第3話 未知なる快眠を異世界に求めて
ヒノトは目覚めると、見知らぬ場所にいた。
「え……あれ、ここどこだ?」
きょろきょろ周囲を見渡すが、ここがどこだかわからない。
今いる場所はヒノトが借りている狭いワンルームアパートではなかった。西洋風の白亜の城塞内を思わせる石造りにも見えれば、光が明滅する瑪瑙でできた一室にも見えた。
御伽噺でのみ語られる、不思議な場所。
まるで夢のなかにいるように、頭がはっきりとせず深く物事を考えられなかった。
みんなはどこに行ったのだろうか?
……みんな? みんなって誰だ?
「おいたわしや、おいたわしや」
困惑していると、労りと悲嘆にくれる声がする。
声に惹かれ、そちらに向かって歩いていく。
いくばくか進むと、見上げるほどに巨体な体躯の老人がいた。銀の右腕をした、白い髪と髭が方々にはねた威風堂々たる人物だ。
周囲には全身をラバースーツのような物質で覆い、角と羽と尻尾を生やした男たち。それに、直立したイルカたちがかしずいている。
異様な風体の集団だったが、彼らはある種のけれん味と高貴さをまとっていた。
そのまま見ていてもしょうがないと判断し、ヒノトは老人たちに声をかける。
「えーと。どうかしたんすか」
イルカが振り返る。泣いていたのは彼女なのか、涙に濡れた瞳をしていた。
「おやおや、旅のお方ですか。しかし正装でないところを拝見するに、門を正式に通ってはいませんね」
「いやあ、門と言われてもなにがなんだか。気が付いたらここにいて」
「私たちは困っているのです」
「困っている?」
「そこにおわす偉大なる老君。ノーデンス様はお年を召してございますのに、お休みになられますと全身の不可思議な痛みに悩まされるのです。私も侍従頭として長年仕えておりますが、まったくもって不可解なのです」
「そうなのじゃ、旅のお方。わしは目が覚めると全身の骨が軋む上に、肩が凝り首も痛くなる。おまけに冬は魂すら凍り付くほどの冷気を感じる。これは我が怨敵、這い寄る混沌の呪いなのではないかとわしは想像しておる」
侍従イルカの言葉を引き継ぎながらノーデンスと呼ばれた巨躯の老人が言った。
歪ませた眉根が、苦痛を代弁している。
はあ、痛みねえ。
寝方が悪いんじゃないかな。低反発マットでも使えば? と思うヒノト。自分も最近お布団に関して色々あって……色々ってなんだっけ?
疑問を浮かべても、なにも思い出せなかった。
もやもやした気持ちを振り払うように、侍従に尋ねてみる。
「どんなふうに寝てるんですか?」
「それはごく普通に。剥き出しの床に直接ゴロンと寝てます」
「普通じゃねえよ!」
とりあえずツッコむ。そりゃフローリングというか石造りの床というか、硬い場所で寝れば全身バキバキになるわ!
角が立たないようにそのことを指摘するにはどう言えば良いだろうか。思案し、顎に手を当てる。さも名案を思い付いたとでも言いたげに口を開く。
「ふむ……ではお布団で寝ればよいのではないだろうか」
「お布団? お布団とはなんじゃ?」
「そのようなアーティファクト、聞いたことがありませぬ。ここドリームランドには存在しない、名状しがたい物体なのでしょうか」
「ええと、なんというか。袋状の布に、綿が詰まったもので」
説明しようと一歩を踏み出す。なにかにつまずいて、ヒノトは転びそうになる。
なにに足をひっかけた? と思い視線を下げる。
お布団セットが足元に転がっていた。
ただのシングルお布団ではなかった。ニト●ではない。海外基準の大きさだ。
まるでノーデンスにあつらえたかのようなサイズだった。
なぜ都合よくある。心のなかだけでツッコむと、手際よくお布団を広げてみせる。
「敷布団を敷いたので、寝てみて下さい」
「この布をぜんぶ体の下にすればよいのか?」
「あ、いえ、掛布団は体の上です。布団と布団の間に挟まるような感じで寝るんです」
「ほうほうなるほど……おお、これは!」
横になりお布団に包まれると、ノーデンスは歓喜の声をあげた。
「少しも寒くないわ!」
「気に入ってもらえました?」
「身体が柔らかく沈み込み、体重が分散される。このふっくらさならば、体が楽な上に肩もこらない! しかし、まだ頭の位置に悩むな」
「ささ、枕をどうぞ」
「オ゛♡ ヤッベ♡♡ 頭の位置が調度良い! これなら首を寝違えんぞ! 布のなかで寝るとは、なんと天才的な発想なのじゃ!」
よほどお布団が気に入ったのか、ノーデンスはそのままスヤァと寝息を立て始める。
さすがにお年寄りは早寝だ。
「むにゃむにゃ、旅のお方よ。褒美をとらすぞ」
「あ、なんか貰えるんすね」
「貴公は、なにを望むのか。申してみよ」
「俺は」
口を噤む。
俺は、なにを望む? なにを望むべきなんだ?
そもそも、なぜここにいる?
頭に霧がかかったように記憶は不鮮明だ。
思い出せ。思い出すんだ。ここではないどこかに、なにかを置いてきたはずだ。
大切ななにかを。
「わしは、このおフートンというものにたいへん満足しておる。玉座では望むべくもないものも授けよう」
お布団に包まれたノーデンスを見る。
お布団。自分の趣味。新しい出会い。不思議な女の子。彼女に守られた。
彼女? 彼女の名前?
「夢物語のなかでのみ、望まれ語られることもあるでな」
お布団のなかで、話されること。
彼女の名前。お布団のなかの物語。
夜伽!
「俺は、力がほしい!」
願うと、現実の隣にあるという夢の世界に住まう神はにやりと笑った。
神が銀の右腕をふるうと、世界はまたも流転した。
ヒノトはようやく思い出した――早く目覚めなければ。
そうして、彼女を。泣いている夜伽を俺は慰めなきゃならないんだ。