14話 いざ尋常に、勝負!
勝負の当日。
朝練を済ませた野球部の面々は、それぞれ学年ごとに別れて教室へ向かった。
友希たち一年生が教室へ入ると、すでに真中は席に座っていた。
「雨音ちゃん忘れてないよね? 今日の勝負!」
友希が開口一番に勝負の話を持ち出すと、真中は自信ありげな顔で言い返す。
「ええ、もちろんよ。そっちこそ、延期とは言わないでしょうね?」
「約束は守るよ! 初心者が多いからって舐めていたら、痛い目を見るからね!」
友希は笑顔で返す。
「そんな自信、どこから来るのかしら? まあいいわ、放課後を楽しみにしてるから」
そして鈴木先生が入って来る。
担任の権限で強制的に入部させますー、と冗談で言っていたが、流石に問題となるので友希が説得して引き留めた。
「はい、じゃあHR始めますよー。先生は眠いのでー、日直の人お願いしますねー」
そう言うと、堂々と教卓の上で寝息を立てた。
一時限目の教師が入って来るまで。
そして昼休み、例の如く部室に集まって作戦会議を開いた。
「それで配球なんじゃが、どういう風に攻めるのがいいんかのう?」
「うーん、そう言えば変化球の練習はどうなったの?」
「我が投げられるのはストレート、シュート、チェンジアップ、スライダー、そして魔球が一つあるのだ!」
たった一週間だが、見よう見まねで覚えた変化球は4つに上った。
投山は胸を張って答える。
「じゃが、初見でなければ打ち取るのは難しいのう。スライダーは投げ方も他と大分違うけん、二球目じゃと簡単に打ち返されるじゃろう。シュートなんて、ただの棒球じゃしな。わしでも打てる」
痛烈な返しに、投山はしょんぼりした。
「だけど魔球って? 練習してたシンカーのこと?」
「い、言っちゃ駄目なのだ! 秘密にして、本番でみんなをアッと言わせるのだ!」
小鳥遊はごめんごめん、と笑いながら投山を撫でる。
「そうだね。初球は振ってこないだろうから、一打席目の初球はシュートでストライクを取ろう。その後にストレート、シュートでボール球も混ぜながら追い込んで、最後にチェンジアップで引っかけさせられれば上出来かな。とにかく、一打席目をストレート、シュート、チェンジアップだけで打ち取れれば、だいぶ楽になると思う」
「そうじゃな。二打席目以降はスライダーも混ぜて、追いこんだらシンカーでいいじゃろう」
もちろん、ストライクを取りにいったつもりでもボール球になることはあるし、ファールで粘られることもある。
試合ではないとはいえ、一球一球友希たちがマウンドに集まるわけにもいかない。
「まあ本番は困ったら友希にサインしてもらうけえ、今の内にサインを決めるか」
弁当を食べ終わった後にサインの確認をして、昼休みが終わった。
午後の授業を経て、雲一つない快晴のもと、約束の勝負が始まる。
野球部はアップを済ませ、守備練習をしながら真中が来るのを待つ。
真中は時間を合わせたかのように、投山の肩が出来上がった瞬間に現れた。
スライディングする必要もないので服装はジャージだが、バットは自前で用意しており、受け取ったヘルメットを被ると、軽く素振りをする。
特に、ピッチャーの投山の方を向いていたわけではない。
それでも素振りと共に聞こえる、風を切り裂く音は、投山を威嚇するように響き渡る。
「いいわ。勝負の内容は忘れてないわよね?」
「もちろんじゃ。3打席で2回アウトを取れりゃあわしらの勝ち。逆に2回出塁されりゃあお主の勝ちじゃ」
「私もー、真中さんに入って欲しいですけどー、審判は公平にジャッジするので安心して下さいねー」
監督の鈴木先生がマスクを被って主審兼一塁塁審を務める。
センターだけが空いているが、フライでセンターに飛べば全てアウトという事になった。
真中は、ゆっくりと右バッターボックスに入る。
バットの先で軽くホームベースを叩いて、足場を調整し、バットを持ち上げる。
バットを地面に対し直角に立て、微動だにせず相手ピッチャーである投山を見据えた。
少しオープンに開いた足、膝には余裕を持たせ、重心は後ろ脚。グリップエンドは右肩の前あたり。
長打を狙っているかは定かではないが、中~長距離打者のフォームだった。
熊捕がミットを叩くと、守備陣は腰を落として構えに入る。
そして、投山は振りかぶった。
初球。
珍しい左のアンダースロー。
投球練習を少し見ていたとは言え、真中は振ってこないだろうと友希は予想していた。守備陣も全員そう思っていたし、主審を務めている鈴木先生すらもそう読んでいた。
しかし。
球速はそれなりにあるものの、インコースから真ん中へシュート回転で甘く入ってきたボール。
真中は見逃さなかった。
球を芯で捉えると、レフトへライナーが襲う。
ノーバウンドで捕れなければ、前に止めようと後逸しようと関係ない。
レフトを守っていた左門は反応よく前進してダイビングキャッチを試みたが、1メートル届かなかった。
ヒット。一打席目の勝負は、真中に軍配が上がる。
一塁まで走った真中は、再びバッターボックスに戻る。
その前に、熊捕達はマウンドへ歩み寄っていった。
「捕れなくて、ほんま申し訳ないわ……」
後逸したボールを取って、左門は皆が集まるマウンドへ駆け寄っていく。
「今のはどうしようもないですよ! ナイスガッツです!」
「そうだねぇ。まだ、負けたと決まったわけじゃないしねぇ」
みんなで励ましたおかげか、左門の表情はいくらか和らいだ。
しかし、問題はピッチャーである投山の方だった。
1回はヒットを打たれても問題ないと、最初は余裕があったが、もう後はない。
明らかに緊張した面持ちで、俯きながらボールを握りしめている。
「桜ちゃん、大丈夫だよ。まだシュートしか投げてないんだから。真中さんも変化球がこんなに多いなんて思わないだろうし」
「う、うむ……」
小鳥遊の声に投山は顔を上げたが、それでも緊張は取れなかった。
それを見て、熊捕がミットで投山の頭をポンと叩く。
「安心せえ。後ろには守備の皆がおる。一流バッターでも4割は打てないのが野球じゃ。一緒に練習した球ならそうは打てん。じゃから、サイン通りに投げればええんじゃ」
熊捕がそう言うと、ようやく投山は元気を取り戻し、守備陣も元の位置に戻った。
……が、一番不安だったのは紛れもない、キャッチャーの熊捕だった。
剣道で鍛えた勘か、それとも天性のものか。熊捕には相手の思考が少しけだが読み取れる。
熊捕は、真中が初球は様子を見てくるだろうと、予想ではなく確信に近いものを持っていた。
それでもヒットを打たれたという事は、思考ではなく自然にバットが出たということだ。
自分たちの裏をかいたのではなく、打つ気もなかったのにヒットを打てる。
正直な話、格上すぎる相手だと思った。
それでも、表情に出すわけにはいかない。ピッチャーを、投山を不安にさせる訳にはいかない。
この時点で、ストライクゾーンに入れるシュートは、熊捕の組み立てる配球の中からは捨てられた。
マスクをかぶりながら、打席に立っている真中を見る。
そして熊捕は察した。
真中は様子見などしてこない。二打席目も初球を仕留めるつもりだと。
二打席目の初球。
真ん中からインコースへ食い込んでくるスライダー。
曲がり始めが早かったためか、初見だが真中はこれも芯で捉える。
3塁線へ強烈なゴロが襲い、友希は飛びついてこれを捕ったが、惜しくもファールとなった。
それでも、一歩間違えばヒットになってもおかしくない当たり。
これで、ストライクゾーンに入れるスライダーも配球から捨てられた。
「さっきのフォームと少し違うわね」
熊捕の不安を煽るように、真中はぼそりと呟く。
友希をちらっと見ると、ストレートのサインを送ってくれていた。
熊捕も、間近で真中を見ていなければそう促すだろう。
だが、危険すぎると直感した。ストレートでさえ、初見でも捉えられる可能性は十分にある。熊捕は友希に対して首を横に振った。
熊捕は投山のコントロールを信じて、2球目はシュートを外角に外した。
打とうという構えを真中は見せたが、バットは止まる。
3球目は、スライダーを低めに外した。ワンバウンドしたためか、バットはピクリとも動かない。
「四球なんて、つまらないわよ?」
「……分かっておる」
これは布石。
投山にはシュート回転の棒球とスライダーしかないと思わせるための。
計画通りに進む可能性は低いが、なんの策も無いよりは期待値が高い。
そして4球目。
できれば、シュートとスライダーで追いこみたかった。ボール球2つのどちらかでも振ってくれれば儲けものだったが、そう上手くはいかない。
ストレートを、インハイに投げ込む。
クロスファイヤーから放たれる、最も角度と速度があるボール。
流石の真中もバットが出ずに、ストライクコールがあがる。
「……隠してたわけ? やるじゃない。これで3ストライクならの話だけどね」
真中の表情が曇ったわけではなかったが、それでも1球のストライクに守備陣は大いに盛り上がった。
「桜ちゃん、ナイスボールだよ!」
友希に褒められた投山は、満更でもない顔で熊捕からの返球を受け取る。
カウントは2‐2。
ボール球は投げたくないが、かと言って簡単にストライクを取るわけにもいかない。
―――チェンジアップ。
2打席目の熊捕の配球は、ここに焦点があてられていた。
簡単な話で、チェンジアップは文字通り相手のタイミングを崩すためのボール。
ならば、最も球速のあるストレートの後に投げた方が意味は増す。
5球目、投山が投じた外角低めのチェンジアップは、ストライクゾーンから僅かにボール球へ逃げていく絶妙のコントロールだった。
真中もまさかチェンジアップがあるとは思わなかったし、必ずストライクゾーンで勝負してくると踏んでいたのか、バットは止まらずに、泳いだスイングで勢いのないゴロが一二塁間へ転がっていく。
転がったコースは悪かったが、それでもセカンドの二宮が俊足を生かしてうまく回り込み、一つのアウトを取った。
「ナイスです、ニノ先輩!」
「流石キョーコネ!」
はじめて取れたアウトに、ボール回しは外野まで及んだ。
それを見て、悔しそうに真中は熊捕にぼやいた。
「……楽しそうね」
「そうじゃのう」
「まさか、チェンジアップまであるとは思わなかったわ」
「出来りゃあこの打席で使いたくはなかったんじゃが、そうも言ってられんしのう」
そして最終打席。
シンカーを追いこむまで取っておくべきか。それとも最初から使っていくか。
チェンジアップでも初見なら完全にタイミングを外せたのだから、初見でシンカーなら空振りを取れる公算はかなり高い。追いこんでから使えばかなりの確率で三振が取れる。
だが、追いこむ前にヒットを打たれてしまえば元も子もない。
悩んでいた熊捕に、友希から再びサインが送られる。
初球、シンカー。
シンカーを見せれば、投球の幅は逆に広がっていく。そう踏んでのシンカーに、熊捕も賛同した。
3打席目の初球、想定よりも高めに浮いたが、初めて見るシンカーに、真中はバットに当てさえすることが出来なかった。
バットがボールの遥かに離れた空を切り、真中は信じられないような目でバットと投山を交互に見る。
「わっはっは! 見たか、魔球・燕返し!」
「燕……」
打者が予想したコースから沈みながら外へ逃げていくシンカーは、空を翔ける燕のように捉えることが難しかった。
それでもネーミングセンスに突っ込みたい真中だったが、空振りを取られてしまっては負け惜しみにしかならない。
一呼吸落ち着かせて、真中は再び構えを取る。
「もう一球シンカーかしらね?」
真中は後ろ姿のまま熊捕に向かって呟いた。
普通に考えれば、シンカーを投げさせないためのブラフのようなものだ。
だが、何となく熊捕には察せられた。
シンカーを打ち砕いてやろうという強い意思が。
もちろん、そんな気持ちにのっかてやる義理もない。
投げる前に球種が分かるスライダーは論外、待ち球でもなく簡単にヒットが打てるシュートもない。となれば、残りはストレートかチェンジアップ。
シンカーを狙っているのであれば、チェンジアップに対応してくる可能性もある。
熊捕はストレートのサインを出した。
投山は頷き、渾身のストレートをインコースに投げ込む。
予想通り真中はこれを見送り、0‐2で追いこんだ。これで、3球はボール球を使える。
「悪いのう。シンカーじゃのうて」
「あら、読まれてたわけね。残念だわ」
次のサインもストレート。高めの釣り球だったが、真中は全く反応しない。
……嫌な見逃し方だった。
空振りまではいかないまでも、少し反応してくれれば狙い球が何か分かったかもしれない。
しかし真中は、球種に関係なく必ずボール球を使ってくるだろうと踏んでいた。
逆に言えば投山のコントロールを評価していることの裏返しだが、今は評価などどうでもいい。必ず勝負に勝たなくてはいけない。
熊捕は真中をじっと見据える。
シンカーを打ちたがっているのは分かる。
だが、それ以外の球種もヒットを打てるように構えているのか、ファールで粘るつもりなのか、はたまた捨てているのか。
カードは全て真中に見せている。それでも、裏はかける。
要は期待値の問題である。最もアウトに取れる確率の高い球種、コースは何処か。
真中の思考だけではなく、投山のコントロールミス、まだお世辞にも鉄壁とは言えない守備さえも。
それらを全て総合して―――、熊捕はサインを出した。




