学長の憂鬱
◆カーン◆
「まったく、どうしたものか」
選抜隊が帰還した報告をゲルズとハンネから受けて、カーンは小さくため息をついた。
ハンネを下がらせたあと、学長室の机の前で残ったゲルズは言う。
「災害級を、瞬殺でした。目を疑いましたが、事実です」
まるで武勇伝を語るかのように話してくれた。
「ルシアン・ギルドルフ……」
入学時に書いてもらった自己紹介用紙には、村出身で、魔法を学んだ経験はないとある。
個人的に調査を入れたが、やはり村人の子供でしかなかった。
そんな子供が……。
ゲルズを圧倒した入学試験のときから、非凡なものを見せてはいたが、まさかここまでとは。
利用できると思った。
が、その毒はあまりにも強すぎた。
「学長。彼は……神の使徒とされている、神に愛されし者ではないですか?」
「そのような者は存在しない」
……と、されている。
だが魔法界では、都市伝説のように神の使徒の話がささやかれている。
時代の節目にやってくるとされる神の使徒。彼、もしくは彼らは、神の意思を携え変革をもたらす、と。
世界の歴史は遡れて三〇〇年。――それ以前のことは、今や誰も知らない。
過去を知る書物もなく魔法書もなく、戦乱を期にすべてが破棄されたという。
記録を残すのに最適な紙は、王国が製造数を管理し手軽に扱えないほど高値となった。
粘土や木など、選ばなければ記録は残せるが、大量の情報を残すのには適していない。
「学長……やはり、ルシアンが言うように精霊は……」
ルシアンは、圧倒的な魔法能力を戦場で示したという。
「魔法省の人間がこれを嗅ぎつければ、ワシもタダでは済まん。ゲルズ、おまえもだ」
「重々心得ております……しかし」
「これ以上言うな。魔法省に睨まれては出世もままならぬからな。あの子は、少々危険過ぎる」
ソラルの話では、精霊は不要で人は自らの力で魔法を放つことができる、とルシアンは語ったそうだ。
「精霊が不要などと、そんな思想を広めてはならぬ。それは、魔法界全員の足下から地面がなくなるのと同じことであるぞ」
魔法に携わるすべての人間の常識が、間違っていたと突きつけられてしまう。
万民が魔法を使えるとなると、特権階級である支配層と被支配層の境が曖昧になる。
そのような思想を魔法省が許すはずがない。
「これは好機でもあります。ルシアンを上手く使えば、他とは抜きんでた成果を上げ、学院序列を変えられます。ひいては学長や魔法使いの講師の評価に繋がります」
カーンが学長を務めるエーゲル魔法学院の序列は、五つあるうちの五番目――序列最下位とされていた。
上手く利用するつもりでいたが、扱いの難易度が高すぎた。
ひとつ間違えれば、その毒は自分を侵すだろう。
ゲルズ曰く、王国では類を見ないほど強いという。それも厄介だった。簡単に存在を無視できない。悩むように、カーンは長いため息を吐いた。
「諸刃の剣……か」
とん、とん、と人差し指で机を叩く。
「学院を辞めさせたとしても、魔法は精霊頼みではないと公言しているせいで、いずれ周知となるだろう。ここを辞めさせても他の学院に行くとも言っておった。そのとき、利用しようと企む者がいれば厄介なことになる」
「では、どうすれば」
「そうだな……」
長考し、カーンはようやく考えをまとめた。
切り札として、手元に置いておく。だが、その札は極力切らない。切らないように善処する。
「破滅の崖っぷちに追いやられたときに、はじめて利用することにしよう」
平時は管理下におき、おかしな言動を規制していけばいい。
まだ五つの子供だ。
魔法を、世界の常識を、理を教え込む。
ここは、魔法学院なのだから。
「では、近々開催される魔法競技会は……」
失念していたそれを思い出し、カーンはまた深いため息をついた。
魔法競技会は、文字通り生徒代表たちによる魔法能力の発表会だ。年に一度の五学院合同で行われ、それには国王陛下や魔法省の関係者も観覧する。
「何も手を打たなければ、また苦渋を舐めることに……」
「わかっておる」
ゲルズを遮ったカーンは、去年の苦い記憶を思い出していた。
『ルシアン・ギルドルフ』と書かれた記入用紙に目をやって、ぽつりとこぼす。
「村人の子か。それとも、神の使徒か? いやそれとも、破滅の使者か?」




