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第2話 化け狸

 古代ギリシア古代ローマの医師たちも(ヒポクラテスからガレノスまで)、マスターベーションを好意的に捉えていた。人間の体液は、状況に応じて体内にとどめたり、放出したりすべきだという理論に適うものだと考えていたのだ。

――古代ローマ人の愛と性(著:アルベルト・アンジェラ)


「擦るだけで満足できて、しかも金もかからない。こんなによいことは他にない」

――オナニーについて語る古代ギリシアの哲学者、犬のディオゲネス

 国会議員の三角河(みすみがわ)みのりは、記者会見を強引に打ち切るとスマートフォンを手に取った。


 追いすがる記者を完璧に無視。扉をわざとらしく音をたてて締め出す。


 最初は美人すぎる新人議員などともてはやされたものなのだが。かつて深夜アニメを一般層に認知させるほど人気を博したアイドル声優ユニット、ル・カレ出身の議員という出自故か、自身を最高のインテリと信じている政治部記者にはいつも目の敵にされていて忌々しい。


 着信音は鳴り続けている。

 発信者をろくに確認せずに電話にでる。


「みのりちゃん? ごめん、迷惑かけるかも」


 第一声は謝罪から始まった。

 それが同志の声であることに意識がいくと、緊張に眉根を結んだ。いつも冷静な相手が仕事中に電話してくるということは、よほどの事態か。


「どうしたの、リン」


「あいつらが本格的に動き出した。交戦した」


 電話相手であるツインテールの少女然とした相手の姿を思い浮かべなら、宿敵の名を口内のみで唱えた。


 クランズマン。


 日本のそこかしこに根を張る正体不明の組織。

 ClanでなくKlanを名乗っていることから、秘密結社を気取っているのがよくわかる。


「戦いは避けられない。争うのは仕方ない。それで、迷惑って?」


「自慰執行者が襲われていたから、介入した」


「死人がでたの?」


「ううん。襲われていたのはひょっとしたら、私たち『守る会』の仲間になってくれるかもしれない人なの。妖怪、おそらく付喪神を連れてる」


 妖怪。彼らもまた、守る会と同じように日本の暗がりに息づく存在だ。

 正道を行く者を自認するクランズマンにとって、忌むべき者と見なされている。

 

 みのりは考える。


 オナニーをする時はね、誰にも邪魔されず自由でなんというか救われてなきゃあダメなんだ。独りで静かで豊かで……。


 そんな孤独な救済を邪魔するのが、クランズマンことNHKだ。

 彼らが領域を侵すのならば、武をもって取り戻さねばならない。


 守る会の戦力は少ない。高度な機械兵器と強力な兵隊たちを擁するNHKと戦うには、異能力を持った妖怪の力が必要だった。

 巻き込んだ人間の運命を大きく変えることになろうとも。


 だから、みのりは命じる。


「確保なさい」


「説得はする。ただ、暴れすぎたから、今は公園に移動した。騒ぎを聞きつけて誰かが通報したのか、パトカーのサイレンがうるさいの」


「警察に圧力はかける。私に権力を使わせることは、別に迷惑じゃないわ。静かにさせるから、あなたはあなたの仕事をなさい」


「ありがとう、みのりちゃん。大好き」


「私もあなたのことは姉弟みたいに思ってるわ、リン」


 通話を終える。スマートフォンの画面を見るとはなしに見つめ続ける。


 ついに、NHKと守る会との全面戦争が開始されるのだろうか。

 おそらくそれは、互いの生存を賭けた戦いになる。


◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 ツインテールの少女は、通話を終えるとスマートフォンを鞄にしまい込んだ。


 戦いが終わったあと、ヒノトはとりあえず手近な服を着こんだ。

 所持品は財布やスマートフォンといった最低限の持ち物だけ。 


 騒ぎを聞きつけて人が集まる気配がしたので、事情を説明するのが面倒で近所の公園に移動していた。まあ、謎のマネキンと妖怪の戦いに巻き込まれました、なんて言っても誰も信じないだろうけれど。


 ベンチに座っていると、左手に体重を感じる。軽い。

 視線を向けると、付喪神の少女が肩を寄せていた。左腕はいつの間にか再生していたが、まだ本調子ではないようだ。


「すまぬのう、ヒノト。妾は目覚めたばかりで、主様のために強力な力を発揮できんのじゃ」


「いや、こっちこそわるい。せっかく助けてもらったのに、俺は何もできなくて。ええと」


 そこまで言って気が付いた。

 彼女はお布団の付喪神だと自分を説明していたが、まだ名前を聞いていない。

 付喪神の少女、では納まりが悪かった。


「妾の名前か。暮露暮露団という種族名はあるが、個体の呼び名はまだないのう」


「じゃあ、なんて呼べばいいかな」


「そうじゃのう……それでは、夜伽(よとぎ)と呼んでくれ」


「それって、あんまりいい名前じゃあないような気が」


「かまわん。妾の出自には、ふさわしい名じゃあ」


 一応、ヒノトは頷いた。

 本人がそう呼べと言っているのだ、聞き入れたほうがいいだろう。

 それに。お布団には似つかわしい名前なのは、事実だ。


「ヒノトに夜伽ね。お布団の付喪神をつれた男が、貞潔守護兵器に襲われていたということは」


 ふたりの会話を聞いていたツインテールの少女が、顎に指先をあてて思考する。


「えと。ヒノトは床オナ好きかな」


「人のオナニー趣味を言い当てないでくれ」


 苦笑いしながらヒノトは答えた。

 床オナが他人ばれするのは気恥ずかしいが、まあしかたない。だだ余りのチンブラを見られたのだ、今更恥ずかしがっている理由もない。


「説明がほしいでしょうね。私は」


「オイラは四国の化け狸一族で、首吊り狸の金縷梅(マンサク)だポコ。よろしくポコ~」


 ツインテールの少女の言葉を遮り、肩に乗っている狸がいかにもな口調で喋る。


 化け狸。ということは、この狸もまた妖怪の類なのだろう。なんだか色々なことが起こりすぎて認識力が付いて行かないが、現実に狸が喋っているのだ。夜伽も合わせて、妖怪の実在を信じるしかなかった。

 ヒノトはとりあえず挨拶を返す。


「よろしく、クサマン」


「マンサクだポコ! 名前をかってにアナグラムすんなポコ!」


 名前を呼び間違えられて怒ったマンサクがジャンプ。牙を立てて、ヒノトに向かってくる。


 ぼこ! と布の塊が狸の顔面を迎撃。ぶん殴られたマンサクは撃墜されていた。

 地面にべちゃ! という音を立てて落下する。


 夜伽だ。夜伽がどこからともなく枕を取り出して、空中のマンサクを叩き落としたのだ。

 さすがお布団の付喪神だ。シーツや枕を自在に出し入れできるのだろう。


「こら! 妾の主様になにをするんじゃ、この畜生めが!」


 そのまま編み上げブーツで踏んづけた。わりと容赦なくげしげし蹴りを入れる。

 こらこら、人様のペットを虐待してはいかんぞ。


 踏まれたマンサクが甲高い声をあげる。


「ああっ、いい感じいい感じだポコ! もっともっと、つよく踏んでくれるのだポコ~!」


 感極まって叫ぶ。気持ち悪いものを踏みつけてしまったかのように、夜伽がささっと身を引いた。


「勝手に動かないで、マンサク!」


 ぷるぷる震えて喘いでいるマンサクを、ツインテールの少女は五指から伸ばした縄で縛りあげる。先ほどの戦いで操っていた糸ではなく、目に見えて太い縄だ。変態狸を亀甲縛りに縛り上げて、そのままひょいと持ち上げる。


「見苦しいものをみせて、ごめんね。マンサクはドМの変態化け狸なんだ」


「なにを言うか、オイラの相棒のお前も同レベルだポコ! じゃなきゃ首吊り狸なんて連れてないはずだポコ!」


「黙れ」


「ひえっ、怖いポコ」


「なんでそんな変態狸連れてるんすか」


「人と妖怪は、似たような性質の者同士が惹かれ合うから。ヒノトと夜伽のように……でも、ええと。なにから話せばいいのかな」


 説明に詰まったツインテールの少女の言葉を、またもマンサクの行動が遮る。

 亀甲縛りのまま、短い前脚でヒノトを指さす。


「待っていた……。オマエみたいな変態を……。ポコ」


 指名されたヒノトは思う。誰が変態だ、床オナはお前に比べれば別に変な趣味じゃないだろ。


「オイラたちは、NHK――ノー非実在性存在クランズマンと戦う者たちだポコ」


「クランズマン?」


「さまざまなオナニーを否定する秘密結社だポコ。あいつらは、貞潔守護兵器という無人操作型の自律ロボットを使い自慰行為にふける者たちを粛正しているのだポコ。まずは手始めに、二次元イラストを使ったオナニーが標的だポコ。だから非実在の性存在にノーを突き付ける連盟を名乗っているのだポコ」


「昨年の冬コミケ。3日目に発生した血のクリスマス事件も、クランズマンの仕業なんだよ」


 マンサクの言葉を継いだツインテールの少女の言葉に、ヒノトは声を失った。


 血のクリスマス事件。概要はヒノトも知っている。


 なにせネット上では話題が尽きなかった事件だ。

 冬のコミケ3日目に発生した事件で、さまざまな同人サークルが暴力的に弾圧されたのだ。抵抗を試みた者たちは、容赦なく叩き潰され、流血騒ぎとなった。

 実行者たちは全身黒尽くめで、正体不明。いまだ逮捕者はひとりも出ていない。


 ちなみに3日目は別にクリスマス当日ではなかったのだが、ゴロの良さからそう呼ばれている。


「まさか。血のクリスマス事件で、同人サークルを襲ったのは」


「さっきヒノトを襲った貞潔守護兵器と同じ機械よ。あれはえっちな二次元イラストを見た者の特有の脳波を検知し、自動で攻撃してくるの」


「今は二次元イラストオナニーを優先的に攻撃しているけれど、クランズマンは狂信的な連中だポコ。いずれ対象が全オナニーに広がっていくのは確実だポコ。あいつらはオナニーを封じることによって、清潔な世界を構築しようとしているのだポコ」


「そんな恐ろしい組織があるなんて……」


 完璧なまでの言論弾圧だ。

 現在のスマートフォン全盛期の国民総オタク時代に、二次元イラストに反応しない男たちがいるのだろうか。もしツインテールの少女が言うことが本当ならば、いったいどれほどの苛烈な粛正が始まるというのだろうか。言葉がでてこない。


 ツインテールの少女が、ヒノトと夜伽を交互に見つめる。


「私たちは、ともにクランズマンの圧制に立ち上がってくれる者たちを探している。君たちは力と資格がある。真に自由なオナニーを守るために、私たちの仲間になってくれないかな?」


 なんか女の子が普通にオナニーとか言ってるかと思うと、卑猥というより気まずいんですが……。


 ツインテールの少女のセリフに、ヒノトは考え込む。務めて冷静に思考する。とりあえず美少女とオナニーは別次元な問題だ、余計なことはまた別に考えるべきだ。

 自分はただの平凡なフリーターだ。人型兵器を擁する秘密結社と戦うことなんて、できるだろうか。


 沈黙していると、袖を引っ張られた。


「ヒノト。妾は主様の判断に従うのみじゃ、好きにするのじゃぞ」


「夜伽……」


「でも。妾は思うのじゃ。お布団のなかというのは、あらゆる人が安らぎを見出す場所じゃ。安寧の地を奪われる理由なんてものは、どんなに正当化されても正しいはずがないはずじゃ」


 夜伽の言葉にヒノトは頷いた。

 そうだ。お布団のなかというのは、誰にも汚されない聖なる領域だ。そこを土足で踏みつけられていい理屈なんてない。


 それは、宗教上のイコンを踏まれるのと同じぐらいの横暴さだ。


「わかった。俺でできることなら、協力する」


 それまで表情の変化が乏しかったツインテールの少女が、柔らかい笑顔を浮かべた。

 彼女が右手を差し出す。


「ようこそ、私たちの組織『ナニをこく自由を十全に守る会』、略してエヌこ」


「それ以上いけない。略称は言わなくていいです! 主旨は察したんで!」


「あら、そう? ともかく歓迎するよ、ヒノト。私の名前は朽葉 凛太郎(くちば りんたろう)。みんなは私をリンと呼ぶから、そう呼んでくれると嬉しいな」


 右手と右手が、心地良い振幅を交わ……

 ん? 今なんて言った?


「えーと。……凛太郎?」


「そうだよ。私は男だから、男の名でも不思議はないでしょ」


「……あ、そうなんだ。ふーん」


 こともなげに言い終えるリン。


 嘘だろおい、男なのかよ! チョーカーをはめた細い首筋も、オフショルダーの肩から覗く白い肩も、すね毛もないスベスベの足も男のものなのか! 最近の女装男子はレベル高すぎんだろ。

 本当に女の子だと思ってたじゃねーか畜生! これが女装男子、いや好んで女の子の恰好をしているのなら男の娘というべきなんだろうか。本物を見たのは初めてだけど、女の子よりカワイイじゃないか!

 ものすごく残念な気持ちになるヒノト。


 握手した右手を見つめながらふと尋ねる。


 リンもまた自分の右手で握るのだろうか。ナニをとは言わんが。


「聞くんだけどさ。クランズマンから自由なオナニーを守るってことは、リンの好きなオナニーってなに?」


 赤面し、視線を斜めにずらすリン。両の指を合わせてもじもじ。


 恥ずかしがっている姿がかわいい。かわいいが、リンは男だ。反応するなよ俺、と本能に命じるヒノト。幸運なことにオナニー終了後の賢者タイムはまだ有効なようだった。


「えと。守る会は、あらゆるオナニーに寛容でさ。会員は趣味嗜好を認められる権利がある。同時に相互の豊かなオナニー性活のために、自分のオナニー方法を他者に知識として伝達する義務もあるからね。教えてあげる」


 はにかんだ笑顔で、リンは告白する。


「私の趣味は、女装首吊りオナニーなんだ」


 闇が深すぎんだろ。

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