろうとすると、ソフィアが不思議そうに言った。
「用事? ないでしょ、そんなの」
あるんだ、ソフィア。
幼少期といえど、俺は一分一秒を無駄にしたくない。
転生した理由も忘れ、気づいたら年老いていたなんてことは避けたい。
俺の魔法技術を広めるためには準備がいるし、それには時間がかかるのだ。
……なんてことを言っても、信じてもらえないのだろうが。
「じゃあ……邪魔しないんならいいよ」
「うん! アンナ、じゃましない!」
本当だろうな? と半目でアンナを見ても、遊べるのが嬉しいのかアンナは目をキラキラと輝かせている。
「仲良くするのよ?」
「わかってるー」
こっち、と俺は言って、アンナを部屋へ案内する。
「なにするの?」
「アンナちゃんは、ロンと遊んでて」
「うん!」
ロンを離すと、ぶるぶる、と体を震わせて首の後ろを後ろ足でかきはじめた。
「ロンって名前にしたのね」
「うん」
椅子に座り机と向き合い、昨晩に思いついたことを実践する。
指先に魔力を集め、空中に文字を書く。
「……ルーくん、なにしてるの?」
「見てわかるでしょ」
「わからないよ」
わからない……?
魔力で書いた文字であれば、紙もペンも要らないから便利なのだが。
目の前には、俺が今日から書きはじめた魔法技術についての序論がある。
これが、見えない……?
「まさか……」
魔力の可視化ができない……?
よくよく考えれば、魔法の一般知識がないとすれば、無理もないことか。
試しに、ソフィアにも同じことをしても、
「え? 何?」
さっぱりのようだった。
畑仕事中のサミーに試してみたが、結果は同じだった。
「ルシアン、文字を書いたのか? ふふ。さてはクイズだな?」
違う。違うんだ、サミー。
指を走らせて何を書いたのか当てるクイズを出しているわけではないんだ。
「今、魔法の文字を空中に書いたんだ」
「魔法の文字なんて、アンナ、はじめてきいた!」
子供ゆえの無知というわけではないらしく、サミーも驚いている。
「魔法の文字……? そんなことができるのか?」
「町に行けば、わかる人いる?」
「どうだろうな。お父さんの知っている限りじゃ、魔法学を学んでいる貴族の方々くらいだと思うぞ?」
貴族だけ? 魔法を学んでいる……?
仕方ない。紙はかさばるし重くなるから避けていたが、頼るしかないようだ。
知識や技術がある人間にだけ読めるものを書いても意味がないからな。
俺のやりたいことは、魔法技術を伝えること。それには身分や人種、年齢は関係ない。
両親のような、魔法とは無関係の生活を送っている人に理解されてこそだ。アンナのようなちびっ子にもわかるように書いてやらないと。
「お父さん、紙とペンって家にある?」
あっけらかんとした様子でサミーは答えた。
「ないぞ」
なぬぃ……?
「ルーくん、変な顔!」
キャハハ、とアンナが楽しげに笑う。
言われてみれば、それらしき物を我が家で見たことはない。農家に紙もペンも必要ない……か。
「アンナちゃんちにはある?」
「ないとおもう!」
元気いっぱいに答えてくれた。
「お父さん、紙とペンって、どこにあるの?」
「町で買わないと、村の人たちは持ってないだろうな」
「お父さん、紙とペンがほしい。紙でなくても羊皮紙でもいいよ」
ハハハ、とサミーは爽やかに笑った。
「買ってしまうと、一か月分の生活費がなくなってしまうぞ」
冗談言うなよ、とでも言いたげに笑い飛ばす。
「冗談だろ……」
一か月分の生活費? そんなに高価なのか。
なんてことだ。
「どうした、ルシアン。がっかりして」
「ルーくん、紙とペン、ほしいの?」
「うん。ほしい」
ペンは炭でも代用できるが、後世に残すためとなると、やはりインクとペンのほうがいい。
しかし、そんなに高価なものをねだるわけにはいかない。
どの道お金は必要というわけか。
『創薬』と『鍛冶』を使って紙は作れるようだが、何分手作業なので一枚作るのに時間がかかる。
魔法書を作るためには、一〇〇〇枚以上は必要だ。
紙を作ることを考えれば、紙のための資金を作るほうが早い。
慰めるように、ロンが足下で俺にまとわりついて体をこすりつけてくる。
森に入って魔物を狩ってもいいが、いずれ限界がくる。それどころか、狩り尽くしてしまうと連綿と続いた森の生態系を壊すことになりかねない。
そうなると、二次三次と被害が波及していってしまうだろう。
魔物を狩って素材を売るのはなしだ。生物学者でもない俺には、被害の予想がまるでできない。
目の前の金ほしさに、魔物は狩るべきではないな。
やはりサミーの仕事をサポートするほうが無難だろう。
考えを巡らせながら、自分の部屋へと帰る。
「ロン、ロン」
椅子に座ると、膝の上にロンが飛び乗ってくるので、もふもふ、と触る。
心地よくなったのか、ロンが目を細めて眠ってしまった。
何かいい手は……。
「ルーくん、むずかしいこと考えてる」
農具で効率を上げても、天候次第で作物は育ちもするし枯れもする。
農家は収穫量と収入が比例する――。
そうか。それなら……。
『創薬』魔法を発動させて、農薬を作ることにした。
幸い我が家と家の周囲で材料が揃うようなので、それを集め、調合していく。
怪我をしたロンのために作ったポーションのように、二種類の薬品ができあがった。
「ルーくん、なにをつくったの?」
「作物の成長を促す薬と、その作物を食べる虫を予防する薬」
「ふうーん?」
あまりわかってないようだ。
さっそくその薬を持って、サミーのところへ行き、効果を説明する。
「その手の薬は、あるにはあるんだが、金もかかるし効果がイマイチなんだ」
「僕が魔法で作ったやつだから、効果はあると思うよ。お金もかかってないし」
「そうなのか?」
半信半疑のサミーはすべての作物に使わず、一部だけに俺の農薬を使った。
賢明な判断だ。万一失敗すれば収入がゼロになってしまう。
数日後。
俺の農薬をまいたところだけ、他と比べて明らかに生育状況がいいと、サミーが教えてくれた。
「ルシアン、すごいぞ、おまえの薬は!」
「よかった。作物を食べてしまう虫を予防してるから、お父さんはいつも通り育ててくれたら、いい実がなるよ、きっと」
「こうなれば全部だ。全部にまくぞ!」
「足りなさそうだから、もっと作るね」
「ああ!」
紙とペンを買うための農薬だったけど、収穫を待たずにして、噂を聞きつけた人たちが、俺の農薬を買い求めた。
適正額よりも少し安いくらいのご近所価格として売り出すと、瞬く間にお金を稼ぐことに成功した。
「ルシアン、これで紙とペンを買ってきなさい。これだけあれば十分だろう」
「ルーくん、無駄遣いしちゃダメよ?」
農薬の売上金を、両親はまとめて俺にくれた。
生活費の足しにしてくれてもいいのに。
真面目で優しい両親に感謝し、俺は町へ行くことにした。