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第8話 強襲、個室ビデオ店


 チャットアプリの向こう側にいる相手に、みのりは緊張に息をついだ。日本の一国会議員に過ぎない自分に対し、相手は世界的に高名な人物だ。


 ユニット解散のあと、人気を見込まれ議員選に出馬したときはもちろん。アイドル声優時代に大勢のファンを前に演技や歌を披露した、若さと万能感に包まれていたあの心地良い緊張ともまた違う。


 有力な支援者の機嫌は、損ねたくなかった。


「僕の傭兵たちを独断で動かしたそうだね」


 心地良いアルトで声の主は口を開いた。イスラム圏の民族衣装であるカンドゥーラを身に着け、整えられた口髭を生やした男性が液晶画面には映っている。


「事後承諾になりすみません。すべて私の責任です」


「なに。かまわないさ。ひとつの文化が消滅する危機の前には、些末なことだよ」


 アラブ石油王の、上位王位継承権を持つアル・アムジャド王子は画面のなかで寛大さを見せつけ頷いた。


 彼は現実世界はもちろん、ネット界隈でも極めて名が通っている。とりわけ日本人には。一説には王子のSNSアカウントは、日本人フォロワーだけで20万人近いという。

 潤沢なオイルマネーを背景に、スマホゲーで課金の限りを尽くし殿堂入りしたり、イラストが気に入ったという理由だけで過疎に苦しむMMOを買収したりすることで有名な人物だ。


 最近では●魔忍ソシャゲーのサービス終了を嘆き、公式の路線変更である純愛路線に苦言を呈している。公式が初心を忘れてどうするんだ。どんな判断だ。古参ファンをドブに捨てるのか。なんのためにレーベルをわけてきたんだ。

 なお、好きなキャラは魎魔忍の黄泉秋津であることは周知の事実だった。


 王子は重度のキモオタであった。


 なにしろコーランよりもアニソンを唱えた回数が多いと言われるほどだ。


 今は、ECサイト全盛の現代ですらダウンロード販売されていない、過去にごく少数のパッケージソフトだけが流通した伝説のエロゲーを求めている。

 傭兵たちとは、エロゲーを捜索するために王子が雇った民間軍事会社の私兵のことだ。


 あらゆるエロい二次元イラストの排斥を目指すクランズマンと、王子の目的は相反するものである。

 だから、みのりと王子は協力関係にある。少なくとも、今のうちは。


「ところで」


 謝意を示すみのりに、王子は呼びかける。


「君が10年前に出演していた女子高生サタニズムブラックメタル音楽アニメ『ごうおん!』を全話見たのだが。こんど僕の前で、テーマソングの放課後キルタイム・コミュニケーションを歌ってくれないかね?」


「神に会ったら神を殺せという歌詞でよろしければ」


 アイドル声優ユニット、ル・カレ時代ばりの演技をみせ、みのりは微笑を返した。


◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 深夜からさらに時間は進む。もうしばらく立てば、夜明けだ。


 繁華街からは少し離れた場所にある個室ビデオ店。けばけばしい黄色と赤の看板をしている。どうやらホテルやネットカフェとの競合を避けつつ、宿泊場所難民の需要を当て込んでこんなところに立ててあるらしい。


 念のためにばらばらに入店し、ヒノトの部屋で落ち合うことにした。


 夜更けでやる気のない店番だったが、リンの姿に一瞬顔をしかめた。


 個室ビデオ店は普通、男性専用だ。なにせ本来ならば紳士たちが圧倒的な品ぞろえから好みのエロDVDを借り、個室でオナニーを楽しむ場所である。土俵以上に女人禁制の神聖な場所なのだ。


 リンが身分証を遠目に提示して男性だということをアピールすると、店番は最後には見て見ぬふりを決めた。黙って料金を受け取り、奥へと通す。


 夜伽は枕に化けさせた。お布団の付喪神である彼女は、寝具の形にもなれるらしい。抱えたヒノトが「これはええねん」「枕が変わると眠れなくて!」と言い訳すると、店番は持ち込みを了承し受付に招いた。


「お客さん、DVDのおともにグッズはどうします?」


 仏頂面で店番が尋ねる。


 受付のショーケースのなかには、TEN●Aを始めとしたオナホールが並んでいた。


 個室ビデオ店に来るのは初めてのヒノトは、一瞬悩んだ。店頭でオナグッズを買えるのは、ちょっとしたカルチャーショックだ。部屋で使えというのだろう。さすがは個室ビデオ店というべきか。


 もっとも寝床はあるといってもベッドはないだろうから、ここで床オナはできないだろうなあ、と考えつつ部屋を選ぶ。予想外なことに、可能な選択肢があった。


 床一面がフルシートの部屋が目についた。ゴロンと寝れるブース。そういうのもあるのか。


 まあ、さすがに誰とも知れない相手と床オナの場所は共有できない。もういっそオナニーはいいやと結論付け、TENG●の購入は断ることにした。後から使いたくなった場合は、通路にオナホール専用の自販機もあると説明された。


 個室ビデオ店のエロの充実具合に感嘆する。


 オナホールは今度、暇な日に来たときにでも使ってみよう。

 ブースに持ち込む貸し出し用セットを受け取ると、ヒノトも店の奥に進んだ。


◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 リクライニング・ソファーと大画面テレビを完備した一番大きな部屋でも、三人と一匹が入るとさすがに手狭になった。

 ビデオ店という名目上、受付で貸し出されたDVDを机に置く。今時ブルーレイですらない。適当に選んだ作品なので、見る気もおきなかったが。


 最低限の清掃しかされてない部屋。てきとうに吹き付けられた消毒の甘い強い匂いが鼻を衝く。

 それでも一息つけたのか、リンがあらためて口を開く。


「しかし、本当に助かったよ。體は危険な相手だった。さすがにあのままやられるかと思ってた」


「俺も感謝するって。まさか右腕がとれるなんてさ」


「ううん、お礼を言うのはこっち。ありがとう」


 柔らかい表情を浮かべるリン。微笑が眩しくて、ヒノトはいやあそれほどでも、と頭を掻く。

 負傷と能力行使の疲労だろうか。椅子を借りようと一歩を踏み出そうとしたリンが、よろめいた。


 咄嗟に右腕で受け止めるヒノト。


 リンの体重は驚くほど軽かった。でも、まだ縫合箇所が完全に繋がっていないのか。ぶつかったときに肩が小さな異音をたてる。関節が軋んだような音だ。


 支えられたリンが、異音に気付いたようにはっと顔を上げる。


「ご、ごめん! 縫ったばかりの右腕が」


「大丈夫大丈夫、リンがしっかり縫合してくれたんだから」


「……命を助けてくれたんだ。私にできることなら、なんでもするよ」


 くすぐったそうな表情でリンが口にする。

 細めた眼差しと、うっすら赤い頬にヒノトはどきりとする。唇はふっくらしていて魅力的だ。傷だらけで出血もしてたのに、リンは信じられないほど良い香りがする。まるで花の匂いだ。彼女の華奢な肩を支える右手がそわそわするのをとめられない。


 ヒノトとリンのやり取りをじーーーっと見ている夜伽。


 ヒノトは鼻から息をだす。體と戦う前の夜伽の様子を思い出す。他の布団に嫉妬してわめく姿が脳裏に浮かぶ。また浮気だなんだと騒ぎだしそうな気配がして、夜伽が口を開く。


「ふたりはそのままキスをせんのか」


 ほらまた独りで大騒ぎぃ、っていきなりなにを言い出すんだこの妖怪娘は!


「はあ? お前はなにを言ってるんだ!」


 驚いてヒノトは声を荒げる。

 両の拳を顎先に当ててむふふと夜伽は笑う。


「戦いに傷つき辛くも勝利した男女が、興奮をそのままに揺れる心境のなか恋を燃え上がらせる。ふたりは苦難をともにし、分かち合い、互いを寄る辺として危機を脱したのだから当然な成り行きである。ありそうなシチュエーションだと思うのじゃが」


「セーフハウスで嫉妬心でじたばたしてたお前はどこいったんだ」


 主人にびしっと指と痴態を突き付けられても、夜伽はしれっとした表情のままだ。


「妾はお布団の付喪神じゃからのう。主様が他のお布団で寝るのは許さぬ。だが愛し合うふたりが、お布団たる妾のなかで褥をともにするのならばお布団冥利に尽きるのじゃ。歓迎するのじゃあ」


 しまったこいつ実はカップリング厨だったか。


「衝動には素直になるべきじゃぞ、主様。むほほほ。敷布団でも掛布団でも毛布でもタオルケットでも、妾がふさわしい場を用意してしんぜようぞ」


 左手の指で作った輪っかに右手の指をずぼずぼする夜伽。お前どこでそんなジェスチャー覚えた、この耳年魔め。


 唇を手のひらに隠し、リンは赤面していた。

 思わずぱっと肩を離し、両の掌を合わせて謝る。


「ご、ごめんねリン! このアホ妖怪、デリカシーがなくてさ!」


 くすりとほほ笑むと、リンは両手を後ろに組んだ。嫣然とした視線がヒノトの心を射貫く。


「私は、別に。そうなってもかまわないけど」


「え、あ、そうなの?」


 声が裏返る。


 落ち着け俺! 人生で出会った一番の美人にそう言われるのは正直嬉しいけど、リンは男だ。超えてはならぬ一線というものがあるはずだ。たとえこの機会を逃せば、これまで童貞だった人生がずっと続くように思えても!

 俺は床オナに性的楽しみを見出した男のはずだ、冷静になれ自分! 精通前からのプロフェッショナルは、簡単には屈しないのだ。


「やっぱり男相手はいやかな、きみは?」


 いたずらっぽい表情で、リンは唇を開く。朱唇の奥で、なまめかしい舌が蠢くのが見えた。


「そ、そそんなことは、ないけどさ」


 ヒノトはどぎまぎしながらリンを見た。


 秋物のコートは、はだけて脱ぎ掛けだ。なかの服は服として機能していないほどの惨状だ。だからよく見える。白い肩。覗き見える乳首。あばら骨がうっすら浮いた皮膚。剥き出しになった太腿。抱けば折れてしまいそうな華奢な体躯。


 リンが手を伸ばし、ヒノトが受付で渡されたセットをあさる。ブランケットやウェットティッシュなどが入ったケースだ。

 目的のものを見つけ出して、リンが目の前に掲げた。


「ゴム、あるよ。ホントはオナホールに使うサービス品だけど」


 衛生的に個別包装された、生涯において使ったことのない伝説のアイテムをヒノトは凝視する。まさか実在するなんて。

 すごい! コン●ームは本当にあったんだ! いこう、父さんの通った道だ! 父さんはノンケだけど!


「知ってる? 個室ビデオ店ってさ。えっちなビデオを見るから、防音は完璧なんだよね。声、外には漏れないからね?」


 無理っす神様。男相手ですが、我慢できません! こんな可愛い子が女の子のはずがないんです!

 やばいと思ったが、性欲を抑えきれなかった。


「お、俺! 初めてだし、正直皮が余ってるけど、こんなんでもいいの?」


「きみさ、自覚がないのかもしれないけど。セーフハウスでは、けっこうカッコよかったよ。それに、なんでもするよ、そう言ったよね、私」

 

 衝動の赴くままにヒノトがいこうとすると、リンに唇を押し留められる。


「じらして悪いけど。シャワーも借りれるようにしておいたから、先に浴びていい? 汗と血がべっとりだし。マンサクの治癒力を借りて、怪我はもうほとんど塞がったから、しみないと思う。きみは次に入ってね」


 ぶんぶん頷くと、リンが肩を翻す。

 扉を開け、リンが一瞥。隠せぬ屈託があるが、単純に蠱惑的としか思えない潤んだ瞳でヒノトを見た。


 その瞬間、銀の煌めきが一閃する。斬撃によりリンの首が跳ね飛ばされた。


 明るい髪色のツインテールがひるがえる。目を見開いたままの頭部が床に転がり落ちたのと、力を失った胴体がくずおれたのは同時だった。

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