8話 お泊り会、開始なんだ!
友希の家は、母親もまだ仕事中で、父親も出張しているので誰もいない。
お腹を空かせて来るだろう、小鳥遊たちを準備なしに出迎える訳にもいかない。
友希はスーパーに立ち寄って食材を眺める。
目についたのは、鍋のもと、という、水を張った鍋にぶち込んで火を点ければそれで完成すると謳う、非常に簡単な料理食材だった。
「うん……時間もないし、人数も多いしね。いや、決して料理が出来ないわけじゃなく」
言い訳がましく独り言を呟いて、〆のうどんと共に買い物かごに放り込んで、レジへ向かう。
「さて、と……」
家はもちろん真っ暗で、電気を点けても誰もいない。
リビングやキッチンなどの共有スペースは掃除が行き届いているが、友希の部屋だけは違う。汚い、というわけではないが、季節の変わり目だけあって、物が散らかっている。
「取り敢えずクローゼットに押し込んどけばいいよね! あとはゲームを用意して……よし、完璧!」
完璧には程遠いが、一応見た目だけは綺麗になり、丁度いいタイミングでインターホンが鳴った。
「「「おじゃましまーす」」」
「いらっしゃーい、待ってたよ! お風呂にする? ご飯にする? それとも……」
「じゃあ、僕は友希ちゃんが良いな」
「やだなぁ、そこはツッコんでくれないと! 取り敢えず上がって!」
「なんじゃ、友希もテンションが上がるとこんな風になるんじゃのう」
「これが友希の家なのか! 我もテンションが上がるぞ!」
みんなの荷物を友希の部屋に置き、風呂の準備をする。
「そう言えば、みんな着替えとか持ってる?」
「うん、一応使ってないジャージはみんな持ってるよ。バスタオルはないけど」
「じゃあタオルは出しとくね! 順番はどうする? 2人までなら一緒に入れるけど」
「なら、適当にグーとパーで分かれればええじゃろう」
結局、友希と小鳥遊、熊捕と投山で分かれた。
「家主より先に一番風呂を浴びるんものう。わしらは後で入るけん」
「うむ。……ん、どうしたのだ? みずき、顔が赤いのだ」
「へっ? な、なんでもないよ。友希ちゃん、は、早く済ませちゃおっか……」
「うん、久しぶりだね、みずきと一緒に入るの!」
そう言って、友希と小鳥遊は脱衣所へ向かっていく。
「みずきのやつ、どんどん顔が赤くなっていったのだ。……まさか、機関からの妨害工作が!?」
「……。ん、庭があるのう」
熊捕は投山の言葉をスルーして、部屋を見渡す。カーテンを開けると、庭があった。
ガーデニングにより草花が生い茂っていたが、一か所だけ草がはげ、土がむき出しになっているところがある。
「友希はここで素振りをしているんかのう」
ご丁寧にバットまで傍に置いてある。
友希と小鳥遊が風呂から出てくるまで暇だった熊捕と投山は、靴を持ってきて庭に出た。
「ふっふっふ! どうだ、我のスイングは!」
「なんだか、ぎこちないのう」
2人で遊び半分、練習半分で素振りをしていると、閉めていた庭と部屋の間の窓が開く。
やけに風呂が早いな、と思いつつ窓の方向を2人が見ると、そこには友希を精神的にかなり成長させたような大人の女性がいた。
「あなた達が、友希のメールに書いてあった熊捕さんと投山さん? いらっしゃい」
「友希のお母さん、じゃな。お邪魔しております、わしが熊捕紅葉です」
「我が投山桜だ!」
「申し訳ないのう、勝手に庭に入ってしまって」
「いいのよ、でも……」
友希の母親は、熊捕の持っていたバットを掴む。
「スイングに腰が入っていないわね。それじゃあ球に当てられても、打球が死んでしまうわ」
そう言って、友希の母親は自らのスイングを見せる。
ブン! と鋭く風を切り裂く音が庭に響いた。
「い、今のがバットを振る音なのか!? 凄いのだ……」
「これが、プロ野球選手のスイングというやつなんじゃな」
「元、だけどね。ほら、もう一回振ってみて」
何度か矯正されていくうちに、熊捕のスイングに重みが帯びていく。
「ほら、投山さんも。……スイングが遠回りし過ぎだわ。もっと脇を締めて」
元々力もある投山は、次第にスイングの音が聞こえるようになっていく。
「おお、いま音が鳴ったのだ! 聞いていたか、紅葉!」
「うむ、確かに聞こえたのう」
投山は嬉しくなったのか何度も何度もバットを振る。
それを見て、熊捕も素振りをしたくてうずうずし始めた。
「今のが基本よ。玉石は入り交じっているけど、本やネットにも練習方法は載っているから自分で試してみなさい」
「有り難いのう。元プロ野球選手から直々に指導してもらえるとは」
「おかげでスイングがこんなに鋭くなったのだ!」
「でも、まだまだ、だけどね」
そうこうしているうちに、友希と小鳥遊は風呂から上がっていた。
風呂上がりだからか、小鳥遊は非常に顔が赤くなっている。……同じく風呂上がりの友希と比較してもさらに。
熊捕に指摘されて、小鳥遊は何とか平静を保つ。
「……あ、おばさん、お久しぶりです。僕のこと、憶えてますか?」
「あらあら、みずきちゃんもずいぶん大きくなったわね。あなたのお母さんに凄く似て、綺麗になったわ。ふふ、いらっしゃい」
友希の母親は、同級生だった高校の頃の、みずきの母親を思い出す。
「お母さん、みずきの話をした時もそればっかり。気持ちもわかるけどさ……」
今度は、入れ替わりで投山と熊捕が風呂に入る。
「現在の我が住まう魔王城は湯船にお湯を張れないから、すごい楽しみだぞ!」
「わしと同じアパートじゃろう? しょぼい魔王城じゃな……。いつもはユニットバスじゃけん、今日はゆっくり湯船につかりたいのう」
そして、友希はその間に夕飯の準備に取り掛かる。
といっても、鍋に水を張って火をかけ、買ってきた鍋のもとをぶち込むだけの単純な作業である。
友希はすぐに暇になってテレビを点けた。
チャンネルをオーシャンズ戦の野球中継に合わせると、スコアは五回の裏、3‐1でオーシャンズがレオパーズに負けていた。
「あ、今日は負けてる……」
「昨日勝ったとはいえ、開幕して5戦で1勝しかしていないし、どうしたものかしらね。せっかくのホーム球場だっていうのに。直接球団に乗り込んでやろうかしら」
「それは流石に止めてね、お母さん」
鍋のようにぐつぐつと煮えたぎる感情だったが、流石に娘の友達の手前、抑えざるを得ない。
鍋がちょうどよくなった頃合いに、熊捕と投山の2人が風呂から戻ってきた。
「「じゃあ、いただきまーす」」
5人で囲めば、鍋の中身はすぐになくなってしまう。
そのたびに鍋のもとを投入し、テレビを見ながら箸を進めていく。
「そういえばお母さん、私、アルバイトをしようと思うんだけど」
その言葉に、友希の母親だけでなくみんなが驚いた。
「アルバイトって、どこでやるの?」
「国道沿いのスポーツショップだよ。優美先輩も働いてるみたいだし、なにより店内の物品を安く買えるんだって!」
「……いいけど、学業に支障をきたさないようにしなさいよ」
母親は、娘の友希を刺すような視線で返した。
せめて、オーシャンズが勝ってる日に切り出せばよかったかな、と少し後悔する。
「あはは……うん、そんなにシフトは入らないようにするよ」
勉強が不得意な友希は、心なしか箸の進む速度が落ちる。
「友希ちゃんもアルバイトするんだね。実は僕も、少し迷ってるんだけど」
「みずきは、どんなところで働くの?」
「今考えているのは、駅の本屋さんだよ。僕は読書が好きだから」
友希は、小鳥遊の趣味を意外に感じた。
友希も、そして知り合って期間が短い2人も、小鳥遊のイメージは野球しかなかった。
「うむ、自分の趣味に合ったところで働くのはええことじゃのう。わしも生活費の足しにしたいけえ、どこぞで働こうかのう」
「なら、我もアルバイトをするのだ! 我は料理が得意だからな、レストランというのがいいぞ!」
「桜が料理を得意ちゅうのは、これまた意外じゃな。わしも、まかないがある飲食店がええかのう」
アルバイト談義に花が咲いた後に、〆のうどんを投入する。
その時、友希が今日の買い出しの時のことを思い出した。
「そういえば、お母さんのチームって使ってないピッチングマシンとかある? 今日知り合った人に聞いたら、人数が少ないチームには絶対必要だって」
それを聞いて、友希の母親は少し考える。
「まあ、確かにあればとても便利よね。買い換えようかなとは思っていたけど……。でも、売るとしたら20万は下らないと思うわよ」
「え!? 高くない?」
20万という数字は、海乃から聞いた数字でもあった。
だが、身内から買うならもう少し安く買えるかも、とも期待していた。
「私が監督しているからって、会計も全て独断で行えるわけではないのよ」
「うう……。い、いつか返すからさ! 今すぐにでも必要なの!」
「働いたことの無い子供が、そんなことを言ってもねえ。少なくとも、前金で半額位出さないと、自分の娘とは言え信用できないわよ?」
その友希の母親の顔は、大人の顔だった。
……昔から弱小と呼ばれた、スターオーシャンズ優勝の立役者。
神奈川で野球をする女子で知らない人はいないとも言われる友希の母親は、当時高額の年俸を貰っていたし、今も一般家庭と比べて裕福であることには間違いない。
しかし。
プロとしての実働年数が短いスポーツ選手は、高額の年俸を若い時期に使い果たして、その後の生活に苦しむことは珍しくない。
だからこそ、自分にも娘にも、お金の扱い方は厳しくしている。
「うう……」
やっぱり、オーシャンズが勝ってお酒を飲んでる時にでもしとけば良かった、と。
行き当たりばったりな行動が多い友希はまたしても後悔する。
「でも、全部優美先輩に払わせるわけにもいかないし……」
「全部払わせるって、どういうこと?」
小鳥遊の問いに、友希は事のあらましを説明する。
「優美先輩の家ってすごい豪邸だったんだ。それで、部の備品は全部優美先輩の家から出してくれてたんだけど……。それならピッチングマシンくらい、私が払いたいよ」
中学まで、野球をする環境は全部他人が整えてくれた。
グラウンド整備やグローブの手入れなどは別として、場所・道具・試合等の準備は全部大人がやってくれた。
でも、義務教育が終われば話は違う。
マウンドの製作や備品の購入も、自分たちでやるしかない。
けれど、それを全て上級生に任せてしまうのは。
「だってそれじゃあ、中学の時と同じだもん」
大人が全て準備する。だから、逆らえなかった。どんな理不尽な要求にも。
……だが。
「なら、僕も払うよ。僕も使うんだろうからさ」
小鳥遊の発言を皮切りに、もう2人も乗っかってくる。
「なんじゃ、水くさいのう。みんなで稼げばすぐ払えるけえ、わしにも任せえ」
「ふっふっふ。我が野望の前に20万など些細な額なのだ! 我が能力を持ってすれば、簡単な事よ!」
「……なら、桜に全部払ってもらおうかのう」
「ふぇ? い、いや、それは困ると言うか、あの……」
「冗談じゃ」
軽く舌を出した熊捕をみて、投山は頬を膨らませて顔を真っ赤に染める。
「も、紅葉はそうやってすぐ我を馬鹿にして! もう怒ったのだ!」
「ふふ、桜ちゃんは可愛いから、ついいじめたくなっちゃうのかもね」
「そうかもしれんのう」
「可愛いって言うな! 我は大魔王・サタンだぞ!」
先程まで悲痛な表情をしていた友希も、真剣な面持ちだった友希の母親も、つられて笑っていた。
お茶を飲み、一息して友希の母親は条件を切り出す。
「ふふ、仕方ないわね。みんなに免じて、一時的に私が立替ておいてあげる。あと、そうね。もし私が監督しているチームに勝つようなことがあれば、全部チャラにしてあげるわ」
「おばさん、それじゃあ僕は、なんか納得できないんですけど……」
「いいのよ。私は斡木のクラブチームで監督をしていて、そのチームに思い入れもあるけれど、私の使命は神奈川の女子高校野球を活性化させることだから。もしかしたら、この中からプロ野球選手が出るかもしれないし、ね」
友希の母親は、自分の娘と同学年の3人をじっくりと見つめる。
「友希ちゃんはともかく、僕はそんな……」
「そうじゃのう、流石にプロ野球ちゅうのは、飛躍しすぎとると思うが」
「……いや、我はやるぞ! あのテレビの中にいる人のように、マウンドに立ってみせるのだ!」
ちょうど、オーシャンズのピッチャーが三振でピンチを切り抜けるシーンが映る。
9回の表、3‐2の一点差、これを乗り切ればばオーシャンズにサヨナラのチャンスが巡って来るという場面だった。
三振を取ったピッチャーのガッツポーズは、観客に試合最後の波乱を、確かに期待させるような力がどこかにあった。
友希の母親は、テレビから視線を移し、投山を見て微笑む。
「その意気よ。全国でも屈指の強豪チームが集まる、神奈川のトーナメントに出るんなら、それくらいの意気込みじゃなきゃね。……ただ、オーシャンズ以外のチームに入ったら、法外な利子をつけて請求するけど」
「お母さん、目がマジだよ。打席に入った時にピッチャーを睨むような目をしてるよ」
「……まあ、心持だけでどうにかなる簡単な世界じゃないけれど。さて、後片付けをしましょうか」
鍋の後片付けをしながらも、4人はテレビに釘付けになっていた。
テレビ越しからでも伝わってくる球場の熱気が、身体を熱くさせる。
スコアリングポジションにランナーが溜まり、一球一球の動向に実況が声を荒げていく。
そして。
サヨナラの一打が、外野の間を抜けていった。
ベンチから全選手が駆け出して、サヨナラ打の選手に祝福の水を浴びせに集まっていく。
同様にはしゃぐ三咲親子を傍目に、投山と熊捕はただじっとテレビを凝視していた。
まだ、ルールもよく分かっていない2人も、実感する。
これが野球なのか、と。
グラウンドに早く――立ちたい。