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第6話 追跡者(下)

 神が豪放磊落に笑うと、世界の色が変化した。

 すべてが泡沫のようにはじけ、色を無くし、形を失っていく。()()()()()()()()()()()()


「旅の方、我が主の悩みを聞き届け感謝いたします。ですが御身を顧みることをお忘れなく。それは、人の身には過ぎたる力でございます」


 親切な侍従頭の声が聞こえた気がした。

 だが夢の世界の出来事かのごとく、ヒノトは彼女の言葉を覚えていない。


 神は人を救うが、その結末までは知ったことではないのだ。


◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 ヒノトにとっては数十分に等しい感覚にも思えた。

 だが、夜伽にとってはほんの一瞬の出来事だったのだろう。


 目を覚ましてみれば、夜伽はかわいらしい顔にまだ涙を浮かべていた。辺りには五感を幻惑する羽毛が舞っている。怪物たちを近づけぬよう、必死の抵抗をしていたようだ。


「泣くなよ、夜伽」


 右腕を伸ばす。先ほど意識を失ったはずのヒノトに頬を触れられて、夜伽は信じられないものを見るように目を見開いた。両手でヒノトの手を握る。大きな眼差しから涙が一滴、零れ落ちた。


「主様」


 涙がヒノトの右手に雫となって落ちる。


 光がまたたいた。途端、雫の痕跡を中心に銀の嵐が吹き荒れる。まるで刃のような閃光は、一瞬にして夜伽に迫っていた怪物たちを断ち切り蒸発させる。


 まばゆい光が収まると、ヒノトの右腕は鈍色の装甲に覆われていた。


 重さはない。違和感もない。ただ力強さだけがあった。


 ヒノトは一挙動で立ち上がった。


 胸の傷も、いつの間にか癒えている。

 なにが起こったかを、夢の世界のヒノトだけが知っている。あの威風堂々とした老君、ノーデンスの力の一端が現実に顕現しているのだ。

 IKE●のおフートンのお礼と言うやつである。


「下がって、夜伽」


 ヒノトは左手で夜伽を庇うと、右肩をいからせ装甲腕を振り上げるように構えた。

 そのまま疾駆する。だん! だん! だん! と床を踏み抜き、猛然と奔る。


「どういうことだ。黒騎士の剣は、たしかに肺腑を貫いたはず」


 體が瞳を細め、訝げに呟いた。


 立ちはだかった黒騎士を死霊をほとばしる銀の輝きだけで圧倒する。剣を振るい槍を突き刺す怪物たちは、ヒノトの装甲腕の速力に触れるだけで抵抗叶わず雲散霧消していく。


「なん、だ……。あの強い光は」


 半裸に辱められ、四肢を押さえつけられ、生きたままはらわたを引きずりだされようとしていたリンは、苦痛のなか視線を巡らせ凝視する。


 リンに蹂躙の限りを尽くしていた肉と機械の怪物たちは、払ったヒノトの装甲腕により次々と頭部を粉砕された。そのまま存在そのものが消失。肩から引き剥がされてゴミ箱に頭を突っ込まれていたマンサクも、顔を出して驚きの声をあげる。


 ヒノトは真っ向から體に向かって突撃する。


 嘲笑うばかりだった體の顔に、初めて焦りの色が浮いた。


「人骨の堅砦よ、わたしを守れ!」


 沼沢地のカードから、骨灰が溢れに溢れくる。それは術者の呪言に縛られ人骨の似姿を形作ると、堅固な砦となって體の周囲を防御する。


 突き崩すのは不可能な守り。

 そう、たとえ妖怪の力であっても、ただの物理攻撃ならば。


「吹き飛べえええええーーーーー!!!」


 治癒を完了した肺から空気を声をいや魂の熱さそのものを絞り出し、あらん限りの怒声をあげる。装甲腕が高熱を帯び煮えたぎる。夢のなかで欲した力が右手に凝集され暴れ狂う。


 握った拳を人骨の堅砦に叩き込む。爆撃にも似た衝撃と圧壊音。リンの斬撃すら容易に受け止めた壁が、次々にぶち抜かれていく。永遠無限の再生速度を遥かに上回る破壊が行使され――違う。


 ヒノトは確信する。

 この打撃は、あらゆる要素を、再生という能力の根源すら破壊している。装甲腕の拳は、夢の目覚めすら叩き潰し夢へと回帰させ現実性を消失させるのだ。


「馬鹿な。銀の右腕(アガートラム)だと。きさまは、()()()()()()()()()()()()()


 體が歯を軋ませ唸った。


 灰の霧を吹き散らかし、人骨の堅砦が打ち砕かれる。絶対防御と信じた壁を抜かれ、體はすべてを投げ打った。

 力の根源たる髑髏の騎士すら盾にする。鎧袖一触。漆黒の鎧が装甲腕に貫かれ、高熱により瞬時に白濁。黒い蒸気となって髑髏の騎士が弾け飛んだ。


 進撃はそこまでだった。


 ヒノトは、装甲腕が熱を失うのを感じる。髑髏の騎士もいずれかの神性の存在だったのだろうか。熱と闇、夢と冷気、それぞれの力が拮抗し、同時に両者の異能が消え去った感覚がするのだ。


「まだだぁ!」


 たとえ異能の力が無くなろうとも。

 装甲腕そのもののパワーと、振るった運動エネルギーはまだ存在している!


 肉と骨が丸ごと潰れる音を立てて、装甲腕の拳が體の左側胴に減り込んだ。


「うぐぅ!」

 

 體の呻きとともに、纏ったローブが千切れ飛ぶ。胴体をぎちぎちに締め付けていたコルセットが引き裂かれる。勢いが止まらぬ體の躯体が舞い上がり、そのままベランダの柵へと叩きつけられた。轟音とともに金属製の柵がへし折れ、體は血反吐をぶちまけた。


「嘘だろ!?」


 動揺したのはヒノトだった。装甲腕が目覚め現実となっていく。ぽろぽろと落屑する鈍色の破片に気付かず、拳を握ったまま體を見る。


 からんと音を立てて酷薄な笑みの破面が落ちた。右手で唇の血を拭う。體は露わになったうすく白い乳房を一瞥すると、破れたローブで無造作に隠した。


「女の子だったのか……」


 リンとは逆。體は、男装した少女だったのだ。そして病的なまでにやつれた体つきをしている。

 瞳の奥底に憎悪の炎を宿し、體はヒノトを睨む。


「認めない」


 地の底から響くような暗い声音で、體は続ける。


「わたしは、お兄ちゃんを認めなかったこの世界も。お前たちも認めない」


 ヒノトが少女の言葉の意味を理解する前に、事態は進展していった。


 體は再び血の塊を吐き出した。胎児のようなそれのなかから、一枚のカードを取り出す。

 最後の札は、夜の闇を思わせる黒に塗りつぶされている。


「この借りは、必ず返す。またいずれ」


 闇が噴出し、辺りを包み込む。

 待て、というヒノトの声は届かなかった。


 闇が晴れると、體はもうそこにいなかった。


「逃げられたか……」


 ヒノトは呟いた。

 背後でリンが立ち上がる。振り向くと、彼女は――リンは控えめに見ても、やっぱり彼女だ――よろめきつつ壁にもたれかかった。満身創痍だが、命に別状はないようだ。


 でも許せん。あのキレイな白い肌に傷をつけるとは。ヒノトは別に男の娘に性的な興味があるわけではないが、憤慨する。これは人間として正しい在り様から生じる類の感情なのだ。

 はだけた衣服からうっすら覗く乳首がえっちな気がするが、あえて見ない。


「大丈夫か、リン。怪我が酷いように見える」


「問題ない。マンサクの力を借りれば、傷はすぐ治る。跡も残らないよ」


「そっか」


 安堵する。助けるのが遅れて、リンに一生残る傷がついたらさすがに申し訳ない。

 表情に疑問をたたえ、リンが問うた。


「それにしても。君のその力はなんだ。そんな力を隠していたとは思わなかった。鈍色の装甲に腕が覆われていたように見えたけど」


「ああこれ。よく覚えてないんだけど、ついさっきお礼にもらった力で」


 装甲が無くなり元に戻った腕を掲げて見せようとすると肩から先が全部ぼとっと落ちた。


「はい?」


 自分の身になにが起こったか理解できない。


 どぴゅーと間抜けな水音をたてながら、肩の切断面から血が噴き出している。

 千切れて落ちた右腕は、足元にあった。左手で持ち上げようと踏み出すと、動揺のあまり間違って蹴りつけてしまう。右腕はごろごろ転がっていった。


 あ、なんだか眩暈がするぞ。自分の血とか肉片とかなんて見ていて気持ちの良いものじゃないし、なんというか出血多量で気絶しそうだ。


 はあ、とリンがため息をついた。


「さもありなん、かな。あれだけの力、人間の体で耐えられるわけがないんだ。装甲と生身の接合箇所だった部分に負荷がかかり過ぎて、肩関節が崩壊したんだと思う」


「冷静に分析してないで助けてください」


 両膝をがっくりとついてヒノトは懇願する。左手で口を押えて吐き気を堪える。痛覚は麻痺しているのか痛くはないが、出血のせいか寒気までしてきた。


「マンサク」


「了解だポコ」


 首吊り狸を肩に乗せると、リンは十指に繊維を纏った。


「マンサクの糸は、細めればナノレベルまでの縫合が可能だから。千切れた右腕を外科的に、神経単位で一本一本繋ぐ。じっとしてて」


 リンは近付き、落下したヒノトの右手を手に取る。傷口で糸を操作する。目にもとまらぬ速度で術式開始。


 ありがてぇありがてぇ、素直に感謝だ。すなしゃというやつだすなしゃ。

 縫われていくたび、ヒノトは失われた右腕の感覚が蘇ってくるのを感じる。神経が、血管が、筋繊維が、それぞれ正しい組み合わせに結ばれていくのが心地良い。


「主様は、大丈夫かの?」


 夜伽が心配げに覗き込む。

 極度に集中しているのだろう。額に汗を浮かべて押し黙っているリンに代わり、ヒノトは左手親指を立てて夜伽に応えた。


 目を潤ませて、夜伽がこくりと頷いた。

 もう夜伽が思い悩む必要はないのだ。


 10分ほどかかり、ヒノトの右腕は完全に繋がった。額の汗を拭うリンの前で、肩をぐるぐると回してみせる。現金なもので、さっきまでぷるぷる震えていたのが嘘みたいに思えて、どこまで動かせるか試したくなる。ヒノトは比較的単純な男なのだ。

 筋肉痛のような違和感はあるが、自由自在に動かせる。


「まだ無茶はしないで。完治までしばらくかかる。完全に繋がったわけじゃないから」


 リンの念押しに、ヒノトは頷いた。思えばリンには助けられてばかりな気がする。


「すげー、これがリンとマンサクの能力なんだ。糸ってのは便利だな。この感覚、自然すぎて一度右腕が千切れたとは思えないぜ」


「オイラのチン毛の縫合力はすごいだろポコ」


 えへんと胸を張るマンサクのセリフに、ヒノトは片眉を跳ね上げた。気まずそうにリンは顔をそむける。


「……チン毛?」


「チン毛だポコ」


「……チン毛を縫合に使った?」


「お前の傷跡にはオイラのチン毛が癒着してるポコ。チン毛のちぢれ具合が縫合に最適なんだポコ。チン毛に感謝しろポコ。今日からお前はチン毛マンだ、この陰毛野郎」


 せっかく感動してたのに、話にオチをつけるな。

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