初日
翌朝。
朝食前に、魔法を付与して魔道具となったモップとハタキを使い、廊下と食堂の掃除をしていく。
バケツには光魔法の一種である『浄化』を付与したので、中の水は汚れる度に『浄化』が発動し、どれだけやっても汚れない水となった。
『空間』と『ウォーター』の魔法を汚れる度に使うのも面倒だからな。
今回、布巾が魔道具になったわけだが、『効果範囲拡大』の魔法付与は絶大な効力があった。
「はぁぁ……本当に早いんだねえ……」
主に食堂の仕事を担当している夫人も、目を丸くしながら旦那のトムソンと一緒に、俺の掃除ぶりを眺めていた。
「ルシアンのやつ、すげえだろ?」
「なんでアンタが得意そうなんだい」
「安いとはいえ、宿泊費をもらうのが悪い気がしてきたな。部屋も物置だしよぉ」
「そうだねぇ」
客室を使うか? と、トムソンに訊かれたが、固辞した。
俺が使っては客が使えず、店の売上に響くかもしれない。そう言うと、「色々と気を遣わせてすまねえな」と、トムソンは言った。
二人の会話を聞き流しながら、手を動かすうちに掃除はすぐに終わった。
朝食が少々早い宿泊客がいても、汚れた食堂を晒さないで済むはずだ。
「ルシアン、朝食を準備するから、それ食べな」
夫人に言われ、席で待つことしばらくし、パンとスープと牛乳とサラダが出てきた。
ん。聞いていたものと内容が違う?
「トムソンさんからは、食事は出せてパンひとつくらいと聞いたんですが、いいんですか?」
俺が持ってきたお金はそれほど多くない。
卒業まで間、毎日食事を出すとなるとパンひとつが妥当だ、とこの宿に来た初日に言われたのだ。
もっと食いたいなら、自分で稼げ、とも。
「いいんだよ。主人が出せって言ってるんだから。アタシもそれは同意さ」
ニコニコ、と目を細める夫人の厚意に甘えることにして、朝食をいただく。
栄養たくさんの朝食を出してくれる夫妻に感謝した。
この宿屋で仕事を頑張れば、いい食事が食べられるようになる、ということか。
わかりやすくていい。
学院から帰ってきたら、他に手伝えることがないか訊いてみるとしよう。
宿屋をあとにして、時間に間に合うように登校していると、昨日俺を子猫扱いしていた少女の一人に声をかけられた。
「ルシアンくん、おはよう」
「おはようございます」
ぺこりと一礼をする。足下を歩くロンも紹介しておく。
「ロンくん、おはよう」
「ロンっ」
「そうそう、昨日のゲルズ先生との戦い、こっそり見てたよ! やっぱりすごいんだねっ!」
「いえ、まだ序の口です」
へぇぇぇ、と感心するように少女は俺を見つめていた。
「子供なのに、大人みたいな謙遜をするんだね……」
本心だった。俺は「そんなことはないです」と首を振る。
「わたし、イリーナ。よろしくね」
「よろしくお願いします。ルシアンです」
「まだ子供なのに、礼儀正しいし謙虚……。何か困ったことがあったら、お姉さんに何でも訊いてね?」
ありがとうございます、と返して、通学路を進む。
魔法学院に通うということは、イリーナも貴族の血統を持つ少女なのだろう。所作にどことなく品がある。
「これ、ちゃんともらった?」
イリーナがポケットから出したのは、カード型の鍵だった。
これがあれば、学院に張られた魔法障壁の一部分を一時解除でき、中に入れるのだ。
入学の正式な手続きをした際、俺も渡されていた。
「はい。もらいました」
「昨日はどうやって入ってきたの? あ、遅刻した誰かが開けた隙に?」
ニマニマしながら、イリーナが尋ねる。
「カードキーを忘れちゃうと、よくそうやって中に入るんだよね~」
割とよくある話らしかった。
俺は、まあそんなところですと言って、濁しておいた。
魔法障壁の前でカードキーをかざすと、ふっと一人分だけ障壁がなくなり、イリーナが入るとすぐに閉じる。試してみると、同じように中に入れた。
「……」
魔法障壁とそれを解除するためのカードキー。
魔法障壁は言わずもがな。カードキーももちろん魔法技術が使われた加工品だ。
……これも、この時代特有の精霊魔法の産物なのだろうか。
「ふむ」
よく調べてなかったが、このカードキーの構造は面白いかもしれない。
前人生で俺は、精霊不要説、精霊不存在説を唱え立証したが、もしかすると、俺の知っている精霊ではないのかもしれない。
もし、俺が未確認の別の何かを『精霊』と呼んでいるとしたら――?
「どうしたの? あ、はじめて使ったからビックリしちゃったんでしょ?」
「いえ、そういうわけでは」
「いいのいいの。わたしだって、はじめてここに入ったときは、ビックリしたし魔法スゲーって感動したもん」
わかるー、わかるわー、とイリーナは楽しげだった。
俺の話を全然聞いてくれないな。
イリーナは俺が編入するクラスの生徒のようで、教室まで案内してくれるという。
「ロンくんは、隠しておいたほうがいいかも」
ペットは連れて来てはいけないそうだ。
「ロン、悪いけど、鞄の中に……」
「ロォン……」
残念そうなロンだったが、素直に鞄の中に入ってくれた。よしよし、と撫でておく。
校舎から出てきた三人組の少年が、俺に気づいた。
お互いに目を合わせ、嗜虐的な笑みをのぞかせると、こちらにやってくる。
細眉の少年と目が合う。
「おい、ガキんちょ! ここは託児所じゃねえんだよ。貧乏な村のガキに教える魔法はねえ。わかったらとっとと帰れよぉ~」
シッシ、と犬猫を追い払うように手を動かす細眉少年。
「ロクに魔法が使えねぇのに通うんじゃねえよ」
学院とはいえ、全員がお上品というわけではないようだ。
他の二人もニヤニヤと笑いながら、囃し立てるような声を上げる。
俺からすれば、おまえたちのほうがガキんちょなのだが。
「手続きが済んだ証として鍵をもらっていますので」
俺が続けようとすると、イリーナが少年たちと俺の間に立った。
「ルシアンくんは、学長から合格って言われてるんだから文句は学長に言いなさいよ」
細眉が舌打ちをした。
「イリーナ・ロンド。おめえは関係ねえだろ」
「あるわよ。これから同じ教室で同じ授業を受ける友達なんだから」
イリーナが俺を振り返り、口で「大丈夫だよ」と言った。
友達……。
前人生では、まるで縁がない言葉だった。
彼女がどうして俺をかばうのか、よくわからなかった。
彼らが突っかかってきているのは俺で、イリーナには関係ない。
なのに、どうして。
……俺にはまだ大きく見えるイリーナの背中。細い腕に細い脚。
その手が、少し震えていることに気づいた。
怖い、のか……?
それなら、なおのこと、俺に構わず先に行けばいいものを。
ゲルズを倒した俺をかばう必要なんてないのだ。それをこっそり見ていたのなら、それくらいわかるだろう。
友達というものは、自身には無関係でも守ろうとするものなのか?
「オイ、どけよ」
イリーナが少年たちに強引に押しのけられる。
「きゃっ」
その弾みでイリーナが尻もちをついた。
「ケツがでかいから、別に痛くねえだろ?」
細眉が言うと、他二人が頭の悪そうな笑い声を上げた。
「イリーナさんのお尻は小さいです。たぶん。見たことあるんですか」
「なんか言ったかぁ? あァん!?」
迷い込んだ子猫みたいに扱われるより、こうして対等に扱ってくれるほうがやりやすくていい。
だが、客観的に見れば、五歳児にすぎない俺に喧嘩を売るなんて、恥ずかしくないんだろうか。
しかも冗談ではなく本気で喧嘩を売っている。
なんと幼いことか。
「身体的なことを悪く言うのは、いただけません。本人の努力ではどうにもできないこともあるからです。それを言うなら、あなたたちも、顔の造形は不細工で見た者を不快にさせるはずです」
あなたも、あなたも、あなたもです、と俺は一人ずつ指さして言った。
「クソガキが……ッ!」
「ナメてんじゃねえぞ」
「しばらく通えなくしてやろうか!?」
青筋を立てて三人が凄む。
「ルシアンくん、わたしのことはいいから」
イリーナはそう言うが、俺は首を振った。
「友達というのは、利益の有無は関係なく守るもの――イリーナさんが教えてくれたことです」
「何ごちゃごちゃ抜かしてんだ! 魔法戦士志望のオレに、下民のクソガキが楯突くんじゃねえ!」
細眉が喚きだした。魔法戦士? 何だそれは。
まあいい。そんなに偉ぶるのであれば、見せてもらおう。
「その魔法戦士とやらは、少女や子供みたいな弱い立場の者にだけ強く出られる者のことらしい。ずいぶんとお強い」
「ルシアンくん、生徒の授業以外での魔法使用は厳禁だからね?」
そうは言うが、あちらさんはそのタブーを犯す気満々だ。
「痛い目を見ないとわからねえらしいな?」
「それは僕のセリフです。その無駄な常識を覆してやる――」
「土の精霊よ! この理、我が呼びかけに応え給え――」
「魔法――!? ちょ、ちょっとやめなさいよ!」
「『リビルド』」
イリーナの諫言も聞かず、細眉が魔法を使った。
ググ、グググ、と筋肉が増強されて、着ている服がはちきれんばかりにパンパンになる。
一瞬にして体が二回りほど大きくなった。
「……」
ふふふ。なんだこれ。思わず顔が笑いそうになった。
「どぉした、ガキんちょ〜。怖くて声も出ねえか?」
笑いを押し殺すので精一杯なだけだ。
「一発殴られれば、町の外まで吹っ飛ぶぜ〜?」
たったこの程度の身体強化に、魔力を無駄に消費して……。
俺の魔法理論を正しく学べば、今使った魔力で五倍の効果があるはずなのに。
やれやれ。一体ここで何を学んでいるのか……。
「世の中には無駄な努力というものが存在します。それを実際目の当たりにするとなると、切なくなりますね」
「ンだとぉぉぉぉぉおおお!」
思ったことがつい口から出てしまった。
「わ、わたし先生呼んでくる――」
イリーナが立ち上がって駆け出した。
魔法を使うのがご法度なら、使ったとわからないようにすればいい。
闇魔法『不和』を細眉の仲間二人に使った。
「またはじまったよ、しょうもない弱い者イジメが」
ぼそっと細眉の仲間が言う。
「お、オイ! 今なんつった、テメェ!」
「え、え、いや、今のは――」
「口答えすんじゃねえ!」
顔よりも大きくなった拳を仲間の顔面に放つ。
めぎょ、と変な音がして、仲間は校庭のほうへ吹っ飛んだ。
すると、もう一人が、
「アンタそれしか使えねえじゃんか。いつもいつも、ワンパターンなんだよなぁ」
「オィィィィィ! テメエもかぁぁぁぁぁああ!」
「いや、今のは、違――! いい意味で、いい意味でだから!」
ぶん、と太い腕を振り回すと、ゴギン、と鈍い音がして、仲間の一人が校舎のほうへ吹っ飛んだ。
ふーふー、と細眉が息を荒げている。
あっさりと俺の魔法が成功したところを見ると、魔法効果を抑止、妨害するための魔法『レジスト』は誰も使ってないらしい。
それじゃあ、裸で戦場にいるのと変わらないだろうに。
「ガキ! おまえの仕業か! 『レジスト』は使ってるはずなのにっ!? ナンデだ!」
使っていたのか。
悪い意味で驚かされるな。
「それじゃあ、『使ってない』んですね」
「使ってるわァァッ!」
「僕基準では使ってないのと同じです」
ウガラァァあああッ、と言葉にならない雄叫びを上げて細眉が拳を振るう。
あの程度の『レジスト』なら、この魔法はモロに食らってしまうだろうな。
無属性魔法『物理反射三倍』を発動させた。
俺の顔面に拳がぶつかろうかという瞬間、薄い虹色の膜が出現する。
「ぼ、防御魔法ぉ――ッ!?」
「違う」
否定の声と同時に、キィィィィィンと甲高い音が鳴る。
攻撃を受け止めると、その衝撃を三倍で返した。
「――んんんんんんんんんじゃこれぇぇぇぇぇえええあああああああああ!?」
細眉が吹っ飛び、魔法障壁に直撃して磔になった。
『レジスト』がまともなら、多少相殺されるはずだが、やはりこうなったか。
衝撃を三倍にして返したのに、飛距離は大して出なかった。それなら、町の外まで誰かを殴り飛ばすなんて、元々無理な威力だな。




