20話 練習メニュー!
「はーい、じゃあ明日から合宿ですけどー、その前に宿題にしてた自分の練習メニューを見せてもらいますよー」
ナインは一列になって監督の前に並ぶ。
先頭は投山だった。
「はいはいー……。新たな変化球を覚える、ですかー。悪くないと思いますよー。カットボールですねー」
「変化量を減らす代わりに、フォームが変わらないようにするのだ!」
「良いと思いますよー。ですがー、練習がその投げ込みだけとはいただけないのですー」
「なぜなのだ?」
「変化球というのはー、覚えたてが一番怪我しやすいのですー。次に、疲労がたまった時ですねー。投山さんはー、球がどうして変化するのか分かりますかー?」
投山は少し考えた風に真剣な顔持ちになったが、やがて首を傾げる。
「一体今まで、どうして変化球を投げられたのかが不思議ですー。いいですかー。簡単に言えば、球の回転方向によって軌道が変化しますー。まずはゆっくりと、フォームが崩れていないのを確認しながら投げるのですー。球の回転が目に映るくらい、ゆっくりですよー。本格的に投げるのはそれからですー。あとは、球速のアップですねー」
監督はそう言って投山にタオルを手渡す。
「タオルが、どうしたのだ?」
「シャドーピッチング、というやつですー。投山さんはー、まだまだ下半身のばねの強さをボールに伝えきれていないのですー。肩や肘に負担をかけにくいですしー、力の伝わり方が分かりやすいのでー、フォームを固めるのに適してますねー。鏡を見たりー、動画を見ながらやるのですよー」
投山の順番が終わる。
投山は後ろの方でシャドーピッチングしながら、皆が終わるのを待つ。
次は、熊捕の番だった。
「ふむふむー、盗塁阻止のために肩を強くするー、あとはステップを早くするということですねー」
「インターネットじゃあ、重い鉄球とかを投げるんが効果的と書いてあったんじゃが……」
「んー、あまり良いとは思えませんねー。怪我するリスクもありますしー。それにキャッチャーは捕ってから早く投げなくてはならないのでー、肩よりも手首の動きの方が重要なのですー」
「……手首の力じゃったら、自信はあるんじゃが」
剣道でも、手首の力は重要だ。力負けすれば、すぐに竹刀が弾き飛ばされる。
「……まさか熊捕さん、手首を少し固定して投げてるんじゃないですかー?」
「自分では、分からん……」
「なら、家でも出来る練習法ですねー。寝転んで、天井に向かってボールを投げるのですー。肘から先の使い方が目に見えて分かるのですよー。あとはー、ステップに関しては、プロ野球選手の動きと同じとなるように、動画を撮って何回も繰り返し練習するー、ですねー。こっちは大丈夫ですねー」
ノートを返され、次に移る。
「次は一之瀬さんですねー。んー、ホームランを打てるようになりたい、ですかー」
「はい。それが、パワーが、わたくしの取り柄だと思っていますので」
「でー、練習が筋トレ、素振りに重点を置いた打撃練習……」
監督は少し難しい顔をする。
現役時代、ホームランバッターとは対極の位置にいた。
だから指導が出来ない、というわけではない。むしろ長打を打ちたくて筋トレを多くしていたことさえある。
「これは投球とも同じですがー、ボールが飛んでいく軌道は3つの要因があるのですー。角度、回転、スピード、ですねー。理想的なレベルスイングをするとなるとー、さらに2つに絞られるのですー。スイングスピード、そしてミートのポイントですー。勿論、力負けしないパワーがあるのが前提ですがー。確かにスピードに関しては筋トレや素振りで向上しますけどー、ミートポイントに関しては、半分以上が才能によるものなのですー。というのもー、ホームランに必要な角度とスピンがかかった回転をかけるにはー、ボールの数mm下を打つという繊細な技術が必要なのですー」
監督はバットとボールを取り出して、ミートポイントの説明をする。真芯で捉えれば確かにボールにスピードは伝わるが、打球は上がらない。
ボールの重心の数mm下を叩く、というのは練習で掴むのは難しい。そんな繊細な技術は、磨き上げる技術というよりも生まれ持った感覚に近い。
「それでも、やりますわ」
いつもなら、足を速くした方が良いんじゃないのぉ、等と茶々を入れそうな二宮だったが、今回は後ろで真剣な面持ちのまま監督と一之瀬のやり取りを見ていた。
今はもう引退したが、ゴジラと呼ばれたホームランバッターの大ファンで、そのフォームをずっと真似し続けていた。
遊びとは言え二宮は確かに、一之瀬のバッティングフォームにその面影を見た。
ホームランバッターになれる素質はある、とどこかで信じていた。
「分かりましたー。素質が有るかどうかはー、合宿で判断しますねー」
ありがとうございます、とお辞儀をして一之瀬の番が終わる。
「次はニノさんですねー。なになにー、盗塁の技術を上げたい、ですかー。ストップウォッチを使って練習するのは確かに効果的ですねー。……となると、投山さんに牽制の練習も課さないと駄目ですねー。あとはゲッツーの練習ですかー。これは、1人じゃ無理ですねー。小鳥遊さんと一緒に練習ですー」
「はぁい」
「楽しみですねー。ユニフォームが泥んこになること間違いなしなのですー」
「……前から思ってましたけどぉ、鈴センセってSっ気あるよねぇ」
「そんなことはないのですよー?」
自分で企画したとはいえ、大変な合宿になりそうだと思いながら二宮は渡したノートを返してもらう。
そして二宮の次は、今の会話にも出た小鳥遊だ。
「でー、小鳥遊さんは球際に強くなるために、鬼のノックを所望ですかー?」
「……鬼、とは書いてませんけど。数はこなしたいです」
「でもー、球際というからには鬼のノックが必要なのですー。良いですかー? 足腰が辛くなってからが本番なのですよー。どんなに辛くても腰は落として、ボールは最後まで見るのですー。ふふ、楽しみですねー」
少し後悔しつつも、小鳥遊は不敵な笑みをした監督と一緒に笑みを浮かべる。
「ですがー、バッティングの方はどうするのですかー? 小鳥遊さんは経験者ですしー、守備だけで合宿を終わらせる気はありませんよー?」
「と、言うと?」
「まだ打順は決定してませんけどー、小鳥遊さんには一番を任せようと思っているのですー。走塁技術があるのですからー、出塁率を上げれるような打撃を目指してほしいのですよー。そのためにどうするかー、小鳥遊さんならわざわざ言わなくても大丈夫ですよねー」
「選球眼、ですか?」
「そうですー。ピッチングマシンに多投してもらうことになりますけどー。部員の中で一番大変になるかもしれませんがー」
やっぱりSっ気あるな、と思いつつ小鳥遊も微妙な顔をしながら戻る。
「次は左門さんですねー」
左門から受け取ったノートをペラペラと捲る。
「うーん、外野フライのノックと、あとは進塁打の練習、ですかー」
練習方法に関しては、今までの誰よりも詳細に書かれている。そしてその練習メニューも、妥当性のあるものばかりだった。
「ですがー、2アウトだったりー、ランナーが居なかったらどうするんですかー? もしもヒットが打てないのがばれてしまったらー、特にトーナメントを勝ち抜いていったらー、対策を講じられてしまいますよー?」
「でも、短期間でうちに出来ることは、こんくらいしか……」
「現実を見ようとするのは良い事ですけどー、でも目標は高い方が良いのですー。ヒットを打てて、打ち損じても進塁打になる、流し打ちの練習をするべきなのですー」
「流し打ち、ですか?」
左門は流し打ちという単語を聞いたことがない訳ではなかったが、首を傾げる。
「はいー。いいですかー、流し打ちと言ってもー、力強い打球にするにはー、右に『引っ張る』気持ちで打つのですー。コツはですねー、見逃すのではないか、と思うほどにまで引き付けて打つのですよー。ミートポイントは、右足の前くらいですねー。練習としては、真横からトスをあげるトスバッティングですかねー」
「わかりました。ミートポイントと引っ張ることを意識しながら練習すればええんですね?」
「そうなのですー。練習をしながらもポイントは伝えていきますけどねー」
次は、真中になる。
プロ野球選手になることを目指すと公言している真中。
その練習メニューは左門に負けず劣らず詳細に書かれている。しかしながら、左門の内容とは対極とも言うべきものだった。
「筋トレにダッシュ、スライディングの練習……。もしかしてー、走塁のタイムや筋トレの記録で負けたのを根に持ってるんじゃないでしょうねー?」
「ぐぬっ……」
「図星みたいですねー。こんな分かりやすい人を見るのは久しぶりなのですー。いいですかー、練習は積み重ねとも言いますけどー、特に筋肉を鍛える練習は長い時間をかけて培うものなのですー。合宿は短期間で力を付けることを目的としてるのでー、筋トレするなとは言わないですけどー、合宿ならではの練習をして欲しいのですー」
真中は考える。県大会を優勝するために自分に必要なものを。
はっきり言えば、得点する期待値は経験者である友希、小鳥遊、真中の働きに掛かってくるのは明白だった。
「ヒットを打つ練習、ですか?」
「そうですよー。正直、真中さんには四球を求めてないのですー。得点圏で打てるバッタになって欲しいのですよー。得点圏になれば、相手の配球もある程度読みやすくなりますしー。バッテリーの投球練習に付き合って、配球を色々と考えて下さいねー」
「はあ……」
真中は気の抜けた声で返す。
「真中さんはー、一人でやる練習が好きなのですかー?」
「そうですね。悪いですか?」
「悪いですねー」
まさか即答されるとは思わなかったのか、鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をする。
「確かに野球は個人プレイが多いですけどー。だからと言って、個人プレイだけじゃ勝てないのですよー?」
「なによそれ。矛盾してませんか?」
「こればっかりは、言葉じゃ表せないですねー。あとー、自分を客観視するのは、高校生にはまだ難しいですからねー」
ふふん、と笑いながら監督は真中を見る。
子ども扱いは気に入らないが、見た目は子供とはいえ、監督は正真正銘の大人なので仕方が無い。
ノートを受け取って、渋々と後ろに下がる。
「次は右京さんですねー」
「待ってマシタネ!」
みんなと同様にページを捲るが、監督の顔つきは段々濁っていく。
「か、監督は英語が苦手なのですー……」
教師だからと言って、勉強が何でもできる訳ではない。
ただ、教師になるための試験では英語もあるはずなのだが……。教師になってからの年数が長いという事が嫌でも窺える。
「仕方ないデス、日本語で説明するネ! ミーは、苦手を克服シマス! 今の苦手は、送球のコントロール、打球判断アンド打撃のミートネ! 練習方法はー、スマホで録画しながらの送球練習、ピッチングマシンでの外野フライ練習、アンド桜のボールを見まくるネ!」
「ピッチングマシンで、外野フライですか?」
「イエス! ノックでも実際の打球と飛び方が違うと雨音が言ってたネ! それならピッチングマシンで、ボールの飛び方だけで落下地点が分かったら最強だと雨音が言ってマシタ!」
「自分は、最強なんて言葉使いしてないわよ……!」
照れ臭そうに顔を赤くする真中に、熊捕がポンと肩を叩く。しかしそれすら恥ずかしかったのか、すぐに手を振り払う。
振り払われた熊捕は、真中の方に目線をやらなかったものの、小さく口角を上げる。
「まあ私は内野手だったので詳しくは分かりませんけどー。真中さんが言うなら大丈夫ですねー。……あと、選球眼の練習をすると言ってますけどー」
「イエス!」
「……いつも言っているようにー、右京さんがボールを打てないのは、選球眼が悪いのではなくー、バットを振る時に上体がぶれてるからなのですー。なのでー、ちゃんと私は用意してきたのですよー?」
バッグからごそごそと、取り出したのは身体を拘束するような道具だった。
「こ、これは、なんなんや……?」
「どっかで見たことあるんだけどねぇ」
早速、取り付けられた右京は、腕以外の上半身が完全に固定されている。
「いくらアメリカ人だからって、大リーグボールを投げる必要はないんじゃないの?」
「ああ、思い出しましたわ。養成ギプスというやつですわね」
真中の言葉に、一之瀬と二宮はデジャヴの理由を思い出す。
「そのギプスを脱ぎ去った時、真の力が解放されるのだな!?」
「違うのですー! これは上体がぶれないように固定する為であってー、筋力を鍛えるためのものではないですー!」
そうは言うものの、ギプスを着たまま素振りをする右京の筋肉は悲鳴をあげている。
今までのフォームが相当ぶれていた証拠でもあるが、傍から見れば筋トレにしか見えない。
「コレ知ってマース! 部活中だけでなく授業中や寝てる時も身に付けて、日常さえも修行の場とするのデスネ!」
「やはり脱ぎ去った時に、封印されし神秘の力が放たれるのだ!」
「……素振りの時だけなのですー」
だがその監督手作りのギプスが気に入ったのか、その恰好のまま歩き回る。拘束されていないはずの手足も固まっているかのようにロボットの様な歩き方でナインの笑いを誘った。
「それ創るの大変だったんだから、丁重に扱ってくださいよー? えー、じゃあ最後は三咲さんですねー」
「……はい」
ペラペラと捲っていくうちに、監督はふと、悲しげな表情を浮かべた。
「早打ちして凡退することが多いので、選球眼を良くして四球を増やす、ですかー?」
「そうです」
右京のギプスを投山が着用して、何やら修行の様な遊びをしている中、真中と小鳥遊だけが気付いた。
友希に、いつもの元気がないことに。
「でもですねー。四球は多くないですけどー、三咲さんの中学時代の出塁率は高い方だと聞きましたよー? 別に早打ちは悪い事ではないのですー。真中さんとは対極と言ってもいいですねー」
「……雨音ちゃんと、ですか?」
「はいー、個人プレイとー、チームプレイですねー。チームプレイに特化した選手が美化されがちですけどー、決してそんなことはないのですよー? チームプレイというのは個人プレーの上に成り立つものですからー。コントロールが良いピッチャーならそもそも四球は期待できませんしー、誰かがヒットを打たなければいけないのですー。チームのために自分を殺すことだけを考えるような選手はー、気付かぬところでチームも殺しますよー?」
「いや、私はそんなこと……」
否定しながらも、それが嘘だと言わんばかりに友希は俯いた。
「あまり、言いたくなかったんですけどねー。三咲コーチ……あなたのお母さんから少し話を聞いたのですー。試合の終盤、逆境になると途端に打てなくなると」
監督の言葉を聞いて、友希は背中に嫌な汗をかく。
知られたくなかった。特に野球部の皆には。
「その時のために、四球を選ぶ練習、ですか?」
監督は口癖である語尾を伸ばすことを止め、真っ直ぐに友希の目を見つめる。
だが、友希はその目を見返すことは出来なかった。
珍しく気を張ったのが疲れたのか、監督も一息ついていつもの調子に戻る。
「……メンタルの事なのでー、知り合って間もない私がとやかく言えることではないですけどー。大会の相手は格上ばかりですからー。治さないと、勝ち抜くことは難しいですよー?」
「……すいません、頑張ります」
友希なら意味の無い練習はしないだろうと監督はそれ以上のことは言わなかった。
逃げるように、友希は元の場所に戻る。
しかし、今までも友希は頑張ってきた。それでも、治る気配は無かった。
頑張りますという言葉は、今の友希にとって、逃げる方便でしかない。
そこで、今日の練習は終わった。友希はあの時のことを思い出して、胸に何かが詰まったまま。




