15話 最後のピース!
熊捕のサインを受け取った投山は振りかぶる。
これが勝負の一球だと、何となく真中も感じ取っていた。
真中はシンカーを待っていたが、それでもストレートやチェンジアップは頭の中から捨てられない。かと言って、来た球を打つという考えではシンカーは打てない。
必然的に、真中の心に迷いが生じる。
こういった意味では、熊捕の配球は正解だった。
あとは、投山の投げるボールに真中を打ち取るだけの力があるか。
アンダースローから投じられたボールはインコースへ向かっていく。
真中は前の打席よりもさらに重心を下げ、ボールへと向かってバットを出す。
しかしボールはバットに捉えられまいと、燕が逃げるように落ちながら外へと曲がっていく。
だがそれを予め想定していた真中は、脇を締めたままバットのヘッドを下げてそれに対応した。
キィン!
と、硬式特有の音が響く。
外野陣も一瞬身構えたが、打球はサードの前に勢いなく転がっていく。
友希の守備と真中の足の競争。
友希は勢いよく前進し、打球を素早く拾い上げると、ノーステップで送球する。
ファーストの一之瀬も目一杯に足を伸ばして捕球したが、真中の足も速かった。
際どいタイミングのフォースプレー。
主審も兼任していた監督には、流石に荷が重すぎるほどのタイミングだった。
少し躊躇った監督がジャッジを下す前に、一塁に駆け抜けた真中が後ろ姿のまま、自嘲気味に言った。
「……アウトね、今のは」
しかし振り返った真中は、どこか爽やかそうな表情だった。
「自分の、負けね」
その声を聞いた内野陣と、監督は歓喜の声を上げる。
その声でようやく、外野陣はアウトだと分かり、内野へ駆け寄っていった。
まるで投山を胴上げしようと言わんばかりにマウンドへ駆け寄っていく皆を見て、真中は一つ溜め息を吐いた。
「潔いのう」
「自分は公平にジャッジしただけよ」
熊捕と真中を見て、友希もそちらへ向かっていく。
眩しいほどの笑顔で、友希は真中に手を出した。
「良い勝負だったね! これからよろしく!」
一瞬手を差し出そうとした真中だったが、恥ずかしくなったのかそっぽを向いた。
「別に、自分は慣れ合うつもりはないわ。……自分が入るんだから、絶対にハマスタに行くわよ」
握手されなくてしょんぼりとした友希だったが、真中の言葉に再び表情を明るくする。
「もちろん!」
「じゃあ早速今日から練習だね!」
友希は真中の腕をがっしりと掴む。
「え? でも自分はユニフォームとか持ってきてないんだけど……」
「大丈夫だよ! 雨音ちゃんの分のユニフォームはちゃんとあるから!」
そのままずるずると、友希は真中の腕を引っ張って部室へと向かっていく。
「むむむ……」
「あれだけで闘争心を出しちゃああかんけえ」
腕を組まれた真中を羨ましそうに見つめる小鳥遊に、熊捕が肩をぽんと叩く。
少し遠くにある部室のドアが閉じたのを見て、野球部のみんなはほっとしたように一息ついた。
「良かったネ! これで9人揃ったデス!」
「そやねぇ。けど、たった3打席でほんま疲れたわ。練習も疲れるけど、こっちはメンタルも疲弊するなぁ」
左門は、ばくばくと心臓が高鳴る胸を手で押さえつける。
それを見て、右京は唐突に左門の胸を触った。
「ホントデス! アツコは緊張しやすいタイプネ!」
「い、いきなり触っちゃアカンで……」
左門は一歩後退して、胸を守るように両手を交差させる。
「えー、別に女の子同士デス。減るもんじゃないネ!」
「女の子はそんな言い方せえへんで……」
「いやぁ、それにしてもあんな変化球持ってるとはねぇ。流石に驚いたよぉ」
「そうですわ。桜さんと紅葉さんたら、何も教えて下さりませんから、びっくりしてしまいましたわ」
「ふっふっふ! 我が魔球は最強なのだ!」
勝利の余韻に浸るナインの前に、ユニフォームに着替えた最後の部員が姿を現す。
「おぉ、やっぱりユニフォームが似合ってるねぇ、雨ちゃんは」
「く……。なんで自分が」
真中は余っていた一番汚いグローブをはめ、顔をしかめる。
「みなさーん、集合して下さいー」
鈴木監督の声に整列すると、今日の練習内容を発表する。
「いままで守備練習がメインだったのでー、打撃練習をしたいところなんですけどー、初心者が多いので今日はこれですー」
そう言って鈴木監督はメジャーとストップウォッチを取り出した。
「数字は嘘を吐きませんからねー。数字が伸びれば練習も楽しくなるのですよー。後で筋トレルームにも行きますからねー」
まずは遠投の距離を測るという事なので、鈴木監督を含めた10人でキャッチボールの後に、半々に分かれて距離を測る。
その結果。
一位から順に、真中68m、小鳥遊63m、友希61m、投山58m、一之瀬50m、右京47m、熊捕43m、二宮42m、左門38mとなった。
「真中さんは凄いですねー。あと初心者のはずの投山さんも驚きですー」
「外野をやっていたのだから、これくらい当然よ」
「我がもっと練習すれば100mは固いのだ!」
「女子で100m投げられたら即プロ入りですねー。取り敢えずー、初心者の方も50mを目標に頑張っていきましょうねー」
続いて、足の速さを測る。
50m走の単純な走力に加え、打ってからの一塁および二塁までの到達速度も測った。
「じゃあ私がタイムを測りますよー。ちなみに去年のうちの高校の平均タイムは8.7秒ですからねー」
……結果。
一位から順に、二宮6.7秒、小鳥遊6.9秒、友希7.2秒、投山7.3秒、真中7.5秒、右京8.0秒、熊捕8.4秒、左門8.7秒、一之瀬8.9秒となった。
「あ、危なかったですわ。ぎりぎり8秒台……」
「みんな速いですねー。私が現役の時は7.0秒だったのでー。みなさん、出来れば7秒台を目指してくださいねー」
「あ、あと一秒も縮めなければいけませんの……?」
「落ち込んでないでー、次に行きますよー」
監督の指示で、友希と小鳥遊がネットをホームベースの前まで運んでくる。
「次の順番の人がトスをしてあげてー、それを打ってくださいねー。ボールがバットに当たった瞬間を0秒としますけどー、スイングはしっかりしてくださいねー」
一塁到達までのタイムの順位は左バッターの小鳥遊が二宮を追い抜いたが、それ以外は50m走の順位と変わらなかった。
「じゃあ次は二塁までの到達タイムですよー。その前にー、初心者の人達にスライディングを教えなければなりませんねー。では、野球経験者の3人はースライディングを見せて下さいねー」
小鳥遊、友希、真中のスライディングを見て、監督がコメントする。
「小鳥遊さんのスライディングは上手いですねー。三咲さんも中々ですー。でも、真中さんはー……、ド下手くそですね」
監督がケラケラと笑いながら言ったので、部員皆もつられて笑った。もちろん、真中以外の、だが。
「なんでよ! 自分はこう習ったんですけど!」
「完全にゲッツー崩しのそれですよー。まあその目線で見ればとても上手いですけどー。危険なので止めて下さいねー。まるで土佐○高校ですー。昭和じゃないんですからー」
「自分は平成生まれですけど! せんせ……いや、監督と一緒にしないでください」
「私だってぎりぎり……いや、普通に平成生まれですのでー!」
いつもは温和な口調の監督も、年齢のこととなると声が大きくなる。
「……どうでもいいですけど、バットで腹をドボォ! とかやらないで下さいよ」
「そのネタを知ってる真中さんも相当ですけどねー。じゃあ次、二塁まで行きますよー」
ぎりぎり友希が知っているレベルの野球漫画ネタが終わったところで、二塁までの到達時間の測定に入る。
すると、先程まで真中より速かった投山が、真中に抜かれるという結果となった。
「スライディングだけじゃなくてですねー、一塁を回る時の膨らみとかにもタイムは左右されるのでー、色々と考えながら練習しなければだめなのですよー」
続いて、筋力の記録を測るために筋トレルームへと向かう。
ジムの様な豪華な設備を期待していたナインだったが、別に裕福でもない私立校にあったのは、埃の被った、ただ重りが付いただけのアナログな筋トレ用具だった。
ベンチプレスにレッグプレス、腹筋台などが設置されている。
「女性のベンチプレスの平均は20~25Kgらしいのですー。監督は小柄なので35Kgくらいしか上がりませんでしたがー。まあ最初は体重の半分くらいあげられればいいと思うのですー」
「一体その細い腕にどれだけの筋肉が隠れとるんじゃ……」
……結果。
一之瀬40Kg、右京35Kg、友希、真中、熊捕、投山が30Kg、小鳥遊が25Kg、左門と二宮が20Kgとなった。
「……一位になったのは喜ぶべきなんでしょうか」
「いやぁ、すごいねぇ優美は。あたしの倍だもんねぇ。体重も倍はあるんじゃ……うぐぅ!」
鳩尾にバッドが入れられ、ドボォ! と不穏な音が鳴る。
「や、野球用具は人を殴るためにあるんじゃないんだよぉ……」
蚊の鳴くような声で二宮は訴えたが、一之瀬はバットをくるくると手で回しながら無視する。
「やっぱり、ドカベン……」
真中と同様、漫画は読んだこともあった一之瀬は言葉を深読みしたのか、三白眼で真中の事を睨みつけた。
「ひっ」
いつもは強気な真中も、その形相には怯えてしまったのか、一歩後ずさった。
そうこうしているうちに、いつの間にか日は暮れており、練習も終わりとなった。
「じゃあ今日の練習は終わりなのですー。明日は9時から練習するのでー、それまでに着替えてグラウンドに集合していて下さいねー。私は10時半くらいに来るのでー、ランニングと準備体操、キャッチボールにトスバッティングを済ませといてくださいー」
「……まさか、今日飲むから遅れて来るっちゅうわけじゃないじゃろうな?」
「花の金曜日に飲まないわけがないのですー。でも遅れてくるのにはちゃんと理由があるのですよー。明日を楽しみにして下さいねー」
鈴木監督は解散と告げると、ビールビールと口ずさみながら職員室の方へ戻っていく。
「よし、じゃあ雨音ちゃんの入部を祝って、夕ご飯を食べにいこー!」
「いや、そんな自分は……」
真中は断ろうとしたが、その声が小さかったのか、二宮が提案する。
「いいねぇ。じゃあうちの店に行こぉ。金曜で混んでるから店内は厳しいけどぉ、あたしの部屋にもテレビがあるからぁ、狭いけど野球中継を見ながらご飯にしよぉ」
みんなが乗り気になったため、真中は断ることも出来ずに連れられて行く。
帰り道、9人で列になって、腹をすかせながら歩いていく。
不慣れそうに後ろで歩いている真中に、友希が隣に入る。
店に入ると、すでに出来上がっている鈴木先生を横目に奥へと入り、野球を見ながら美味しいご飯を食べる。
どのチームの試合を見るかで、チャンネル争いが勃発したりもしたけれど。
硬い表情だった真中も、いつしか笑顔がこぼれていた。
人物紹介⑩
真中 雨音 (まなか あまね)
相模南女子高等学校 1年A組
??番センター 右投げ右打ち
165㎝ 53Kg 髪色:紺
出身:東京
好きな球団:スワンズ
好きなこと:ネット




