117話 満身創痍です!
火野がホームベースを踏んで、8‐7。
あれだけあった貯金が、いつの間にかあと1点にまで減っている。
マウンド上の投山は、がっくりと両膝に手をやって、汗を垂らしながら俯く。
ただ単純な体の疲労というだけではない。
心が、抉られたような感触だった。
大体、2者連続ホームランなど、女子の間ではプロでも碌に聞いたことがない。
それだけでも計り知れないダメージを追うだろうが、内容の方が残酷だ。
海乃には流し打ちでレフトスタンドへ運ばれ。
火野に至っては、タイミングを外した上にボールゾーンの球をバックスクリーンまで運ばれた。
再びマウンドに集まった内野陣だったが、誰も言葉を発せない。
切り替えろ、なんて言葉は慰みにもならない。
気の強い熊捕や一ノ瀬、二宮や真中でさえも、唇と噛み締めることしかできていなかった。
友希は次いで、応援団の方を見る。
守備なので声が小さいのは当たり前だが、見た目だけでも意気消沈しているのが分かる。
……誰かが言っていた。
追うよりも、追われる方が辛いのだと。
1回戦、2回戦と、幾度となく絶体絶命の場面はあったけれど、そのどれとも違う。
唯一、監督だけが声を出した。
「俯いちゃダメなのですー! こんな時こそ、友情・努力・勝利なのですー!」
メガホンを使って、マウンド上に集まる内野陣に向かって檄を飛ばす。
頓珍漢なことを言って、場を慰めようとしているのは分かっている。
今までなら、どんな場面でも笑みが零れていただろう。
だが今は、どんなに頑張って笑顔を作ろうとしても筋肉が引き攣るだけだった。
これから相手は下位打線に入っていく。
それでも、この羽毛のように軽いたった1点のリードを、あと2回守り切れるのか。
9回の表、自分たちの攻撃がクリーンナップから始まると言ってもだ。
心が恐怖に蝕まれている状況で、点など取れる気はしない。
監督は先ほどから色々な言葉をベンチから投げかけているが、誰しもが顔を上げることはなかった。
―――そんな状況を見て、監督は初めてぶちギレた。
「いったい……。いったい! いつまでそんなメソメソしてんだこのボケどもー!」
いつもの監督からは想像もできないような重低音の利いた声色に、内野陣全員が反射的に面を上げる。
「たかだかホームラン2本打たれただけで泣きそうな顔して、よくオーシャンズファンを続けられるな三咲ぃー!」
「えっ、なんで私!? っていうか酷い!」
スタンドには元オーシャンズの一員である友希の母親がいたが、憤るどころかむしろ笑いを浮かべていた。
何年たっても変わらんな、あいつは。
そう言いたげに、元教え子である鈴木監督の声を聞く。
「それでも男か小鳥遊ぃ!」
「いや、女ですけど!?」
「飾りだけのキャプテンならやめちまえ二宮ぁ!」
「あぁ、これ、悪酔いした時のすず先生だぁ」
「野球を本格的に始めて半年で打てるもんを、敵には打たれないと思ったのか一ノ瀬ぇ!」
「……早く止めないと、暴言で失格になりそうですわ」
「冷静じゃないキャッチャーなら塗壁の方が百倍マシだぞ熊捕ー!」
「妖怪より下とはの。言いたい放題じゃな」
「そして特に投山ぁ! 大魔王からスライムに改名しろぉ! 私が檜の棒で駆逐してやるー!」
「……せめて銅の剣にしてほしいのだ」
いい加減に審判に怒られそうな気もしたが、身長が低く童顔な監督がベンチ内で必死に鼓舞する姿は、部外者から見れば微笑ましい絵面らしい。
そもそも、審判団でさえ初めて見る2者連続ホームランを信じられないでいた。
「絶望した時こそ強がれっつーんだよ! 子供が未来の心配するなんて10年早いわー!」
地団太を踏みながら声を荒げる監督を見て、ようやく。
……腹の底から笑いが込み上げてくる。
「絶望した時こそ強がれ、か。あの時の、ニノ先輩みたいに」
どんなに確率が低かろうと、1回戦の最終打席の二宮は諦めなかった。
確かに相手の打線は脅威だが、どんな打者でも打ち損じはあることを考えれば、確率だけなら今回の方が勝率は高い。
「強がれ、か。大魔王サタンに投げかける言葉ではないのだ」
「桜ちゃん……」
「強がる必要もなく、我は最強なのだ」
投山はスコアボードを見上げる。
今まで打たれたヒットは11本。7点取られ、炎上と見られても仕方ない。
「サタンちゃん、それを『強がり』って言うんだけどねぇ」
2者連続ホームランを打たれた直後の投手が、自分は最強、などと宣えば失笑ものでしかない。
それでもピッチャーは投山自身しかいない。
満身創痍だろうが、連続でホームランを打たれようが、どんな結末が待っていようが。




