4話 バッテリーの結成だよ!
投山はアンダースローのようなフォームでボールを投げた。
初心者とは思えない、しなやかな体の流れ。
才能だけではない、確かな積み重ねがそこにはあった。
―――投山の小学校と中学校は、同じ場所だった。
自宅から山を一つ半越えて、駆け足で毎日登校する。
中学校に上がってからはまだしも、小学校低学年の時には片道に2時間近くかかった。
晴れの日も、雨の日も、雪の日でさえも。
それでも、それが普通だと思っていた投山は、嫌な顔一つせずに毎日学校に通った。
『はい、では出席を取るわ。……投山ちゃん』
『フッ。我のことか』
『じゃあ、授業を始めるわね』
……中学では、同級生がいなかった。
1つ下と2つ下にも、たったの2人ずつ。3つ下は誰もいない。
投山が3年生の際に、2年後の廃校が決定した。
教師も、OBも、在校生も。そして投山も、覚悟はしていた。
いつかこの場所が、なくなってしまうという事に。
……そして、迎えた投山の卒業式。
『魔王・サタン様。行って、しまわれるのですね』
『い、行かないで、ください……』
たった1人の卒業生の手には、卒業証書と胸につける花飾りの他に、在校生から渡された花束があった。
そんな投山に対し、1つ下の後輩が2人、駆け寄っていく。
『な、泣くな我が右腕、そして左腕よ! ……魔王の座は、明け渡さなくてはな!』
『じゃあ、サタン様は……?』
『ふっふっふ。我はもう1つ上の位、大魔王となるのだ!』
いつもの調子で別れのあいさつを済ませて、自作のマントをはためかせながら投山は1人、学校を後にした。
誰にも見られぬよう、大粒の涙を流して。
……思えば、魔王ごっこなどと、おかしな話だと思った時期もあった。
でも、楽しかった。
昨晩に辞書で調べた単語を自慢げに話すと、後輩が目を煌めかせながら話に耳を傾ける。
学校が終わっても毎日山を駆けずり回って、みんなで美味しい山の幸を食べて。大自然を満喫して、毎日に新しい発見があった。
決して物に富んでいるとは言えなかったが、充実していた。
そして、高校に進んだ。
初めての一人暮らしに、初めて会うクラスメイト。
都会に憧れてなかったと言えば、嘘になる。
だが最初は、人が多い街に目を回しそうになった。建物がこんなにあるなんて、異国の地に紛れ込んでしまったのかとさえ思った。
話が合わなさそうな都会っ子に、友達ができるか不安だった。自分の話し方が変だという事に自覚はあったが、直したくなかったし、直せる気もしなかった。
そんな時に話しかけてくれたのが、小鳥遊だった。
野球部に誘うのが名目とはいえ、それでも嬉しかった。
……そして今、マウンドに立っている。
子供の頃によくやった、水面切りの要領でボールを投げる。
「……サイド、いやアンダースロー!?」
左投げのアンダースローなど、現実では聞いたこともない。
友希たちは驚いたが、それよりもさらに驚愕だったのが、投げた球筋だった。
友希や小鳥遊が本気で投げたボールにも劣らない球威のあるボールが、キャッチャーに向かっていく。
「危ない!」
投山もそうだが、キャッチャーの熊捕も初心者だ。
マスクは付けているとはいえ、防具も無しで、スピードのある硬球はあまりにも危険すぎる。
ガン!
という音がグラウンドに響き渡った。
もちろん、ミットに当たった音とは、違う。
投山の投じた球は、熊捕の被っていたキャッチャーマスクに直撃した。
「紅葉ちゃん!?」
みんなが心配して駆け寄っていく。
そんな中、友希だけが見ていた。
普通、あれだけスピードがあるボールがぶつかれば、頭は思い切り後ろに傾き、首がムチウチのようになってもおかしくない。
しかし、熊捕は違った。
首がネジか何かで固定されているのではないかと思うほどに、微動だにしなかった。
「あ、あの、えと……」
投げた本人の投山も、どうすればいいか分からずに動揺している。
だが熊捕は皆の心配をよそに、すくっと立ち上がった。
「だ、大丈夫か。く、熊捕、さん」
「……紅葉でええ。もう1球じゃ、桜」
転がったボールを拾い、投山に返すと、熊捕は元の位置に座ってミットを構える。
危険だから止めるべきだと、みんなが思った。
しかし、それを拒むような雰囲気を、熊捕は纏っている。
みんなが言葉を飲んでいる間に、投山は次の一球を投じた。
……ボスッ、と。
捕れはしなかったが、横にずれた球を今度はミットに当てた。
そしてゆっくりと立ち上がり、ボールを拾って投山に投げ返す。
元の位置に戻るだけの挙動が、ルーティーンのように美しく映る。
マスクの下で熊捕は、投山を、そしてボールを見据える。
集中はしていたが、それでも過去の情景が、心に思い浮かんだ。
……パァン!
旗が上がる。
『一本!』
体育館の中は歓声で一杯になった。
熊捕は小学四年にして、県内の小学生には相手がいなくなった。
神童。
剣道の名門の娘として生まれ、物心のつく前から剣を握っていた。
毎日、毎日。
お盆だろうが大晦日だろうが、最低でも500回の素振りは日課になっていた。
風邪をひいても、それをやらなければ落ち着かない。
手はマメで固くなり、血も滲む。それでも、やめることはなかった。
周囲の期待を一身に背負って、毎日剣を振る。
それが、当たり前の事だった。
そして中学3年の、最後の大会。
優勝候補筆頭として、熊捕は全国大会へ向かった。本人も、周囲も、優勝を信じて疑わなかった。
だが。
負けた。
決勝戦、相手のこれまでの試合は見てきたし、ビデオも見て研究はしてきたつもりだった。
実際に戦ってみると、予想とはまるで違った。
初めて、相手を怖いと感じた。
技術でも、スピードでも勝っているはずなのに、有効打が入らない。対して、相手の一撃は見た目より重かった。
結局、一本取ったものの、相手に二本取られ敗戦した。
今でも、憶えている。
相手の、面を外した時の楽しそうな顔が。
戦っている時はあんなにも戦慄を覚えたのに、終わってみれば無邪気な笑顔だった。
もちろん、優勝したのだから嬉しいのは当たり前だが、熊捕は自分が優勝した時に同じような表情が出来るかと問われたら、首を縦に振る自信はなかった。
剣道は嫌いではない。だが、その頃には剣道を楽しいと思えなくなっていた。
『高校でも、また戦おうね!』
『……すまん』
『?』
全国大会の決勝まで進んだのだから、熊捕が高校でも剣道を続けると相手が思ったのは当然だろう。
だが、熊捕はその時に何かが折れたような気がした。
どれだけ練習を積んでいったとしても、相手の成長速度の方が速い。
楽しくやった方が上手くなるのが早い、とそんな当然なことに、ようやく気付いた。
全国大会準優勝。
親族からは称賛の声がほとんどなく、むしろ剣道は嫌いになりつつあった。
そして、逃げるように高校に来て。
『野球はね! 点数の上限も無いし、時間で終わることもないんだよ! それでね、9人全員に絶対見せ場があってね!』
昼休み、興奮した面持ちで野球の面白さを喋る友希を見て、自然に笑みがこぼれた。
今思えば、中学の全国大会決勝の相手の表情に、少し似ている気がする。
誰も気が付かない、マスクの中で口角が上がった。
逃げずに、あの子と一緒に剣道をやっていれば、追いつけたかもしれない、と自嘲する。
マウンドに立った投山が振りかぶる。
今までの2球で、球の軌道は掴んだ。
サイドともアンダーとも取れるフォームから放たれる速球は、シュート回転をしながら熊捕に向かっていく。
「今日から、素振りは竹刀じゃのうてバットじゃな……」
ドォン!
軟式の球ではありえない、腹に響くようなキャッチングの音。
熊捕は瞬きをすることなく、その速球を捕らえた。
「……ナイスボール」
熊捕はそう言ってマスクを取った。
束ねた髪が左右に振れて、うなじには汗が滲んで光っている。
マスクの中だけで留めておこうとした笑顔は、抑えられずに零れたままだった。
「もみちゃんも笑うと可愛いねぇ。にひひ」
「む……。ニノさんはおっさんみたいな言い方するのう」
二宮だけでなく、皆が熊捕のもとに近寄っていく。
「ふふふ。魔獣をも殲滅する我が剛球を受け止めるとは、中々やるな紅葉!」
「なぜ桜は上から目線なんじゃ。それに、魔獣とはなんの話じゃ?」
「あ、あのそれは、我の地元の山の猪を、石を投げて倒した話なのだ。子供だったけど」
熊捕の鋭い目線にあてられて、投山は口調が素に戻る。
「い、猪を倒すってすごいね……。相手だって動いてるだろうけど」
「そ、そうだろう? ふふふ、みずきは我の凄さがよく分かっているのだ!」
投山は嬉しそうに胸を張って答える。
「二人とも凄いよ! 初めてでこれなら、最高のバッテリーになれるよ!」
「バッテリー……」
投山と熊捕は顔を合わせる。
視線が合って数秒経って、投山は照れたのか目を逸らした。
「いやぁ、駄目だよぉ。バッテリーは夫婦とも言われるんだから、そんな恥ずかしがってちゃさぁ」
ニヤニヤした顔のまま、二宮は投山の頭を掴んで熊捕の方に向けさせる。
「ふ、夫婦……!」
投山は耳まで赤くして、じたばたと体を振る。
「夫婦か。キャッチャーは夫と妻、どちらなんじゃ?」
「キャッチャーは恋女房って言われるから、妻だねぇ」
「そうか。夫、しかも魔王と名乗るんなら、もっと精神を鍛えて貰わんと困るのう、桜」
「……うぅ、分かったのだ」
「じゃあ、早速練習に入りましょうか。ルールの説明等は明日にしますから、今日はキャッチボールと、トスバッティングをしますわ。部室に案内しますから、着替え終わった後、準備運動してからですわよ?」
「はい!」
2人の2年生に連れられて部室に向かう。
部室棟の2階、角がその一室だった。古臭い扉の上に、真新しい『野球部』と書かれたプレートが掲示されている。
「思ったより、綺麗ですね」
部室なんて砂や埃に塗れていると思っていたが、掃除したてなのか、床はきれいに磨かれている。土足厳禁スペースまである。
「ふふふ、ここが大魔王城となるのか……!」
中にはロッカーだけが配置されており、あとは何もないだけに、広く感じる。
「まぁ、野球用具はここに置いておけばいいからねぇ。じゃあ、早速着替えてねぇ」
着替え終わった人からグラウンドへ出て行き、各々が準備体操を始める。
そんな中、友希は昨日なかったはずのスコップと土を運ぶためのリアカーを見つけた。
近寄って見ると、真新しい土が付いている。
「これって……」
「気付いちゃったねぇ、ゆっきー」
「うひゃっ!」
気配もなく、肩をポンと叩かれて、友希は素っ頓狂な声を上げた。
「業者に頼んだんじゃ、無かったんですね。もしかして、先輩2人で?」
「まあねぇ。色々と事情があるからねぇ」
「……事情?」
「それは、あのセンターの子を連れて来たら教えてあげるよぉ。にひひ」
そうこうしているうちに、皆は準備体操を終えていた。
「ほらニノ、キャッチボールしますわよ」
「友希ちゃん。僕は桜ちゃんの相手をするから、友希ちゃんは紅葉ちゃんを教えてあげて」
2人を呼ぶ声に、振り返る。
「はいはーい。ゆっきーも、今の話はまだ誰にもしちゃダメだよぉ」
「……はい」
気にはなったが、念を押されては仕方が無い。
友希はグローブを取って、グラウンドへ駆けて行った。
お気づきかもしれませんが、苗字にはそれぞれポジションを表す漢字を入れてます。
投と捕の字がつく苗字はあまりなかったですが、一応実在する苗字らしいです。