14
王都へ向かう当日。
朝早くから学院に集合した選抜メンバーと俺、あとは引率のゲルズ、ソラルが揃い、学院を出発した。
宿屋夫妻が見送りに来てくれていただけでなく、他の生徒の知り合いや友達がたくさん見送ってくれた。
近くに暮らしているイリーナは、両親、使用人、飼い犬まで総出での見送りとなった。
馬車が街道を進む中、イリーナは両手でまだ顔を押さえていた。
「は、恥ずかしい……みんなは、友達とかなのに、わたしは……」
「貴族にしては、アットホームな家族ね、あんたのところは」
ソラルが笑いながら言う。
ソラルの言いたいことはわかる。
イリーナの家族なのだな、というのがよくわかる温かい両親だった。
王都までは、馬車で約三日ほどかかる。
途中の町に寄り、水と食料を買ったり宿を取ったりしながらの道のりだった。
俺が知っている町といえば、実家のあるネルタリム村と学院のあるダンペレの町しか知らなかったので、立ち寄った町は新鮮といえば新鮮だった。
だが、どれも目新しいものはとくになく、印象に残るものもなかった。
かつて生きていた世界に比べて五〇〇年ほど経っているのに、まるで文明が進歩していない。
あの頃とほとんど変わっていない。
これも魔法の発展が遅れている弊害なのだろう。
「ロン! ロン! ロンロン!」
王都の外郭が見え、その奥には城がうっすらと見えはじめたころ、鞄に潜んでいたロンが飛び出し、外に向かって吠えはじめた。
同じ車内にいるイリーナとソラル、ライナスは長旅の疲れで眠っており、ロンの声に起きることはなかった。
「ロン、どうした?」
「ロローン!」
王都のほうに向かって吠えているロン。
おかしいな。普段こんなに長く吠えることはないのに。
長旅でロンも疲れているのかもしれない。
それか、見たことのない景色で興奮しているのだろう。
「あとちょっとだから」
俺はそう言ってまたロンには鞄に戻ってもらった。
予定した王都の宿に到着すると、しばらくは自由時間となった。
開会式は明日。
毎年行われるため、いつからか専用の競技会場――ゲルズはアリーナと呼んでいたが――が作られ、そのアリーナで生徒は魔法能力を競う。
何部屋かあるはずだが、なぜか俺はイリーナとソラルと同室だった。
ゆっくり休もうと思っていると、窓を明けたイリーナがこちらを振り返る。
「ルシアンくん、王都だよ、王都。来たことある?」
「何はしゃいでるのよ。子供ね」
ソラルがさっそくイリーナにマウントを取る。
宮廷魔法士サマは、こんな城下町ではなく宮殿内で生活をする、と以前自慢していたな。
「いいじゃない。わたし久しぶりなんだから」
「僕は、はじめてではないですよ。以前住んでいたこともありましたから」
「「え、そうなの?」」
二人の声が重なる。
……あ。それは前世のほうだ。
「間違えました。はじめてです」
「どんな間違え方よ」
と、ソラルに半目でツッコまれた。
「珍しいものがいーっぱいあるんだよ、ルシアンくん。見て回りたくない?」
城内に入ったとき、車窓からそれとなく眺めたが、ここもあの頃からさほど変わっていない。
「明日から競技会がはじまりますし、訓練をしたほうが……」
「そんな固いこと言わないでさ。ね。ちょっとだけ」
俺が行きたいというより、イリーナのほうがその気持ちは強いようだ。
「じゃあ、ちょっとだけ」
大会は全部で五日。
初日、二日目は模擬戦。
各校総当たりで戦うため、二試合ずつ行われる。
三日目から最終日は個人戦。
負けた学校から帰っていいようなので、閉会式は一校しかいない場合もあるそうだ。
「ちびっ子には、ちょっと相談したいことがあるの。イリーナに付き合うのはあと回してもらえるかしら?」
「えー? 何それ。ルシアンくん、どっちがいい?」
どっちが、と言われると、困る。
おそらく、ソラルが相談したいことというのは、個人戦に誰を三人出すかという話だろう。
「ソラルさんの……」
「……」
イリーナが悲しそうな目をする。
「じゃなくて、イリーナさんと一緒に町を見たいです」
「やった」
「ちょっと、あんた卑怯よそれ!」
食ってかかるソラルを俺は宥めた。
「まあ、夕食のあとでも相談はできますから」
「そうそう。夜じゃお店しまっちゃうもんねー?」
ねー? と同意を求めてくるイリーナ。
「はあ……これだから田舎モンは。まあいいわ」
諦めたようで、ごろんとベッドで横になった。
さっそく俺とイリーナは宿屋をあとにする。
ちょうど他の男子数人も出かけたのが見えた。
訓練をしたり、部屋にとどまったりするほうが少数派だったらしい。
行こ行こー、と上機嫌なイリーナに手を繋がれながら、俺は町を歩く。
登校するときも、こうしてイリーナが毎回俺とどうして手を繋ぐのかが疑問だった。
だが、見送りにきた家族に兄弟がいなかったので、もしかすると弟が欲しかったのかもしれない。
「うわぁ、綺麗」
露店の珍しい宝石に目を留めたり、怪しげな占い師の話を親切に耳を傾けたりするイリーナ。
これでは、時間がいくらあっても足りない。
どっちが子供なのやら。
対して俺は、思った通り目新しいものはなく、まあこんなものだろう、という感想を抱いた。
魔法の発展が停滞すると文化まで停滞するのがよくわかる。
この世界の神であれば、それは軌道修正させたくもなるだろう。
「イリーナさん、宿で夕食があります。そろそろ戻らないと……」
財布を失くしたという子供のために、地面をくまなく探しているイリーナを促した。
「うん。あとちょっとだけ――。……すぐ見つかるからね」
ぐすぐす、と泣いている子供を安心させるようにイリーナは言う。
根から優しいイリーナを見ていて、将来誰かと結ばれるのであれば、こういった子のほうがいいな。
一〇数年後の未来に思いを馳せているうちにも、どんどん空は暗くなっていく。
そのときだった。
どん、というぶつかる音と、イリーナの短い悲鳴が聞こえた。
「おうおう、こりゃ、エーゲルのクソ弱学院生じゃねえか」
犬歯を剥き出しにして笑う少年は、俺たちとは少し違う制服を着ている。
赤髪の吊り目で特徴的な面立ちだった。
「……ごめんなさい……わたしお財布を探していて」
目をそらしたまま説明をするイリーナは、また地面に目をやる。
その赤髪の後ろにいた数人がクスクスと笑いはじめた。
「エーゲルのやつは王都まで来て小銭集めしてんのか?」
「いいんじゃね? どうせ三日目には帰ることになるんだろうし」
「いい成績残せないからって、落ちてる小銭を土産にする気なんだろ?」
どっと笑いが起きた。
「イリーナさんは、この子が落とした財布を探しているんです」
イリーナがだんまりなので、俺はたまらず口を開いた。
「ぶつかったのなら、まず謝るべきでしょう」
俺がしゃべっている間、ずっと彼らはぽかんとしていた。
だが、徐々に笑いが起きていった。
「こんなガキが、制服着てるぜ……クク」
「おいおいおい。クソ弱ぇからついにガキまで学院に入れはじめたのか?」
カチンときた。
「謝ることもできない制服を着ているだけの無能よりは、いくぶんかガキのほうがマシだと思いますが」
大人げなくつい言い返してしまった。
子供相手に何をしているのだろう、と少し自己嫌悪してしまう。
「おい、ガキ、今なんっつった――!?」
がなる男に割って入るように、イリーナが小さな革袋を手にどこからか戻ってきた。
「もしかしてお財布ってこれ――?」
「うん! ありがとう、おねえちゃん」
「いいえ。どういたしまして」
イリーナは、にっこりと笑顔になった子供の頭を撫でる。
手を振ってその子は去っていった。
状況的に、揉めそうな雰囲気を察したのか、イリーナは首を振った。
「ルシアンくん、わたしのことはいいから。もう全然大丈夫だから」
からりと笑顔を作ってみせると、一度少年たちに会釈をしてこの場を離れようとする。
「制服からして、たぶんロックス学院の人たちだよ」
「ロックス学院?」
彼らを振り返ると、殺気だった目つきでまだ俺のことを睨んでいた。
「王都にある学院の」
「ああ。だからここを我が物顔で歩いているんですか」
しー、しー、とイリーナは慌てて人差し指を立てる。
赤髪の少年が、おいと大声をあげた。
「エーゲルの学院生がここにいるってこたぁ、あんたら選抜メンバーだろ?」
「……はい。そうです」
「……さっきの発言、覚えておけよ、ガキ」
といっても、俺はサポートメンバーで、正確には出場しないのだが。
「あなたたちも、イリーナさんに謝らなかったことを後悔させてあげます」
「ちょっとルシアンくん!」
べしべし、とイリーナに叩かれた。
「フン。明日はよろしくな」
ヘッ、と口の唇を曲げる赤髪の少年は、取り巻きを連れて去っていった。
強張っていたイリーナの表情がようやくゆるんだ。
「何ケンカ買ってるのよ」
「いえ。ですがイリーナさんにぶつかっておいて。おまけに挑発とも取れる発言がありました」
「だからと言って…………その、ロックス学院に比べたらエーゲルは、ちょっとアレだから……」
言っていて悲しくなったのか、イリーナは目をそらし、力なく笑う。
「アレというと?」
「学院の中では一番とされるのがロックス学院なの。要は、その、超強いの」
「イリーナさん。臆することはありません。リモを使っての特訓で、みなさん強くなりました。あんなハナタレには負けませんよ」
「向こうから見ればルシアンくんのほうがそうなんだけどね」
困ったようにイリーナは笑う。
「あとそれと――」
つん、と額を小突かれた。
「戦うの、わたしたちじゃんっ。ルシアンくんの無責任」
「無責任ではないですよ。十分強くなったと、僕は思っていますから。バカにした相手も舌打ちするほど手を焼くことでしょう」
だったらいいけど、とイリーナは息をひとつ吐いた。
「夕飯の時間が迫っています。宿に帰りましょう」
「そうだね」
俺はまた自然にイリーナと手を繋いだ。
「財布を探すイリーナさんを見て思いました」
「んー?」
「結婚をするならこういう方としよう、と」
「え――っ。えぇぇぇえ!?」
そんなに驚くことだろうか。
イリーナを見上げると、両手で赤くなった頬を押さえていた。
「だ、ダメだよ、ルシアンくん。歳の差だって一〇も違うし……う、嬉しいよ? 嬉しいけど、そういう言葉は、もっと別の子に言ってあげたほうがいいんじゃないかな~? ってお姉さんは思いマス」
「あの、イリーナさん。『こういう方』であってイリーナさん個人のことを言っているわけではないですよ」
「あ、そ……」
イリーナの火照った顔が瞬時に冷めていた。
イリーナは弟子にあたる。
師匠と結ばれるのは、どうだろう。
なんとなく禁断の関係な気がする。
歳だってかなり離れているし。
「イリーナさんは、魅力的な方です。相手に困ることはないでしょう」
「そんなことないよ? 実際」
「そうでしょうか」
「じゃあ…………。る、ルシアンくんが一五歳になって、まだわたしが独り身だったら、一緒に、なる?」
……逆プロポーズだ。
「あ。わたし、何言ってるんだろ……」
また赤くなった顔を隠すように手で覆うイリーナ。
「構いませんよ」
「えぇぇぇ……。オッケーされちゃったよ……。でもルシアンくん、そのときわたしは二六歳の独身魔法使いで――、ええっと、えっと、貴族なのに二六で独身はワケありだったり、行き遅れだったり、バツありだったりするから、ルシアンくんはわたしにはもったいない気が――」
どっちなんだろう。
自分で推薦をしておいて。
「賭けてもいいですが、それまでにイリーナさんはいい方を見つけると思います。だから、気軽に了承をしてしまいました」
「……じゃあ、もしものときは、よろしくね?」
恥ずかしそうに、イリーナが小指を立てる。
こういう文化も変わっていないようだ。
俺はイリーナの小指に小指を絡めて約束をした。
「しちゃったね」
「はい」
世間知らずなところはあるが、とてもいい子であることは俺もよく知るところ。
一〇年もパートナーが見つからないというのは、正直考えられない。
「ルシアンくんは、わたしを過大評価してるよ? マジで、ほんっっっとーに、モテないから、わたし」
はいはい、と俺は自己評価の低いイリーナの言葉を聞き流した。
「もしかして、ルシアンくんって、わたしが初恋だったりするの?」
どうだろう。
初恋――。
親愛の情をそうだと言うのであれば、イリーナが初恋なのだろう。
「はい。たぶん」
「やだ……もう、ええええ……そうなんだぁ……」
嬉し恥ずかしといった様子のイリーナは、終始頬を緩めっぱなしだった。
宿に戻り、メンバー全員と講師二人と夕食を食べる。
小さな宿だったので、ほぼ貸し切り状態。
食堂で簡単なミーティングを行った。
「明日は開会式と模擬線二試合があるわ。どちらも例年なら格上なのだけれど、今年は私の見立てではいい勝負をすると思うわ」
開会式の流れから、模擬戦の戦術についてなど、話は多岐にわたった。
あれから、俺の独自魔法を習得したのは誰もおらず、イリーナとライナスが戦略の柱になりそうだ。
「もうこの場で決めたいのだけれど、個人戦のエントリーが明日開会式前なのね。どうする?」
自分の能力をアピールする場でもあるため、全員が挙手をしていた。
「まあ、そうなるわよね」
予想された結果だったらしい。
「僕個人としては、イリーナさんとライナスさんを推したいです。初日、二日目の模擬があった翌日が個人戦初日。イリーナさんは、自分の魔法の扱いが完璧で、魔力の無駄がないので消耗は他の方よりも少ないでしょう。状態もいいはずです」
俺が言うと、ふむふむ、とソラルはうなずく。
「それは、私も賛成だ」
と、ゲルズが俺の案を押してくれた。
「イリーナは成長著しい。ここでの経験は来年再来年にもきっと役に立つ」
学院側としては、将来性も買っていたのだろう。
競技会までの期間で、イリーナ、ライナスは強くなった。
選考会からさらに進歩している。
「ライナスさんは、肉体強化タイプの魔法を使いますから、典型的な魔法使いには好相性かと。いわゆる実戦型」
能力評価というより、目の前の敵をいかに倒すかという点では、メンバー随一だと思っている。
「まあね……アレは嫌だもの。ほんと」
訓練を思い出したのか、ソラルは苦そうな表情を作った。
ゲルズ、ソラルの意見も総合していき、個人戦は、イリーナ、ライナス、あとは三年のサディルという男子に決まった。