82話 マグヌス効果!
先頭バッターの小鳥遊に対する2球目。
それは一見、甘いインコースのストレート。
捉えた―――。
小鳥遊は確かに、そう確信した。
だが。
キィン、と。
それは非常に軽く、乾いた音。
「オーラーイ!」
セカンドが周りを制して落下地点に入る。
高く舞い上がった打球は、セカンドのグラブに収まった。
「ずっきー、打ち損じ?」
「いや……ボールが、浮き上がりました……」
一塁を駆け抜けて戻ってきた小鳥遊に二宮が声をかけたが、当の小鳥遊は未だに信じられないような顔つきで言葉をこぼした。
「ボールが浮き上がったってホント?」
2人の会話を聞いていた友希が小鳥遊に質問する。
「うん。僕の見間違いじゃないと思う。確かに、浮き上がったというか、伸びたというか……」
「何言ってんのよ。重力がある以上、ボールが浮くわけないじゃない。アンダースローでもないのに」
「そりゃ、そうだけど……」
そうこう話しているうちに、二宮が打球を放つ。
小鳥遊とは対照的に、重く鈍い音だった。
打球の行方は平凡なショートゴロで、一塁でアウトになった二宮は小鳥遊と同様に首をかしげながらベンチへ戻ってきた。
「どうでしたか?」
小鳥遊がきくと、二宮は俯きながら上目遣いで言う。
「ボールが……加速、したんだけどぉ……」
二宮の言葉に、ナインは一瞬水を打ったように静まり返り、互いに顔を合わせる。
一番に沈黙を破ったのは真中だった。
「……はぁ? 球が浮き上がって加速するわけ? マグヌスさんもびっくりね。そんなのいずれ大気圏に突入するじゃない。それともキャッチャーが吸引でもしてるわけ? そんなのあり得ないって分かるじゃないですか。天国の物理教師と数学教師に謝ってください」
「真中さーん、私を勝手に殺さないでくださいねー」
「……。さて、優美先輩は何を言い出すのやら」
一ノ瀬は3球目、チェンジアップに泳がされてファーストゴロに倒れた。
攻守交代だが、一ノ瀬がどんな感想を言い出すのか気になった真中は、ベンチで帰りを待つ。
「……ボールが、止まりましたわ」
「……止まるわけ、ないじゃないですか」
このままではまずいと、守備につくまでの短い時間で対策を練る。
「それは、錯覚やね」
珍しく、左門が一番に口を開く。
「浮き上がりは球の回転数。加速は球の回転方向。止まるのはフォーム。いずれも冷静に考えればあり得ない現象が起こっているのは、普通の球に慣れすぎたうちらの錯覚や」
一般に球の伸びというのは回転数で表すことができると言われる。
球の進行方向に対しバックスピンの回転数が多いほど、圧力差により浮力が働く。
これはマグヌス効果というもので、物理学で立証されている現象だ。
重力と比べれば微々たる力だが、一般的なストレートの軌道と比べれば予想よりも上の位置に来る。
「回転数は僕も分かりますけど、回転方向というのは……?」
左門に問い詰める小鳥遊だったが、監督が待ったをかける。
「みなさん、一先ず守備位置についてくださいー。審判に忠告を受けてしまうのでー」
試合時間短縮は当然の義務だ。
攻守交替になってもずっとベンチにいるわけにはいかない。
「対策は私が考えておきますのでー。まずは1回の裏を0にすることだけ考えてくださいー」
監督は明るく振舞い、心配をかけぬように元気よくナインを送り出す。
「……術中に嵌ったみたいですわね」
「1回の表はそうだな」
観客席の高峰が自監督に言葉をかけるが、答えは素っ気ないものだった。
「こうなってくると、9人しかいない相模南は大分不利だなー。守備につきながら華園を攻略する手立てを考えなきゃならないんだからなー」
「そうっスよね。私たちも1巡するまでは完全に捨てたっスもん。1巡までに癖球に気づき、対策を練らなきゃいけないッスから。9人じゃちょっと厳しいっスもん」
相模南を心配する斡木クラブの3人だったが。
「いや、9人じゃない」
「でも、控えの選手なんていないっスよ?」
「監督がいるだろう。あいつは私が育てた教え子の中でも飛び切り優秀な奴だった。体が小さくてプロには行けなかったが……。頭はよく切れる。伊達にハマスタに出た世代でキャプテンだったわけじゃない」
「キャプテンだったんですの?」
「ま、本人は納得せず、口には出さないがな。……もちろん、キャプテンと監督では訳が違うが」
……ベンチで1人、相模南の鈴木監督は試合そっちのけでノートにメモをし始める。
「浮き上がるっていうのはバックスピンの問題ですねー。確かにマグヌス効果ですけどー、真中さんは完全に勘違いしてますねー。加速は……ジャイロボール、ですかねー」
ジャイロボール。
ジャイロボールにもいくつか種類はあるが、この場合はドリルのような回転をかけることで空気抵抗を減らし、失速分を少なくする効果を持つ。
もちろん、失速しづらいからといって加速するわけではない。
だがバックスピンの多いストレートと同様に、普通のストレートと比較してしまうことで加速したように錯覚するのだ。
「問題なのはチェンジアップのフォームが全く変わらないことですねー。普通のストレートでさえ速いのにあの緩急は反則ですー」
少しだけ頭を抱え、ため息をつく。
「真中さんの言っていた、カットボール・ツーシム系があるとさらに厄介ですー。……ただ」
監督は顔を上げる。
「中学のように7回で終了ならお手上げですけどー、高校以上は9回ですからねー。勝機は必ず、ありますよねー」
監督は鋭い目つきで、相手側のベンチに座って水分補給をしている華園を目線で貫いた。




