第4話 追跡者(上)
玄関を開けると、リンはスイッチを押し部屋の明かりを点けた。
青白いLEDの光にヒノトは一瞬、目を細めた。
夜の闇は深さを増し、時刻は深夜へと回っている。
とりあえず耳目を集めているヒノトの部屋からは離れよう。別の落ち着ける場所に移動して、これからのことを話す。全員の意見が一致したのでここまでやって来たのだ。
視力が戻るとまじまじと部屋を見る。
なんの変哲もない、普通のワンルームだ。ただやや新しめで、ヒノトの部屋より倍以上に広い。一部屋だけだが二十畳以上ある。
でも、女の子――女の子っぽい恰好なんだから女の子というしかないだろう――の部屋としては地味だ。ウィークリーマンションの一部屋のように、飾り気なく最低限の家具と家電だけが置かれている。生活感はまるでないが、少なくとも手入れだけは行き届いていた。
「私がメインの家以外に確保してる、セーフハウスのひとつだよ」
リンがブーツを脱ぎ捨てながら説明する。
手招きされて、ヒノトと夜伽が後に続く。
「すごいな、リン。自力で何件も部屋を借りてるのか?」
フローリングに足を上げつつヒノトが聞く。
うん、と呟きリンが振り返る。心なしか頬を染めて唇を震わせている。
「まあね。こうみえても、収入はけっこうあるから」
「へー、うらやましい。俺なんてただの貧乏フリーターだから、お金の稼ぎ方を教えてほしいくらいだ」
「ネットでいろいろしてるから」
「いろいろ? 株とか?」
指先を組み合わせてもじもじもじもじするリン。なんだか言いづらそうだが、守る会の人間として正直に答えねばという葛藤が同時に見て取れる。
上目遣いでヒノトに視線を送る。
「エネマグラとかアナル用ローションのレビュー動画とかブログとか。アフィリエイト収入、けっこうあるから」
ごめんね! 同じ守る会のメンバーでもちょっと話しづらかったねその収入源!
ごほん、と咳をして話題を変えるリン。
「ほとぼりが冷めるまで、自分の部屋には戻らないほうがいい。勘ぐられても厄介でしょ。ヒノトの部屋は守る会の管理下には置いておくよう同志には頼むから、安心してここで休んで」
椅子を引くとリンは座り込んだ。
電子レンジと、部屋の片隅に畳まれたお布団を順番に指さす。
「レトルトがあるから、好きに食べていいよ。カレーは甘口しかないけど。疲れてるんなら、早く休んでね」
「ありが」
答える前にどたどたどたという駆け足がヒノトのセリフを打ち消した。
靴を脱いだ夜伽が部屋の奥にダッシュ。切れ長の瞳を目いっぱい見開き、お布団を恐る恐る指し示す。
「主様、これで寝るのか?」
「とりあえずカレーでも貰ってから、休もうとは思うけど」
「いやじゃー! 妾は許さぬぞ!」
「なんだよいきなり」
「主様が寝取られるぅー! 妾以外のお布団に寝るのは許さんぞ!」
「寝取られるの意味が違うわ!」
同じじゃ同じじゃ、と地団駄を踏む夜伽。しとやかな外見とは裏腹に、ホント騒がしい付喪神だ。
興奮しながらリンに口先を向ける。
「リン、これはどこ製のお布団じゃ?」
「IKE●だったと思うけど」
「舶来品じゃあ洋物じゃあ、外国人に主様が浮気しおるぅー!」
「ニト●もIKE●のお布団も、メイドイン・チャイナだと思うけど!?」
ツッコミも意味なく夜伽はIKE●のお布団に手をかざした。
ポンッ! という軽い音ともにお布団一式が消えてなくなった。
「えええ、お布団どこにやったんだ夜伽!」
「収納したのじゃ収納、これでもう主様を寝取られぬ!」
「しまったって、どこにだよ?」
「あの世とか幽世とか深淵とか夢の世界とか呼ばれる、常世と密接につながっておる隣の世界じゃ」
質問されて得意げになったのか、癇癪を中断し、腰に手を当てて自慢げに胸を張る夜伽。切り替え早すぎんだろ。
右手で胸を叩き、チッチッチと人差し指を振ってみせる。
「ちなみに妾の分身である寝具も同じ場所にあるぞ」
「ああ、あのシーツとか枕とかか」
合点がいったようにヒノトは頷いた。マネキンの一撃を防ごうとしたシーツや、マンサクを撃墜した枕は急に出現したように思えたが、夜伽が自分の異能力で消したり出したりしていたのだろう。
それにしても。あのお布団一式はリンが買ったものなのに。
まったく人様のものを、とため息をつく。まさか変な場所にやったんじゃないだろうな。
ヒノトが注意しようとした瞬間。またもドアが吹き飛び頭上をかすめて過ぎた。
「うおお、あぶねっ! というかなんだこの既視感」
「まさか、貞潔守護兵器!? そんなはずがない、ここを知っている人間はごく少ないはず!」
リンが腰を浮き上がらせる。
細い腰回りはどう見ても女の子だよなー、などとヒノトが場違いに感想を漏らしていると甲高いモーター音とともに人影が複数、部屋に侵入してきた。
黒尽くめのマネキンめいた姿が、四つ。すでに右腕部に刃を展開している。さらに左腕からは銃口らしきものまで生えている。ありがたくないことに、やる気満々だ。
カレーも寝るのもお預け。どうやら休む暇もないらしい。
四つの影が、一斉に銃口を向けた。
「マンサク!」
「わかってるポコ!」
足元をうろちょろしていたマンサクが肩に飛び乗る。黒い被毛が、まるで紐解かれるように細い細い繊維に変じていく。
リンがマンサクが変じた糸を繰り、十指に付けているメタルカラーのネイルチップに結ぶ。
貞潔守護兵器は仲間同士射線に被らないように位置取りしつつ発砲。猛烈な勢いで弾丸が斉射される。
リンはすべての指を複雑に手繰り、首吊り狸の繊維を編み込んだ。空中で巨大な盾が形成され、弾丸を受け止める。網の盾がたわみ膨らみ波打つ。
耳障りな着弾音が続くが、しかし一発も貫かれなかった。
驟雨のように降り注ぐ銃弾を、たった一挙動で全弾防ぎきったのだ。
役目を果たし、編み込まれた盾が解かれる。繊維へと変じたそれを、リンは右手で一閃。伸びた糸が、瞬時に貞潔守護兵器をバラバラに切り刻んだ。
「主様!」
夜伽が警告する。振り向くと、同タイミングで窓ガラスが四散する。
LEDの光のなか、割れたガラス片がきらきらと散った。ベランダ側から貞潔守護兵器が三体。さらに、玄関側からまた四体が侵入しようとしていた。
右往左往するヒノト。慌てることしかできない。
このままだと挟み撃ちにされる!
「珀炳!」
右手を開き、夜伽が叫ぶ。手のひらからまるで吹雪のように羽毛が吹き荒れ、ベランダ側の貞潔守護兵器の周囲を舞い踊る。お互いを認識できないのか、三体は次々にぶつかり合って転倒した。
「むふふ、この新しい体のコツをちょっと掴んできおったぞ。今の術は、視覚情報を始めとした、あらゆる感覚器を幻惑したのじゃ。たとえ絡繰りでもあっても同じよ。しばらくは時間が稼げるはずじゃ」
「助かるよ、夜伽」
リンが謝意を示し、玄関側の敵に集中する。左手をアンダースローのように振るう。首吊り狸の繊維が床を引き裂きながら貞潔守護兵器に迫り、そのまま下段から縦裂きに断ち切った。
リンは自らが引き起こした破壊の結末には目もくれず、振り返りざまに両手を広げる。
ようやく立ち直りつつあったベランダ側の貞潔守護兵器を、マンサクの糸が絡めとる。モーターを軋ませ、人外の力で貞潔守護兵器は抵抗する。だが脱出は不可能なようだった。
完全に動きを封じつつ、リンは両腕を交差させる。
機械人形たちは、頭から爪先へと順番に細切れにされていった。
すげえ、とヒノトは感心する。
妖怪の夜伽が一体ですら押されていた貞潔守護兵器、それも十体以上の数をリンはあっという間に破壊してみせたのだ。
華奢な体躯のわりに、なんという戦闘能力だ。
同時に、焦燥も感じる。
夜伽ですら立派に役に立ったというのに、ヒノト自身は今の戦闘でまったく役に立っていない。
せっかく、同志に選ばれたはずなのに。
そんな胸中には当然気づかぬようすで、残骸を見下ろすリン。
「これで全部、やっつけたかな?」
「首吊り狸の繊維は、分子間結合そのものに干渉しあらゆる物体を断ち切る。すごい」
ぱちぱちぱちと勿体ぶった拍手が響く。
聞こえたのは、中性的で通りの良い声だった。