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第5話 追跡者(中)

 知らぬ声が夜に響いた。


 ヒノトたちは一斉に視線を集中させる。

 割られた窓の、外側。


 ベランダに、少年がひとり。


 月すら隠れてしまった夜の闇を背負い、柵に座っている。

 黒い髪に黒い双眸、黒いフードを被り黒いローブに身を包んだ、闇そのものと言える外見。何重にも張り付いた隈と、奈落が渦巻いている視線すらも、漆黒だ。


 ただ唇の右半分から右耳の根本までを覆う、酷薄な笑みをデザインした真紅の破面だけが彩を添えている。


 というかどこで売ってるんだそのド中二病のマスクは。


 ヒノトの感想なぞ知らず、少年は優雅に両脚を組み替えながら続ける。


「わたしは躯籠(むくろごめ) (からだ)。どうせお前たちはここで死ぬのだけれど、わたしの名乗りをはなむけだと思ってくれると嬉しいぞ」


 體と名乗った少年が、虚空に左手で印を結ぶ。


 いつの間に貼られていたのか。今しがたの戦闘中だろうか。

 沼沢地が描かれた一枚のカードが、黒い刃の投げナイフでフローリングに縫い留められていた。


 ヒノトの足元にそれはあった。


「黒騎士」


 體の呼び声に呼応し、沼沢地があぶくをたてる。ただの絵であるはずのそれから、しなびた右手が伸びあがった。


「え?」


 衝撃が、ヒノトの全身を駆け巡った。


 声にならなかった。

 熱い。右の胸が熱い。肺が潰れ、気道がこごり、息すらできない。


「主様ぁ!」


 夜伽の悲鳴が聞こえ、ヒノトは自分になにが起きたかをようやく知った。


 フローリングに広がった黒い沼。腐敗した水から汚臭がする。底すら見えぬみなもから、湿った鎧をまとった甲冑騎士が這い出て来ていた。

 甲冑騎士が右手に握った、錆びの浮いた大剣。その切っ先がヒノトの胸を貫いたのだ。


 しなびた体から生み出された膂力とは思えぬ勢いで剣が振るわれる。ずるりと刃が抜ける。おもちゃみたいにヒノトは吹き飛ばされた。溢れ出た血が周囲を赤く染めると、黒騎士はアーメット・ヘルムの奥でからからと笑った。


 木偶のように倒れ込むヒノトに、夜伽が駆け寄った。


 柔らかな体がすがりつく。自分の体から流れ出ているとは信じられないほどのヒノトの出血が、袴を汚していった。


「溢れておる。血が、主様から溢れておる。シーツじゃ。シーツを割いて、止血帯とせねば。待っているのじゃ、主様」


 ヒノトは目を凝らす。視界が陰り、瞼を細めねばなにも見えなかった。


 狭い視界のなか。表情をころころと変える付喪神の少女の相貌は、涙に暮れていた。彼女は傷口に布を当て、必死に出血を食い止めようとする。

 ぎこちないが、健気な応急処置だった。


「血が、血が、血が止まらぬ。このままでは、主様が死んでしまう! ようやく口を利けるようになり、妾の思いを伝えられるようになったというのに!」


 いや、そんなに泣かれても気恥ずかしいというか。むしろ対応に困るんだが。

 心のうちは声にならなかった。血とともに魂が流れ出て、意識が遠のいていく。


「なぜじゃ! 妾が足りぬからか? 主を守る妖の力が、まだまだ不足しておったからか!」


 ヒノトの胸に夜伽が伏せって泣いた。

 なんだか温かい。夜伽の体温だろうか。付喪神にも体温はあるのだろうか。不思議だ。まるでお布団に包まれているような安息を感じる。このまま夢の世界に行けるような感覚すらあった。


 泣くなよ、夜伽。

 足りなかったのは、夜伽の力じゃない。足りないのは、むしろ俺で――。


「なんの術を使った!」


 リンが右手を横薙ぎに払う。途端に黒騎士は鎧ごと切り裂かれ、黒い霧と化し消失。沼もカードも消えていた。

 容赦ない鋭さが、空間を裂いて走破する。たとえ戦車の装甲ですらリンが行使する、破壊の嵐に抗うことはできなかっただろう。


 そのまま體に到達するかと思われ、事実リンもそのつもりであろうと振るった一撃。


 割れた窓ガラスのフレームに貼られていた沼沢地のカードから、人骨があふれ出す。堅砦が堅砦たる理由である防壁のように構築された人骨は、首吊り狸の繊維を受け止める。受け止めた端から切り崩される。まるで砂糖菓子のようにもろく繊細で役立たずだった。


 だが。


「如何に分子間結合に干渉し物体を切断する剛糸と言えども。永遠無限に再生し続ける骨の壁を断ち切ることはできまい」


 破面そっくりな酷薄な笑いを、體は浮かべた。何重にも淀んだ隈が歪み、體が抱えた眦の狂気を強調する。

 人骨の堅砦に半ばほども食い込まず、リンの攻撃は止まった。


「オイラの繊維でも切り込めない、ポコ!?」


「そんな、私の攻撃が通じない!」


 マンサクとリンが動揺する。

 しかしリンは諦めていなかった。


「なら、これで!」


 両手で糸を編む。変幻自在の軌道を描いた糸が、體目掛けて四方八方から殺到する。およそ回避不能な360度全周からの攻撃だ。


 質量を増した人骨の堅砦が、體の周囲全域に展開される。立て続けに粉塵が舞い上がる。骨どもはマンサクによる攻撃を受け、我が身を灰へと還元されながらも糸の切れ味を無効化する。


「足掻かれるのは好きだ。滑稽だから」


 くつくつ嗤い、體が柵からふわりと降り立つ。


 右手のカードから、漆黒の甲冑でよろった髑髏の騎士が現出。闇を直接切り取ったかのように黒々とした髑髏の騎士が左手を翳すと、周囲の空気が怖気るように震撼した。


 ローブから青白い左腕を露出させ、體は右手の爪を立てる。躊躇いなく自分の左腕を肉ごと引き裂き始める。

 掻きまわされた血と肉は、黒い瘴気と化して髑髏の騎士に吸い込まれていった。髑髏の虚ろな眼窩が不気味に輝き、大気が一段と密度を増ししんと静まり冷えていく。


 體が両手で沼沢地のカードをばら撒いた。描かれた絵が、うぞうぞと蠢き始める。


「わたしは『神速の黒(ネクロウィニー)』、躯籠體。わたしはわたしすら贄とする。わたしの暗闇の儀典(ダークリチュール)のなかで、饗宴に狂うがいいぞ守る会」


 心底楽し気に嗤う體。黒騎士が、狂乱する死霊が、肉と機械の合成怪物が沼沢地から次々に現れる。

 総数は、貞潔守護兵器を遥かに超えている。


 圧倒的な数。そして恐らく、増援に終わりはない。

 絶望に歯噛みしながら、リンは口を開いた。


「これは、符術(フゥージォウ)? 違う。それとも召喚術(サモニング)? いいえ、まだ足りない。もしかしたら、死霊術(ネクロマンシー)? ううん、どれでもない。なら、符術と召喚術の組み合わせ。ようやく、わかった。なぜ、クランズマンに協力するの?」


 下僕たちの向こう側に君臨する體を、リンは睨みつける。


紙牌遊戯者(カードゲーマー)!」


 野卑な嗤いをあげる怪物の群れが、リン目掛けて殺到。

 人外の魔物たちが、乱痴気騒ぎを開始する。


 リンの叫びと、夜伽の泣き声のなか、ヒノトの意識は沈んでいった。

 深い深い、この世とは違うどこかにある場所へと。


 果たしていざなったのは、誰であったのか――そして、夢の世界で神と出会った。

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