ソラル先生
この日、学ぼうと思った現代魔法を実践する機会はなく、座学に終始した。
わかったことは、精霊信者である教師がそれを生徒に伝え、生徒も魔法はそういうものだと認識させられている、ということくらいか。
あとは魔法の属性についての初歩的な講義や、魔法使いとしての心得や宮廷でのマナー講座、卒業後の進路についての講義だった。
帰りも一緒のイリーナが尋ねた。
「朝はちょっとバタバタしちゃったけど、学院初日はどうだった?」
「講義は、真新しいことを教えてはくれませんでしたが、現在の魔法使いたちがどういう考えなのか知れたのはよかったです」
よく意味がわからなかったのか、イリーナは目をしばたたかせている。
「まあ、明日は魔法訓練の講義もあるから、今日みたいに座りっぱなしじゃないよ」
それはありがたい。
その魔法訓練とやらは、実戦的な魔法の使い方を学ぶ講義のようで、生徒たちも一番関心が高いという。
「特別講師の先生が来て、色々教えてくれるの」
「最後の講義にありましたが、イリーナさんは卒業したらどうするんですか」
「わたし? わたしは、宮廷魔法士になるための養成学校に通おうかなって思ってるよ」
宮廷魔法士になるための養成学校? そんなものが、現代にはあるのか。
ソラルも通ったのだろうか。
「宮廷魔法士になって、魔法使いとして名を上げたいの。放っておいたら、隣町の貴族の息子とかと結婚させられちゃうんだもの」
田舎貴族の宿命というところか。何もしないでいれば、貴族同士の繋がりで結婚する――。
悪いものではないと思うが、イリーナはそれが嫌だったようだ。
マクレーンやソラル、イリーナの話からして、宮廷魔法士は魔法使いの憧れの仕事らしい。
俺の時代では、ロクに仕事も魔法の研究もせず、威張っている輩の代名詞でしかなかったが、現代はもっとマシなのだろうか。
「ルシアンくんは、卒業したらどうするの?」
そのことは、講義のときからずっと考えていた。魔法学院は、講義の単位が一定数取れれば卒業ができる。順調にいけば三年。
マクレーンは専属魔法使いになってほしい、と言ってくれているが……。
「僕も、宮廷魔法士になろうと決めました」
「一緒だね」
にこり、とイリーナは笑う。
宮廷魔法士が、一握りの人間にしかなれないのであれば、なる価値はある。
学院で自分の理論が正しいと主張したところで、誰も耳を貸してくれない。
相応の肩書と、実力を示してはじめて、俺の理論を浸透させられるのだと思う。
精霊不要説もそうだが、まだまだ五歳児なのだ。理論以前に子供の戯言に聞こえてしまう。
宮廷魔法士になるには、養成学校に通い試験を受け合格すればなれるようだ。
「また教育機関か」
宮廷魔法士とやらは、よっぽど選ばれた魔法使いしかなれないようだな。
「ルシアンくんなら宮廷魔法士の試験もあっさりパスしちゃうかもね」
また笑うと、イリーナは俺の頭を撫でた。
翌日の講義では、一限目から魔法訓練の講義だった。
場所は演習場で、俺がゲルズと戦ったときのように半円状に魔法障壁が張られている。
「えー。今回から二か月ほど、特別講師を務めてくださる方がいらっしゃっている」
元々この講義を教える教師が朗々と生徒に説明をする。
「宮廷魔法士を最近辞められたそうで、我が校の講師をしたいという申し出があったのだ」
ざわざわ、と講義を受ける生徒たちがひそひそと話している。
「誰?」
「せっかく宮廷魔法士になったのに、辞めるとか、あり得ないでしょ」
「年だから引退した老魔法使いとか?」
ではどうぞ、と教師が呼ぶと、「おほん!」と、わざとらしい咳払いが後ろから聞こえた。
……元宮廷魔法士……?
もしや、と思って咳払いが聞こえたほうを振り返ると、ソラルが割れた人垣を歩いてきた。
おまえか。
生徒たちのざわつきの音がさっきの数倍になった。
「ソラル・メリスロンだ」
「すご、本物だ!」
「可愛い……」
「金髪きれい。お人形みたい……」
紹介されるまで、集団の真後ろにいたようだ。
マクレーンの家庭教師はもういいのか?
「そ、ソラル! ソラル! ソラルー!!」
きゃーきゃー! と、イリーナは大興奮の様子で小さく飛び跳ねながら手を叩いていた。
宮廷魔法士を目指す彼女からすると、憧れの存在のようだ。
「私が今日から魔法訓練の講義を指導するわ。ありがたく思ってね。史上最年少の宮廷魔法士になった、この私がね!」
高飛車な物言いで、さらっ、と金髪を手で払ってみせる。
ソラルはずいぶん有名なんだな。やはり、肩書は大切だな。史上最年少。宮廷魔法士。この差別社会ではとくに有効と見た。
「ん~。なんかイメージ違うな?」
「うん。思ってたのと違う」
「深窓の令嬢だって噂だったのに」
勝ち気な態度はむしろ逆効果だったらしい。
ちらりと俺と目が合う。あとで事情を訊こう。
「あんたたちの私に抱く偶像なんてどうだっていいの。さっさとやるわよ? 自己紹介は要らないでしょ。だってみんな私のこと知ってるだろうし。逆は結構。覚えるつもりないから」
すさまじく高圧的で、周囲の反応からして、好感度が一気に下がったのがわかる。
あの性格でこの物言いだと、宮廷魔法士になってからはずいぶん苦労したに違いない。
的が用意され、二〇メートル離れたその的に向けて魔法を放つという訓練をすることになった。
横一線に並び、各々得意魔法を的へ撃つ。ソラルはその様子を後ろから眺めていた。
俺の隣にいるイリーナは、ソラルへのアピールか、俄然はりきって魔法を撃っていた。
「……ルシアン、あなた、どうしてやらないの?」
ソラルの動向を気にしていた何人かが俺に注目する。
「あれ? 名前知ってるのか」
「覚えないって言ってたのに」
俺はため息を小さくついた。
「この訓練、必要ですか?」
「要るわよ」
「意味ないですよ、これ」
「はぁぁぁ? 宮廷魔法士の養成学校でもしてたのよ。意味ないわけないじゃない」
「好きな魔法を自由に的へ放つ……。魔法を覚えたての子供じゃないんですから」
俺が意見すると、「子供じゃないんですからって、おまえ子供だろ」と誰かの声が聞こえた。
「魔力の制御と、放った魔法をコントロールする訓練よ」
「好きな魔法を使っているはずなのに、魔力制御もコントロールもできないんですか?」
つかつかつか、とソラルが速足でこちらにやってきて、ぼそっと小声でささやいた。
「変なこと言って突っかかってこないでよ」
「変なことでしたか?」
「それができないから、訓練するんでしょうが」
得意魔法ですら、ろくに制御ができない、と……?
目の前が真っ暗になった。
精霊だの何だのと、呪文を唱えたり、無駄な知識を覚えるせいか?
そんなことを、わざわざ王立の魔法学府で教えているのか……?
「ちゃんとした魔法を使って、私より上手なら意見していいわよ」
「ちゃんとした、というのは、精霊に呼びかけてどうのこうのと言う、あれですか?」
「もちろん」
まあいい。きちんとした精霊魔法を試してみるいい機会だ。
学院で噂のガキんちょVS元宮廷魔法士の魔法合戦は、みんな気になるらしく、誰もが手を止めて俺たちの動向を見守っていた。
「合図で同時にそれぞれの的へ魔法を撃つの。速く、より正確だったほうが勝ちよ」
「いいですよ」
ソラルが俺の隣にやってきた。
イリーナが手を打つ音を合図とした。
「それじゃあいきます。……よーい――」
ぱん、と乾いた音がする。
俺とソラルが同時に呪文を唱える。
「「風の精霊……この理、我が呼びかけに応え給え――「『アロー』」」
俺の魔法は、空気を切り裂き的へ吸い込まれるようにして直撃した。
「え、当たった?」
「でも的は――」
何人かが俺の的を確認する。
「うわ。ど真ん中にちっちゃく穴空いてる……」
「す、すげぇ……」
「魔法ってこんなに小さく制御できるんだ……」
ソラルの的はというと、何も変化がない。
「あれ、あれ? どうして?」
魔法が発動しなかったらしく、慌てている。
それはそうだろう。俺が妨害したのだから。
「妨害は禁止されていなかったので、その手の魔法を使いました」
「……そんなこと、できるの? 別種の魔法も使ったってこと?」
「はい」
「同時発動……。王国じゃ誰もできないのに」
昔はもう少しいたはずだが、それほど技術力が低下したという証だろう。