奇才の日常
紹介状とお金を学長に渡し、俺は晴れて魔法学院に正式に編入できるようになった。
初見でソラルが言ったように、ゲルズや他の人たちも、俺の魔法を魔法扱いしてくれない気配がある。
おまけに貴族至上主義という考えが浸透しているだろうから、先が思いやられるな。
『ルシアン、君が「魔法」と呼ぶそれを、我々が魔法として認識することはまだ難しい』
別れ際に、学長は言った。
入学も実力も認めるが、魔法能力を認めたわけではない、ということらしかった。
『よって、編入クラスは一年三組とする』
三学年それぞれ三組までクラス分けされており、優秀な順に一から三となる。
要は、不出来なクラスへ編入されたのだ、と嫌みたらしくゲルズが補足してくれた。
教師である彼の程度が知れているので、一組も三組も、俺からすれば同じようなものだろう。
何だかんだあったが明日から通えることになった、と結果を心配してくれていた宿屋を営む主人に伝えた。
名前はトムソン・ガリックという。
「どうにか魔法学院に通えるようになりました」
「そうか、よかった、よかった! マクレーン様も、気がかりだったらしいからな」
ここダンペレの町は、マクレーンの領地というわけではないので、入試の結果を彼の権力でどうこうできるものでもないから、ずいぶんと気を揉んでいたという。
聞くところによると、魔法の学徒であるマクレーンは、俺のことを尊敬すらしているとトムソンは言った。
彼はマクレーンとは旧知の仲らしく、マクレーンが口を利いてくれたおかげで、俺はここで寝泊りさせてもらえることになっていた。
「魔法を変える不世出の奇才――とかなんとか言ってたぞ? オレにゃ、ちょっと賢げな子供にしか見えないがな」
ハハハ、と軽快に笑いながら、俺の頭を撫でる。
奇才か。マクレーンもずいぶんと持ち上げてくれるものだ。
俺の部屋として使わせてもらっている物置小屋に荷物を置き、トムソンがいるカウンターに顔を出す。
「何かお手伝いできることはありますか?」
掃除洗濯、料理の下ごしらえ、それくらいならできるから、と申し出ると、最初は遠慮していたものの、手が足りない部分を手伝うことになった。
食事つきの上に格安で泊めてくれるのは、マクレーンの口利きだとしても申し訳なさがあるので、少しでも役に立ちたかった。
「そうだなぁ……ルシアン、掃除はできるか?」
「はい。できます」
三階建てのこの宿屋は、一階は受付兼食堂。ニ、三階が客室となっていて、俺の部屋は天井裏にある。
「三階の廊下と空室の掃除をしてもらえるか?」
「わかりました」
俺が二つ返事が不安なのか、「おじさんがまず手本を見せよう」とトムソンが腰を上げた。
掃除用具箱から、はたき、バケツとモップを持って、空室に入り、床掃除のやり方やはたきの使い方を丁寧に教えてくれた。
家では母が掃除はすべてしてくれていたので、自分でやるのは前人生ぶりだな。
空室は、それほど汚れているようにも見えず、掃除が必要なのだろうかと首をかしげた。
「綺麗だと思うのですが」
「そう思うだろう? だが、ぱっと見綺麗だとしても掃除するんだ。これもプロとしての仕事だからな。手は抜かない」
プロとして……。
なるほど。俺が魔法に関して意地や矜持があるように、トムソンも宿を営むことに関して、同じことを感じているのか。
そんなつもりはなかったが、それなら、俺も手は抜かない。全力でやらせてもらおう。
「道具が大きいから、ルシアンには使いづらいかもしれないが、そこはまあ上手くやってくれ」
返事をして、トムソンから掃除のやり方を一通り教わる。
「夕飯の時間までにできたら上出来だ」
「頑張ります」
俺の身長よりも大きなモップを掴んで、床にモップをかけバケツにつける。ジャバジャバとやると、中の水がすぐに濁った。
ふむ。綺麗に見えていても、汚れていた、ということか。
じゃあな、と言って去ったトムソンだったが、心配なのか廊下の角からこっそりこっちを窺っているのがわかる。
バケツのところまでいちいち戻るのが面倒だな。
『重力』魔法をバケツに使う。中身がこぼれないようにふわりと浮かせる。
この魔法もずいぶんと上手く使えるようになった。
これはこれでいい修行になるな。
「……バケツが床から浮いてる……?」
ごしごしと目をこすって、トムソンが顔を廊下につけて、できた隙間を確認している。
「こ、これが魔法か……!?」
モップをかけて、浮いているバケツを引き寄せる。すい~と小気味よく俺の足下にバケツがやってきた。
「か、勝手に動いた……!?」
こっそり見守っていることも忘れたトムソンは、あんぐりと口を開けている。
バケツは重量にすると一〇キロほどあるため、『重力』なしで持ち運ぶとなると、かなり重いし体力を使う。
モップをかけてはバケツを引き寄せる。それが、足にまとわりつく子犬のようにも見えた。
何度も繰り返すと、「あのバケツ生きてる……?」とぼそっとした声が聞こえた。
気づくと、バケツの中は真っ黒に汚れた水でいっぱいになっていた。
「汚れたら水を換えるように言ったぞ。ルシアン、今度は何をする……」
トムソンがショーを待ちわびる子供のようだった。
ここは三階。飛び降りて水を流し、井戸から水を汲んでまた戻る――なんてことは、やはり面倒だ。
あまり使ってこなかった神様からもらった魔法――『空間』を練習するいい機会だろう。
『空間』魔法は、空間と空間を繋げて入口と出口の扉を作れるものだ。出口を作らなければ、異次元に物を置いておくこともできる。
『空間』魔法を発動させる。
空間の出入口を作り、入口にむけてバケツをひっくり返す。
「お、おい! そんなことをしたら水が――」
慌てるトムソンをよそに、外から、じゃー、と汚水の排水音がする。
もちろん、俺が掃除した場所には一滴たりとも落ちてない。
「この音は……」
トムソンが、窓から外を見る。指定した出口は、宿屋裏手にある排水用の溝だった。
「あの汚水が、あそこの溝を流れてるってのか!?」
さて、バケツが空になったので、新しい水を汲もう。
「さすがに井戸……使う……! 魔法使いだろうが何だろうが、水は、井戸。汲みにいかざるを得ない……! 川が近くにないのなら、井戸の水。古今東西、そう決まっている」と、小声でつぶやきながら、俺の動向を見守っている。
ずっと見ているのはバレているので、いい加減出てきてほしい。暇なのか?
残念だが、トムソン。
魔法使いは、井戸など使わなくてもいい。
水流魔法『ウォーター』を発動。
空になったバケツが、廊下から飛び出した水を受け、すぐに満ちた。
「魔法……魔法って、何だ?」
混乱の極致なのか、定義を確認しはじめた。
『付与定着』魔法を使い『強度上昇』を掃除道具それぞれに付与した。
それから、風塵魔法『効果範囲拡大』も付与しておく。
これなら、俺がいないときでも主人が楽に掃除ができる。
「……というふうに魔法を使いましたけど、大丈夫ですか?」
隠れているトムソンにむかって言うと、何も言わず、爽やかな笑みでグッと親指を立てた。
問題ないということでいいらしい。
掃除は、魔法の修行にもなっていい。これからも積極的にやらせてもらおう。
夢中になっていると掃除はすぐに終わった。
「あっという間に掃除が終わっちまった……。これが、不世出の奇才……」
子供につけるにしては物々しい称号だと思うが、ありがたく受け取ることにしよう。